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2025.06.03

第12回 クォンタム・モンタージュの方へ——ジャ・ジャンクー『新世紀ロマンティクス』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回更新の映画時評。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回はジャ・ジャンクー監督『新世紀ロマンティクス』。過去の監督作品にひもづく膨大な「素材」と向き合いながらつくられた本作において、ジャ・ジャンクーはいったい何を試みていたのでしょうか。

 昨年10月に釜山映画祭で見て以来見返す機会を待ち望んでいたが、このたびめでたく日本公開となり、再見とあいなった。自作の引用や過去に撮りためた映像を混ぜ合わせながら、世紀転換後の20年余の時代の流れそのものを捉えようとした作品である。すでにある素材をもとにしただけあって、本作の核心はその「編集」にあると監督は随所で語っている。しかも、それは「量子力学」にもとづくという。

まったく別の場所にあって本来無関係である二つのものが、実は離れたところで互いに作用し合っている、というのが量子力学的な考え方であり、(……)この映画では、量子力学的な視点から、一組の男女が過ごしてきた長い年月を見てみようと考えました。彼らそれぞれが経験してきたものは膨大な情報量となっていて、それらは本来関係しあってはいない。でも二人の間にはきっと何かが作用しあっている。論理で説明はできないけれどここにはなんらかの相関関係がある。そう考え直し、これまでの編集の仕方とはまったく違う形で彼らの物語を語ろうと、もう一度素材と向き合っていきました。[1]

 一体、どういうことか。ジャ・ジャンクーは今回の『新世紀ロマンティクス』を作るにあたって、従来の方法そのものをひっくり返さねばならかった。そのためには「手元にあったフッテージの間にある隠れたつながりを見出すための新たな方法」を、「複数の作品を貫くものを感じとるという、新たな感覚の方法」を必要としたという[2]。はたしてここでは何がおこなわれているのか。

© 2024 X stream Pictures All rights reserved

 映画は3つのパートからなる。2001年、大同。2006年、奉節。そして2022年、珠海を経て、ふたたび大同へ。チャオ(チャオ・タオ)とビン(リー・チュウビン)という一組の男女の別れと再会が20年という長い時間の中で捉えられている。
 ジャ・ジャンクーはこの作品を構想するにあたって、まずは手元にある素材に向き合うことから始めたという。2001年、『一瞬の夢』(1997)と『プラットホーム』(2000)の2本の長篇を手がけ、次作『青の稲妻』に取りかかる頃、軽量のデジタル・カメラが登場し、彼は以来ジガ・ヴェルトフに倣って『デジタル・カメラを持った男』と名付けて中国各地で映画撮影の合間に映像を撮ってきた。2001年は中国がWTOに加盟し、北京オリンピックの開催が決まった年で、社会が大きく変化し、急激な経済成長が始まった時期だった。監督は映画制作と並行して、その社会の変容をデジタル・カメラでずっと捉えてきて、いつか作品にまとめたいと思っていた。2020年、コロナ禍のロックダウンを機に、ここ20年の経済発展の時代の終わりを感じ、これまで撮りためた映像を見直してまとめる作業に取りかかった[3]
 ジャ・ジャンクーはこのデジタル・カメラの映像に加え、自身の監督作——『青の稲妻』(2002)、『長江哀歌(エレジー)』(2006)、『帰れない二人』(2018)の3本——の本篇映像と本篇には使われなかったラッシュ映像をそこに織り合わせている。監督の説明どおり、「複数の作品を貫くものを感じとる」ことによって、「手元にあったフッテージの間にある隠れたつながり」が見出されているわけである。そして、おそらくそのうえで、2022年のパートが新たに撮影されている。2022年には360度カメラを使用した箇所があるが、それは2001年が解像度の粗いデジタル・カメラの映像で記録されていたことに対応しているだろう。

