特別鼎談 三宅唱×濱口竜介×三浦哲哉「時間」はどのようにして映画に定着するのか?──『ケイコ 目を澄ませて』の演出をめぐって | かみのたね
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2023.01.23

特別鼎談 三宅唱×濱口竜介×三浦哲哉
「時間」はどのようにして映画に定着するのか?──『ケイコ 目を澄ませて』の演出をめぐって

Creator's Words / 三宅唱, 濱口竜介, 三浦哲哉

■人々の間の「流れる時間」

濱口:「時間の流れ」を定着させるもう一つの要素としてキャスティングについても。この映画はエキストラの皆さんまで含めてがあまりに正確な配役に見えたんですが、どんなふうに決められたんですか?

三宅:一人とんでもないエキストラさんがいたの気づかれました? 病院にいたおばあちゃん。青木さん。

濱口:そう、まさにその方の話をしようと思ったんですよ。病院の受付で呼ばれて、中村優子さんが話しかけるところ、青木さんが話したり立ち上がるだけで、舞台になってる下町の病院のありようがぐいっと立ち上がる。どうやってこの方は見つけられたんですか?

三宅:偶然。

濱口:え、たまたま来てたってだけなの?

三宅:そう(笑)。セカンド助監督の土屋さんが集まってくれたエキストラさんたちをまず配置して、最初の「はーい」と返事をする場面を撮ったんですが、めっちゃ素敵な「はーい」だなと思って、撮り終わった後に、「今の青木さん、午後も残ってもらえるか確認してもらえますか」って。午後に撮影するのが、ホンには「病院の入り口、会長の妻・千春が病院に入ってくる」と一行しか書いてなかった場面で、余白だらけのト書なので何かやりたくなる。そこで「ちょっと待って」と香盤表を見て「まだ中村さんも残ってもらえますかね」と相談して。それで、中村さんと青木さんの二人がロビーでお話をしていると千春が通りがかる、みたいな段取りにさせてもらいました。で、青木さんに試しに喋ってもらったらめちゃくちゃよくて、慌てて録音部もマイクをつけて。そういうふうに現場でつくった場面なんですが、本当楽しくて、みんなすごく好きなところでした。編集のときにあのやりとりをカットしたほうがいいのでは、という意見も実は出ていた。ただ、編集の大川(景子)さんと僕は、ここを切るなら僕らはもう編集しない、これを残さなかったらこの映画はなんなんだと。そういう素晴らしい方に出会えた場面でした。

濱口:本当にあの人がいることで街が立ち上がるというレベルだと思うんですよ。そういう人をちゃんと見つけた。それが結果として中村優子さんの役の広がりも生んだ。ああ、ああいうふうに膝をついて話す人がいる病院なんだ、会長はそこに通ってるんだな、と。

三宅:設定として、年配の方が多くて若い人はいない病院に、というオーダーをしてはいましたけど、お一人お一人は現場の出会いで、偶然ですね。事前にもし書いていたとして、でもああなったかはわからない。病院場面はすべて1日でまとめて撮影だったので、日々スケ的には厳しかったですが、各部みんな冴えてたんだと思う。

三浦:ジムの近くの階段でケイコとぶつかる男性とかも、一歩間違えたら、耳の聞こえないケイコの置かれる状況の説明的な感じになっていたと思うんですよね。でもあの方、嫌な役という設定ではあっても、嫌すぎないところがよかった「(物が)落ちまくってんじゃねえかよ」と自分ツッコミみたいなちょっと滑稽なことを言って、ケイコはもうさっさと立ち去っている(笑)。コンビニの店員さんもちょうどよくて。耳の聞こえないケイコとのあいだですれちがいが起こるときも、いたってクール。警官二人組もマイペースでとぼけていて。ケイコを取り巻く街の人々の無関心さが、それ以上でもそれ以下でもない。これは稀有だなと思いました

濱口:そういう役どころって本当に難しいんですよ。どの程度の人を配置したらいいかわからない。大きい現場だと、事前に会うこともできずに写真だけで決めることも多くて、現場で慌ててなんとかしようとすることも多いんですけど、この映画だと本当にみんなほどよいじゃないですか。それこそ爪痕を残そうとして力が入り過ぎてる人もいなくて、みんなほどよくそこにいる。これはカメラポジションの力なのか、キャスティングなのか、演出なのか。

