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2025.12.04

第18回 「禁じられたモンタージュ」再考——特集上映《映像詩人アルベール・ラモリスの知られざる世界》

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回の映画時評(毎月初頭に更新)。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回は特集上映《映像詩人アルベール・ラモリスの知られざる世界》をめぐり、映画批評家アンドレ・バザンの最重要テキストのひとつ「禁じられたモンタージュ」について再考します。いささか謎めいたバザンによる「禁止」という表現は、いったい何にかかわるものだったのでしょうか。ひとつのキーワードは「死」です。

 アルベール・ラモリスの特集が開催されている。『白い馬』(1953)と『赤い風船』(1956)の二作に加え、これまで日本では劇場未公開だった『小さなロバ、ビム』(1951)、そして長篇二作——『素晴らしい風船旅行』(1960)と『フィフィ大空をゆく』(1965)——がついにお披露目となった。
 これは、アンドレ・バザンの論考「禁じられたモンタージュ」に立ち戻るにはうってつけの機会ということだ。『映画とは何か』に収録された「禁じられたモンタージュ」は別の機会に書かれた二つの記事を合わせて改稿したもので、一つは『白い馬』について書かれた「現実的なものと想像的なもの」(『カイエ・デュ・シネマ』25号、1953年7月)、もう一つは『とんでもない妖精』(ジャン・トゥラーヌ、1956)との対比で『赤い風船』を論じた「禁じられたモンタージュ」(『カイエ・デュ・シネマ』65号、1956年12月)だったからである。あの有名な命題——「出来事の本質的部分がアクションの二つ、ないしはそれ以上の要素の同時的共存に左右されるとき、モンタージュは禁止される」[1]——は、もともと1953年に『白い馬』を論じるなかで書き付けられた。
 バザンは『白い馬』を全体的に評価しながら、ある特定の場面を問題にしている。少年が野性の馬を摑まえようと縄をかける。ところが、馬の力は強く、少年は逆に馬に引き回されることになる。ラモリスは少年が馬に引きずられる様子を(スタンドインを使って)ワンショットで何度も収めながら、馬が立ち止まって少年を見遣るくだりで切り返しを使っている。バザンはこの馬が走り終えた箇所では切り返しに先立ち、「両者を同一のフレームに収めて結びつけておくべきだった」と論じる。ここから「編集禁止」[2]の原則が引き出されることになった。

© Copyright Films Montsouris 1953

『白い馬』© Copyright Films Montsouris 1953

 バザンの論点は主に二つ。まずは、現実に生じている出来事をそのまま捉えることなく、空間的単一性を分割することへの批判である。つまり、「デクパージュ」(切り分けること)への懐疑[3]。ロバート・フラハティは『極北のナヌーク』(1922)で狩人とアザラシを同じショットの中に収めたように、『ルイジアナ物語』(1948)ではクロコダイルがアオサギを捕らえるさまをカメラをパンしてワンシーン゠ワンショットで撮ってみせた。チャップリンは『サーカス』(1928)で自らライオンと同じ檻の中に入り、ライオンと同一のフレーム内でつかのま共存してみせた。もしこうした場面が巧妙なカット割りで構成されていたとすれば、そこにあった緊張感はすぐさま消え失せてしまうだろう。それは実際にカメラの前で起こった。これらの場面の肝をなすのはそうした事実だからである。
 バザンはまた同時に馬と少年の「切り返し」を問題にしている。これは彼が一貫して批判的態度をとってきたいわゆる「クレショフ効果」の応用への批判であり、つまり「モンタージュ」(組み立てること)への懐疑である。無表情の男優の顔に続いてスープが映されると、人はそこに「飢え」を読み取り、スープの代わりに棺だと「悲しみ」、女性だと「情欲」を見るという。バザンは無意味なものに決まった意味を付与するこうした編集技法を評価しなかった。実際、くだんの『白い馬』の場面では、後ろを振り向く馬のショットに続いて泥まみれで横たわる少年のショットが映されていて、さんざん引き回しても縄を手放さなかった少年に対して、あたかも馬が「小僧、なかなかやるな」とでも呟いているかのようなのだ。

© Copyright Films Montsouris 1956

『赤い風船』© Copyright Films Montsouris 1956

 バザンの議論の核にあるのは、結局「死」のことだと喝破したのはセルジュ・ダネーだった[4]。二つの異質なものを同一のフレーム内で共存させる。だが、このとき共存が意味をなすのは、この両者が本来共存しえないものだからである。ナヌークとアザラシにせよ、クロコダイルとアオサギにせよ、チャップリンとライオンにせよ、同じ空間の中で隣り合っているのは一瞬の間にすぎず、この直後にはどちらかの死が待っている。そして、一方に死が訪れれば、つかのまの共存も終わりを迎えることになる。迫り来る死の危険を捉えようというとき、「編集禁止」の原則が適用されるというわけだ。『白い馬』と『赤い風船』がともに最後に彼岸を暗示するように、ラモリスの映画にはつねに死の影がつきまとう。白い馬も、赤い風船も、少年を死へと導く案内人である。バザンが生前見ることのなかった『素晴らしい風船旅行』や『フィフィ大空をゆく』といった長篇もまた例外ではない。
 この点、エルヴェ・ジュベール゠ローランサンが『空飛ぶ手紙——アニメーション映画についての四つの試論』で、「禁じられたモンタージュ」の議論を先取るものとして「すべての午後の死」(『カイエ・デュ・シネマ』7号、1951年12月)を位置付けているのはなるほど正しい見立てといえる[5]。『闘牛』(ピエール・ブロンベルジェ&ミリアム、1951)について論じた文章だが、闘牛とは牛と闘牛士という異質な二つの要素が闘牛場(アレーナ)という同一のフレームの中で共存する見世物である。そこに賭けられるのは文字通りの死にほかならない——「そこに死があり、死(牛と人間の死)がたえず潜在していることをめぐって、闘牛という悲劇的バレエが打ち立てられているのだ」[6]
 バザンはここで生から死への移行を捉えられる点に映画の特性を認めている。写真に捉えることができるのは死の直前(瀕死体)か、もしくはその直後(死体)でしかないからである。同一のフレームに収められる二つの異質なもの、それは畢竟「生」と「死」なのだ。そして、それは「小さな死」(フランス語で「性的オーガズム」を指す)に関してもあてはまる。バザンはそう筆を滑らせてみせる。