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 ところで、『青の稲妻』と『長江哀歌』にはそもそも直接的なつながりがあるわけではなかった。ともにチャオ・タオとリー・チュウビンが出演してはいるが、両作ではそれぞれの役名も異なり、もちろん物語もまったくの別物だ。
 いま思えば、『青の稲妻』と『長江哀歌』の間にある「隠れたつながり」を見出すべく作られたのが『帰れない二人』だったことになる。前2作にあった要素を接合し、17年にわたるチャオとビンの物語として練り直した。2001年、大同。チャオは若者たちに襲われた恋人のビンを救うべく、拳銃を取り出し逮捕される。2006年、チャオは出所したが、行方をくらましたビンを探しに奉節に行く。しかし、彼にはすでに新しい恋人がいた。そして2017年現在、大同で暮らすチャオのもとに半身不随となったビンが助けを求めにやってくる。ジャ・ジャンクーはチャオ・タオに2001年の場面では『青の稲妻』と同じウィッグを被らせ、2006年の場面では『長江哀歌』と同じ黄色い半袖シャツを纏わせることで、『帰れない二人』がこの2本を踏まえた作品であることを示した。
 いや、彼はチャオ・タオにかつての作品の人物を再演させることで、いわばもう一つの『青の稲妻』ともう一つの『長江哀歌』の存在を垣間見させたのだった。『青の稲妻』にも『長江哀歌』にも、表面にこそ現れていなかったが、そこにはまた別の物語の可能性があった。『帰れない二人』で示唆されていたのは、そうしたありえたかもしれない物語たちの存在である。『新世紀ロマンティクス』は『帰れない二人』の3部構成をそのまま引き継ぎ、前作の試みをさらに拡張させてみせる。

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『新世紀ロマンティクス』ではそれぞれのパートごとに使われる素材の配分が異なっていて、おおまかにいうなら、2001年大同のパートではデジタル・カメラで撮られた映像の断片がふんだんに使われ、2006年奉節のパートではおそらく『長江哀歌』では使われなかった素材が多く引用されている。ここでは『長江哀歌』でいまいち影の薄かった黄毛(ホアンマオ)やパンさんとのエピソードが多く語られ、写真でしか映されなかったディン姐さんがしっかり登場している。『長江哀歌』の作品世界には実はこんな広がりがあったのだとでもいうように。
 チャオ・タオが今作で言葉を発しないのも、過去作を再訪するなかで生まれた設定のようである。2006年、奉節に向かう船上の場面で、彼女が身振りだけで弁当を注文するくだりがある。私ははじめ今回の設定に合わせて新たに撮影されたものとばかり思い込んでいたが、実際は既存のフッテージを利用したものだそうだ。食堂の位置が機械室に近くあまりにうるさいために、チャオ・タオは叫ぶかわりに身振りで示した。このくだりを見直して感銘を受けた監督は、ここから彼女が喋らないという設定を思いつき、それを『新世紀ロマンティクス』全篇にわたって採用することにしたという[4]
 このようにラッシュ映像を利用して、完成した作品からは失われているが、その作品世界に潜在していた可能性を解き放つ一方、ジャ・ジャンクーはいくつかの場面を今回あらたに撮影することでかつての作品世界をさらに拡張させてみせる。2022年のパートだけでなく、2001年パートにも、2006年パートにも、『新世紀ロマンティクス』に合わせて撮り直された場面があるように見えるのだ。
 たとえば2006年の部分でいうと、男たちに囲まれたチャオ・タオがスタンガンを手に逃げる場面。これはおそらく『長江哀歌』や『帰れない二人』のために撮られていたものではない。『新世紀ロマンティクス』という新しい作品を構成していくにあたって必要になったくだりではないかと思う。『帰れない二人』で彼女がビンを救うべくピストルを手にする場面と——横滑りして旋回していくかのようなカメラの動きも含めて——見事に韻を踏んでいる。しかし、今回は自分の身を守るために、彼女は立ち向かう。