三宅:基本的にはひとりずつ選んでるというだけでしかないんですが、ある種の無関心さというものはこの題材を扱うにあたって気をつけたところでした。たとえばコンビニの店員とか警官をもっと嫌なやつにして、主人公を苦しめて、同情を誘うような作劇もできる。でも、それってなんか馬鹿みたいだなと。幼稚な社会すぎるなと思ったんですよ。もし主人公がたとえばティーンエイジャーやもっと子供の設定だったら、聞こえないということがその人の最も切実な問題としてもう少し大きく扱う場合もあるかもしれないし、ないかもしれないけれど、でも、ケイコは20代後半で、ホテルで働きながらプロボクサーとして生きている人物で、そういうすれ違いは彼女にはとっくに当たり前にあって、切実なのはボクシングの上達やジムのことであると。と言いつつ、実は最初、コンビニのシーンでシナリオに「店員が舌打ちする」と書いたこともあるんですが、そういうのはぜんぶやめていきました。ちなみに、コンビニ店員を演じてる岩井(克之)くんって、実は『きみの鳥はうたえる』のメイキングを担当してくれていて、当時は函館の大学生だったんです。やたら優秀だったので各部が「うちの部署にこい」って誘ってたんですが、役者になりたいって東京に出てきて。彼に「コンビニでバイトしたことある?」って聞いて、「してました」って言うんで「よし、じゃよろしく」と。

三浦:なるほど。彼、たしかにエレガントだよね。ちゃんと状況を見て、待てる感じがあるというか。

濱口:そう、急かすわけでもなくて。

三宅:そうそう。品がいい。

濱口:ごく単純に目の前の人に対応している感じがありますよね。ポイントカードの説明も無視されてるという感じじゃなくて、「あれ、アクリル板のせいでよく聞こえないのかな?」ぐらいの認識でやっている感じに見える。

三宅:そこは僕が彼の人となりを知っていて、それを借りているからかもしれないですね。一応、裏設定は彼と話してるんです。学生バイトか、フリーターか、社員かというあたり。警官の役も、主に喋ってるほうは礒部(泰宏)さんという俳優で、冨永(昌敬)さんの『ローリング』(2015)で彼の演じた役に感動しまして、めちゃくちゃいい役者だなと思っていたので、オファーしました。

濱口:すごく紋切型に陥ってしまうような感じのところをうまく避けている感じが彼にもありますね。

三宅:いいですよね。

三浦:ホテルの仕事でペアになる若い男性も見ていてほっとするんですよね。客が忘れた腕時計を探すくだりも良くて。見つかった瞬間「ありました!」って声が裏返って喜ぶ(笑)。ケイコはたぶんちょっとうざがってるかもしれないけど、彼と一緒に仕事をしている日々の長さを想像できる。

 

■時間の厚みを映す

三浦:こうして話を聞いていても、人間の構えていなかったり、ときに滑稽に見える部分から存在がふわっと立ち上がっていく映画だなと再確認したんですが、それってエキストラだけじゃなくてプロの俳優の方々、たとえば三浦誠己さんについても演出としては近いのかなと思った。ちょっと可愛い人になってますよね。

三宅:でしょ。三浦誠己さんの何がおかしいって、「感情コントロールせなあかん」って言ってたのに、一番最初に感情が荒れるという(笑)。前半はわりとキツめな人にしていたんですが、ジムの廃業が決まってからはむしろ柔らかくなっていくという大まかな流れはホンにありました。そこは松浦(慎一郎)さんが演じる松本とエモーションは少しずらすような役割分担もあって。

©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

三浦:そこで言えばまっちゃん(松浦慎一郎)がもう最高でしょう。まっちゃんと同僚である三浦誠己さんのやり取りが映画の時系列が進むごとにどんどん柔らかく面白くなる。

濱口:松浦さん、もう「まっちゃん」と呼びますが、本当にこの映画が「時間」をつくり出す上での最重要人物ですよね。彼自身がちゃんと自分の時間を持ってそこにいる。まっちゃんがスパー中に泣いたとき、涙を拭いたティッシュを渡そうとするところも面白い。「それのわけないわ」みたいな(笑)。

三宅:松浦さん、最高ですよね。いやあ、あれは現場で恐る恐る、やってもらいました。あんなものは脚本には書けないわけです。

濱口:その場で?

三宅:その場で。一応、アイデアは自分の中に準備してありましたが、その全部は先に書かないようにしておいたりしますよね。たとえば「笑う」って書いてあると、役者は笑うことを準備する訳で、でも、つい笑ってしまうその前段をちゃんと演出できれば、その環境を用意できれば、固くないフレッシュな笑いを撮影できるはず、みたいなことを思っています。別に騙したいわけじゃないから、単純にコミュニケーションとして「僕はこういうこと考えてるんだよね」と話しはするけど、文字にはせずにしている時もある。変な話、書いてしまうとスタッフも無駄に期待するし、まあ自分も飽きちゃうし。

濱口:「どう演じるんですか」っていう役者や演出家にとってはいやーな感じの視線にもなってしまう。スパーを打ち合うときのコンビネーションなんかを見れば、ごく単純にこの人はボクシングの経験者なんだろうということで納得できるわけですが、でもまっちゃんはそこを超えてくる。スパーの途中で彼が泣いた瞬間にも驚くんですよね。自分が脚本家だったらそこで「泣く」って書くのは、迷うところだと思う。ケイコが試合に負けたあとで泣きそうになってるところも同じで、やっぱりメインの登場人物に比べれば重ねている時間が撮影現場ではどうしても少なくなるだろうし、その分泣いてるということが記号になっちゃう可能性が高い。「泣こう」と努力している様が映ったら最悪なわけです。でもこの映画のまっちゃんはそれがない。最後の試合、リング脇からケイコに「構えて!」って伝えるときも、本当に聞こえてない人にそれでも届けようとしているような声が出てる。そして、さっき言ったティッシュの場面の後、リングに上った松浦さんを見つめる岸井さんの瞳が本当に「澄んで」いる。そういうのはすべて、彼と岸井さんの準備から重ねた時間そのものから出ているものなんだと思うんですよね。

三宅:現場中のある朝、松浦さんの顔を見ると、明らかに寝れていない顔をしていて。聞くと、照れて誤魔化してはいましたが、どうやら岸井さん=ケイコさんが心配で寝れなかったらしいと。なんというか、そんなに誰かのために存在することができるなんてと驚きましたし、本当に人として心から尊敬できる方でした。初めてお会いする前、松浦さんは日本のボクシング映画の指導をたくさんやってもうやり飽きてるんじゃないかとか、完全燃焼したって言ってるという噂を聞いてたんで、どうやって巻き込めばいいんだろうと考えていたんです。これは僕の卑怯な面が出ちゃうから恥ずかしいんだけれど、松浦さんには初対面で「ボクシングの何が面白いかわかんないです」って、一か八かでぶつけてみたんですよ。そうしたら火が一瞬でついた(笑)。

濱口:じゃあ俺が教えてやるよと(笑)。

三宅:そうそう。「この人正直だな」って思ったんですって。実際、嘘はついてないし、嘘ついてもどうせバレると思ったから、「速すぎてパンチが見えないから面白くない」とか、自分がボクシングの何がわからないのかを伝えて、どうすれば面白がれるかを聞くところから始めたら、すごく乗ってくれた。

三浦:まっちゃんが本当に映画作りのキーパーソンだったんだね。

三宅:完全にそう。さっき少し話しましたが、ボクシングは互いに向き合わないとダメとか、嘘ついちゃいけないとか、そういう態度も、小笠原恵子さんの本[編注|原案となった自伝]とあわせて、松浦さんからも学んだことでもあります。でも本当に大変だったと思うんですよね、俳優として出演しながらボクシング指導のスタッフとしても同時に現場にいなきゃいけない。これは俳優にとって残酷なことで、申し訳ない気持ちもあるんだけれど。岸井さんはこの映画のために増量してもらったんですが、その食事管理にまで松浦さんが監修として入ってるから。すごいプレッシャーのはずで、僕には想像もつかない。

三浦:岸井さんの筋肉までまっちゃんが! 冒頭で岸井さんが見せる背筋の盛り上がりがすごいです。

三宅:当日の思いつきで撮れるものじゃないから、何日も前から食事をそれに向けて変えていって、当日もパンプアップして、そういう準備全部を松浦さんが担っていて。実人生の映画撮影のための岸井さんと松浦さんの準備と、劇中でのケイコとトレーナーとの関係が完全にリンクしていたから、あとはそのまま流れ込んでもらうだけという。