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 さて、冒頭の問いに戻って、もう一度問うてみる。結局ジャ・ジャンクーはここで何をしているのか。
 これがなかなか厄介な問いに思えるのは、それぞれの素材を特定し、それらがどのような順番で並べられているかを記述したところで納得のいく答えは得られそうにないからだ。なにせここでは「論理で説明はできない(……)相関関係」こそが主題なのである。とすれば、その設計を分析することによってではなく、その効果を記述することでしか、この映画の核心部には近づけないのではないか。
 実際、はじめこそ一つ一つの映像の出自を区別して、これは『デジタル・カメラを持った男』だけれど音声は『青の稲妻』を使っているなとか、この部分は『青の稲妻』で、次の部分はそのラッシュだなとか、これは『帰れない二人』で再演したくだりだ、いや、それとも今回新たに撮ったものだろうかなどと考えながら見てしまうのだが、そんなことはだんだんどうでもよくなるはずだ。ただ映像と音声の組み合わせによって生み出される流れに巻き込まれてしまう。しかし、いったん身を任せてみると、ジャ・ジャンクーが異なるものの中から無数のつながりを見出していったように、さまざまな要素が思いも寄らぬかたちで結びついていくのである。
「無関係である二つのものが(……)互いに作用し合っている」。そんな状況を目指して複数の映像を組み合わせていく『新世紀ロマンティクス』は、こうして観客の中に果てしない連想を喚起することになる。そして、作品が単体で完結することなく、論理を超えた広がりを見せ始める。
 一例を挙げると、2022年、リー・チュウビンが大同に戻り、文化センターのような建物に入ると、マスクを付けた人々が社交ダンスに興じている。流れている曲は、ガン・ピンの《潮湿的心》。もちろん『長江哀歌』でビンが経営する野外ダンス場のくだりを踏まえたものであり、同じ曲が流されている。また、このコロナ禍に見舞われた大同の文化センターでは、防護服を着た職員がフロアを舞う客たちに混じって消毒作業に勤しんでいるが、それは『長江哀歌』の解体工事現場で似たような防護服を着て除菌作業をしていた人々の姿を彷彿とさせる。
 そう、異質なショット同士をつなぎ、突拍子もない連想を促すのはほかでもない歌謡曲である。『新世紀ロマンティクス』の2001年の大同。カラオケのシーンで女性が「ネズミが米を好きなように、あなたのことが好きだ」とカメラに向かって叫ぶ。それは『長江哀歌』の工事現場で、少年が歌うヤン・チェンガンの2004年のヒット曲《ねずみは米がすき》を先取ったものだったのだ。
 そういえば、『帰れない二人』ではサリー・イップが歌う《浅酔一生》が何度も流れるが、この曲はもともと『狼/男たちの挽歌・最終章』(1989)の主題歌だった。とすると、『帰れない二人』の選曲は『長江哀歌』に出てきた若いチンピラのマークがチョウ・ユンファのファンであることとも、監督が最初にこの曲を流した『一瞬の夢』(1998)ともどこかで関係していることになる。しがないスリでしかない『一瞬の夢』の小武は、いつしか転生して『長江哀歌』のマークとなり、『帰れない二人』でビンの仲間の一人となったのかもしれなかった。はたして彼は『新世紀ロマンティクス』ではどこに出てきたのだろうか。もし彼がそこにいなくても、彼のいる別の映画を想像する自由がつねにある。


[1]  月永理絵「『新世紀ロマンティクス』ジャ・ジャンクー(映画監督)インタビュー」、『文春オンライン』、2025年5月13日。URL: https://bunshun.jp/articles/-/78932
[2]  Marshall Shaffer, “Interview: Jia Zhang-ke on Reinventing His Cinematic Language in Caught by the Tides”, Slant Magazine, May 6, 2025. URL: https://www.slantmagazine.com/film/jia-zhang-ke-interview-caught-by-the-tides/.このインタビューでも今回の方法論を説明する際に量子力学や量子物理学の比喩が用いられている——「今回のストーリーとナラティブを築くためには、明確で直線的で因果関係に基づく構造よりも、量子物理学のようなものに頼る必要があると、私は冗談めかして言っていました」。また、「ディレクターズ・ノート」でも次のように述べられている——「私が衝撃を受けたのは、この映像には、因果関係のある直線的なパターンがないことでした。その代わりに、もっと複雑な関係があり、まさに量子物理学に由来するもののように(not unlike something from quantum physics)、人生の方向性は特定するのが難しい変動要因に影響され、最終的に決定されているのです」(劇場用パンフレットより、訳文一部変更)。
[3]  『デジタル・カメラを持った男』については、前掲の月永理絵による取材記事のほか、以下のインタビューを参照。Élise Domenach, Adrien Gombeaud, « Entretien avec Jia Zhang-ke : “Debout sur ma terre natale” », Positif, nº 767, janvier 2025. Jordan Cronk, “Interview: Jia Zhangke on Caught by the Tides”, Film Comment, October 7, 2024. URL: https://www.filmcomment.com/blog/interview-jia-zhangke-on-caught-by-the-tides/
[4]  Élise Domenach, Adrien Gombeaud, « Entretien avec Jia Zhang-ke », art. cit.

 

『新世紀ロマンティクス』
原題:风流一代 英語題:Caught by the Tides
2024 年|中国|中国語|1:1.85|111分|G
監督:ジャ・ジャンクー
脚本:ジャ・ジャンクー、ワン・ジアファン
撮影:ユー・リクウァイ、エリック・ゴーティエ
編集:ヤン・チャオ、リン・シュウドン、マチュー・ラクロー
音楽:リン・チャン
出演:チャオ・タオ、リー・チュウビン
パン・ジアンリン、ラン・チョウ、チョウ・ヨウ、レン・クー、マオ・タオ
配給:ビターズ・エンド

公式ホームページ:www.bitters.co.jp/romantics/
ビターズ・エンド公式X:https://x.com/Jia_Zhangke

Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか絶賛上映中!

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バナーイラスト:大本有希子