濱口:まっちゃんが佐藤緋美さんを指導する場面があるじゃないですか。

三宅:あれ、いいでしょう。

濱口:ここもやっぱり指導する上での決まったフレーズみたいなものが一応あるわけじゃないですか。でも、身体の動作のこの瞬間にこの言葉を差し込むっていう感じで言う。

三宅:「はいそれ」って。

濱口:そう。最初の岸井さんの表情とも近くて、まっちゃんはある言葉を、ある瞬間に発するその理由を完全に理解している。頭の理解じゃなくって、やっぱり身体の理解。その瞬間に、その言葉がもう「出ちゃう」みたいな。台詞というか、ある言葉をある身体が発する、その関係性の究極をこの瞬間に見るというか。まっちゃんのここでの声は、本当に言葉による彫刻を見ているようでしたね。

三宅:『ユリイカ』のフレデリック・ワイズマン特集で三浦さんが書いていた文章を、撮り終わってから読んだんですけど、そこに、「ワイズマンの映画の中である瞬間にある人が何か動作してるときに、この人はこの人生でこれをすでに一万回繰り返していて、これはその一万回の反復のうちのたどり着いた一回であり、そのたった一回を見るだけでこの人がそれだけの厚みのある人生を生きてきたということが示される」、みたいなことを書かれていましたよね。まさにあそこの松浦さんの声がそういう感じ。

三浦:本作のボクシングシーンの多くからも、まさにそういう時間のぶ厚さを感じるんですが、まっちゃんの貢献が本当に大きかったんですね。コンビネーションがパンパンパンとうまくいったときの「やったなケイコ!」みたいな顔とかも素晴らしいです。もうドキュメンタリーなのかフィクションなのかわからない、でも物語に乗っていく。最後の記念撮影のときのセルフタイマーの設定を短くしすぎて、あわててダッシュするくだりも、流れの中で本当に気持ちよく笑えた。

濱口:それから、会長のベッドの脇でケイコの日記を読む仙道敦子さんの声がめちゃめちゃ可愛かった(笑)。

三宅:よかった。ちなみに仙道さんには『息の跡』(小森はるか監督、2015)のDVDをあげたんです。

濱口:やっぱそうでしょう!

三浦:全体の構成からして僕も『息の跡』は思い出した。冬から春にかけてという季節の流れがあって、最後に日記が読み上げられるところ。寡黙だった人が実はこういうことを考えていたんだっていう驚きが生まれるんですよね。日記を読む声はだからとても大事なわけですが、仙道さんの声は爽やかで僕も好きでした。

三宅:『息の跡』、実は『呪怨:呪いの家』(2020)でご一緒した際に、初対面の衣裳合わせのときにお渡していたんです。なぜかはまったく覚えてないけど、自分が好きな映画を仙道さんも好きになってくれたら嬉しいな、みたいな動機だった気がします。そうしたら気に入ってくれて、友達にも貸して回ってくれているらしい。

濱口:すげえ(笑)。

三宅:いいですよねえ。

濱口:結果的にジムは閉鎖するわけだし、必ずしも明るくない未来があるんだけど、仙道さんがいるとなんか大丈夫なんじゃないかなと思える。それがすごいよかったね。

三宅:僕も思う。ジムという、ともすればきわめて家父長的でマッチョになりえる空間の中で、そこに馴染みやすいタイプのキャスティングプランも立てうるけれど、まったく関係なさそうな人、ボクシングとは違う物語を感じる方がふさわしいだろうと考えていました。

©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

 

■俳優たちがそこに「いる」こと

濱口:仙道敦子さんによる朗読のところで、ケイコの弟を演じる佐藤緋美くんの音楽が流れますよね。これもまたすごくほどよいと思うんだけど、彼は音楽ありきでキャスティングしたの?

三宅:いや、そういうことでもなかったですね。前に別作品のオーディションで会っていて、その時は一緒に仕事できなかったけど、とてもいい印象が残っていた。彼がオファーを受けてくれたら音楽の面も生かしたいなとぼんやり考えていて、もし彼じゃなかったら、音楽以外の何かを考えていたとは思います。

濱口:決める前に事前に会っていました?

三宅:いえ、決まってから、手話練習の初回に会ったのが初めてですね。あの日記のところの音楽は、そういう準備中に「ここ何か弾いてほしいんだけど、考えておいてもらえますか」と話していて、あとは現場で当日にいくつか弾いてくれて、「それ」みたいな感じで決めた。だから彼が選曲しているに近い。

濱口:ああ、そうなの。

三宅:だから彼のセンスのおかげですよね。とってもいいじゃんとなって、そのままでした。

©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

濱口:こういうモンタージュ構成にすることは決まってたわけですよね、そうすると音楽次第では当然台無しになることもあるじゃないですか。そこの恐怖はなかった?

三宅:いま自分で喋っていてよくそんな恐ろしいことしたなと、ようやく今思いました。今日はずっと準備の話をしていましたけど、だいぶテキトーなノリじゃん……。あ、さすがに一緒に仕事する前に、聴ける音源はすべて聴いていましたよ。お会いしたときに、あの曲が好きだなあとか自分の好みを伝えたりとか、彼の音楽遍歴を聞いたりとか、そこで彼もこちらのノリを掴んでくれたのかもしれません。もし彼以外で楽器を弾いてもらうことになっていたら、もうちょっと違う準備をしたと思うんだけど、準備中に彼と話しながら人柄を感じて、事前にガチガチに決めるよりも当日の空気に任せたほうが良さそうだな、という感じです。

濱口:緋美さんの彼女役の中原ナナちゃんは、黒人系のミックスの方ですが、ミックスのキャラクターがこういうかたちで出てくること自体が少ないと思いますけども、彼女はそこにいることに対して不安がないような感じがあった。それは彼女のもともとの性質なのか、現場で作っている雰囲気なのか。

三宅:もともとなぜこういうキャスティングをしたかというと、小笠原恵子さんには聖子さんという妹さんがいらっしゃって、妹さんも聾なのですが、トルコ人の方と国際結婚されているという事実が本に書かれているんですね。それがなんだか素敵だなあと勝手に惹かれたんです。実話とは性別など設定こそ意図的に変えさせてもらったものの、そういう広がりみたいなものは大切にしたいところだなとと思って、弟にはミックスの恋人がいるという設定でフィクションを描きました。まあ、国際結婚は僕らの近しい友人たちでも何組かいるから、さして特別なことでなく当たり前に描けるかなと思ったしね。ということでキャスティングの神林(理央子)さんに相談したところ、中原さんを推薦してくれた。ただ、緋美くんと中原さんはエドモンド・ヨウ監督の新作(『ムーンライト・シャドウ』、2021)でカップル役を先にやっていて、と。お二人がその連続を気にされないのであれば、こちらとしてはぜひ、と。公開前だったので僕らはその作品は見れてなかったんですが、むしろ関係が多少できあがってたらラッキーだなぐらいの思いもありました。中原さんは、オファーの前に面接のようなことをしたんですが、とっても知的で感じのいい方だったので、2秒ではい決まり、ぜひお願いします、と思って。

三浦:最初に登場するときも、ドーンと出てくるんじゃなくて、部屋の片隅にいきなりいるんだよね。すごくさりげなくて、カメラが特別扱いしていない。

三宅:あの座り位置はいろいろ検討しましたね。最初から緋美くんとツーショットでいるべきかどうか。

三浦:こういうキャスティングでしくじっている映画って少なくないですよね。いわゆる多様性を出すためだけに人を選んでいるような場合のことです。ハリウッドでもそうでしょう。この映画はもちろんそうではなくて、中原さんは最初何者かよくわからなくて、ケイコに睨まれたりもしてるんだけど、後半で、自分もダンスをする表現者なんだとわかるのがいいよね。三人で輪ができるのがまったく不自然ではない。

三宅:ご出身が東東京だと聞いて、「そうなの? この映画はその辺の話だよ」「本当ですか?」「いいじゃん!普段って荒川いく?」「私は行かないです」「じゃあどこ行くの?」みたいな。あのあたりで育って空気をよく知っている人が出てくれるというのは大きいですよね。

濱口:特異な存在に見えそうなところが、全然そうじゃなくて、すごく画面に馴染んでいる。それにはきっと、その二人の歴史も作用しているかもしれないですね。

三宅:いろいろなことを外から借りてる感じですね。

濱口:映画作りって、だいたい借りてるようなもんですからね、基本は。

三浦:たとえばミックスであることによって、小さい頃から奇異の目を向けられることもなくはなかったんじゃないかと想像するんだけど、そういう経験のあった人に特有の慣れというか、経験値ゆえの余裕みたいなものを感じる。そっちこそが大事で。一言でいうと、気持ちのいい人って感じがすごくする。

三宅:そうですね、実際すごく気持ちのいい人でしたね。ダンスのところも、そのちょっと前の手話で自己紹介するところも、あのスリーショットがいいんですよね、なんだこの3人は、なんだこの謎の瞬間は、みたいな。

三浦:あのスリーショットは岸井さんもいいよね。肩をいからせていて。

三宅:あのスタイリングも含めて、僕も好きですね。衣裳は『呪怨:呪いの家』で一緒だった篠塚さんと助手の中田さんのチームにお願いしたんですが、このシーンだとタックインしてて、かっこいい。小柄な方ってああいう格好よりもうちょっとふんわりしがちな気がするんですが、それは避けて、ケイコはアスリートであることなどの前提を共有して、タイトなシルエットにしたいという話をして、デニムパンツのポーズから決めていきましたね。基本的にはタイトめの無地のものを選んで、風邪を引いている場面ではモコっとしたボディラインが見えないようなふうにしたり、試合が近いシーンではそれこそジーンズにタックインしてシガニー・ウィーバー系で。あと、バイト先の後輩のシャツははみ出ていて、あれは確か現場で思いついたんですが、中田さんがうまいことシーン毎に調整し続けてくれた。

三浦:タックインっていま流行っていますよね。スタイリッシュな線からも外れていないんだけど、一方で、僕なんかは世代的に、アジャコングのようなかっこいい姉さんたちを思い出しますね。昔の全女のレスラーみたいなたくましくカッコいい、喧嘩上等な闘志を秘めた感じ。岸井さんの格好には、スタイリッシュさと闘志の両方がある。

濱口:優秀な衣裳部ですね。

三宅:ヘアメイクの望月さんも、今回初めてでしたが、ケイコを一緒に作るという意味で、ビジュアル面でも現場でも、僕はたくさん助かりましたね。衣裳部とメイク部は、現場中僕よりも役者の近くにいて朝イチから最後まで接していて、僕には気付けないところまでフォローしてくれる存在なので、本当に欠かせない。
 それから、持道具の泉さんも、『密使と番人』から2回目ですが、めちゃくちゃ気合いが入っていて。現場で(三浦)友和さんが「もうちょっとミットを汚してほしい」って言ったとき、泉さんがすぐに対応して友和さんに渡し直す時に「これでもっといい映画になります!」というようなことを伝えたらしいんですよね。友和さんがその日の夜だったかに「この現場すごいね」と、そのやりとりを教えてくれました。

濱口:素晴らしい話。

三宅:嬉しいですよね。

©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

濱口:三浦友和さんの持ってる善性はめちゃめちゃこの映画に必要なものだったという気がします。

三宅:僕もそう思います。チャーミングなところを見せてくれて。最後に車椅子で奥に行くショットあるでしょう? あそこ、奥まで行っても階段しかないんですけど、そこで「どうやって昇るんだこれ!」って友和さんがつぶやくところまで撮っているんですよ(笑)。カットしちゃったけれど、現場で一緒にそれを考えて、バカだねえって苦笑しあうような時間があって。

三浦:あれはどこに行くのかなって思った(笑)。

三宅:友和さんは、僕のある種感傷的になりすぎる部分をたぶんホンから掬い取ってくれていて、でも日常ってもうちょいタフなんじゃないかということを話しました。僕のホン、そんなに書き込まないのもあって、ちょっとウェットに読みやすいんですよ。自分もそっちに流れる傾向は自覚していて、そこに対してたぶん友和さんも反応してくれて。こうするとちょっと可笑しみが出るよね、こうすると気抜けるよね、みたいなところをお互いで探っていくところはありました。たとえば、ジムをやめる話をしたあと、「沖縄だなあ」みたいに言ってるところとか、そういうのを試してくれていた。でも車椅子で「ああ、階段だった!」って呟かせるのはスベるなと思ったので、さすがにやめちゃいましたね。

三浦:三浦友和さんは唯一無二のどっしりした存在感があって、言うまでもなく素晴らしいんですけど、このキャラクターの背景についての説明も、ほとんどないですよね。たとえば『ミリオンダラー・ベイビー』(クリント・イーストウッド監督、2004)と比べると、ジム経営者のイーストウッドには重たい業のようなものがあって、やむにやまれずこうしているんだな、ということがわかりやすく示されている。三浦友和さんのキャラクターに関しては、そういう説明はもうさっぱり切ったということなのかなと。まずもって、ケイコにとって当たり前にそばいてくれるひと、という感じ。

濱口:実際、会長がフレーム外のケイコを見ているショットって、河川敷では一回あるけど、それよりも気がついたら近くにいる、一つのショットに収まっている場面のほうが多いですよね。その「見る人」じゃなくて「いる人」っていう描写が結果的に成功してると思う。

©2022映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

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