© Copyright Films Montsouris 1960

『素晴らしい風船旅行』© Copyright Films Montsouris 1960

 バザンが「禁じられたモンタージュ」をめぐって展開した一連の議論を踏まえると、例えばアンディ・ウォーホルの『ブロウ・ジョブ』(1964)はどう見えるだろうか。まさに「小さな死」を捉えた作品だが、これはいわば「禁じられたモンタージュ」の裏側をなしている。10本の16ミリ・フィルムからなり、フィルムは約3〜4分ごとにフレアを起こしてリール交換となるが、ウォーホルの映画の多くと同じく、持続する時間が編集の作為に頼ることなく収められている。
『ブロウ・ジョブ』とはまずクレショフ効果との戯れである。映画は若い男のクロースアップを30分ほど続けるだけで(映写速度によって異なるが、1秒18コマで36分)、観客は彼の表情から何かを読み取るように誘われるからである。しかし、クレショフが無表情を必要としたのと異なり、ウォーホルの被写体はときに過剰と思えるほど豊かな表情を見せる。目を瞑って上を見上げる。目を見開いて、呼吸を整える。恍惚に耽る表情から力を込めて我慢する顔つきまで、彼は絶え間なく表現しつづける。ところが、それにもかかわらず、男の顔と対になる切り返しショットが与えられないために、彼の顔には特定の意味が付与されることがない。それはつねに曖昧なままだ。
 そもそもこれは演技なのか、そうではないのか。なにより宙に吊られているのはその点だ。男は後半になり、両腕を振り上げて体を仰け反らせるという大きな動きをとる。それはあたかも絶頂を迎えたことの記号として機能する。その後に彼は穏やかな落ち着いた表情をカメラに向け、しばらくすると煙草を吸い始めて映画が終わるのだからなおさらだろう。しかし、この動作はあまりにこれ見よがしに映るため、逆説的に、彼の一連の反応すべてが単なる演技なのではないかという疑念を生じさせることになるわけである。
 また他方、『ブロウ・ジョブ』は画面外と戯れる映画である。バザンがフレームの中にアクションを収めることを旨としたとすれば、ウォーホルはタイトルが示唆するアクション(オーラル・セックス)をつねに画面外に追いやっている。観客の目の前に提示されるのはアクションではなく、あくまでリアクションでしかない。小さな死は——たとえそれが実際にそこで起きたことであったとしても——間接的な表現としてしか与えられない。タイトルの示す主題はフレームの外に、いや、もっといえば絶対的なフレーム外とでも形容できるところに——つまりは観客の頭の中に——存在させられる。実に見事な手捌きである。

Cover of video for 1964 short film Blow Job (1964 film)
By Andy Warhol – IMDb, Fair use, Link

 

 バザンの「禁じられたモンタージュ」とウォーホルによるその反転。こうした知的遊戯を踏まえたうえで作られたにちがいないのが、意外にもヴェルナー・ヘルツォークの『グリズリーマン』(2005)。アラスカでグリズリー(熊)の保護活動をし、長年熊の生息地で生活していたティモシー・トレッドウェルについてのドキュメンタリーである。
 トレッドウェルは自身の活動をビデオで記録していた。いかにして熊と同一のフレーム内に収まるかに努めるその姿は、どこからどう見てもバザンの「禁じられたモンタージュ」の実践そのものである。しかも、彼は最後は熊に食われて亡くなった。ヘルツォークはその事実を映画の早い段階で明かし、彼と熊とを収める画面にはつねに死が潜在していることを始終仄めかしている。
 作中、ヘルツォークがトレッドウェルに対して唯一批判的に見えるくだりがあるが、それは熊の顔のクロースアップをめぐるものだ。ヘルツォークは熊の顔を見て、ここには何の思いやりも協調性もないのだと、自然の無関心だけがあるという。にもかかわらず、彼はこの熊を友人だと思っていたのだ、と。無表情に感情を読み取らずにはいられない、あたかもクレショフ効果に囚われてしまった者を批判するように。
 それだけではない。トレッドウェルは熊たちに人間と同じような名前を付け、その関係を人間関係になぞらえ、一種の擬人法によって動物たちを理解しようとしていた。バザンによる『とんでもない妖精』批判の議論を思い出しておきたい。バザンはクレショフ効果を用いたモンタージュの機微で動物を人間に見立てる、その擬人法をこそ問題視した。トレッドウェルは「編集禁止」の原則を地で行きながら、それを大事なところで徹底させることに失敗したのだった。
 トレッドウェルは自分が熊に捕食されるときにもカメラを回していた。ヘルツォークいわく、レンズにキャップがかけられたままで映像はすべて暗転しているが、音声はしっかりと記録されているという。生から死へと移行する、その瞬間の記録。
 ヘルツォークは音声を観客に聞かせるかわりに、それをヘッドホンで聞く自分の姿を見せる。そして、聞きながら内容を言葉で描写していき、最終的には黙り込んで自らをフレームアウトさせ、向かいに座るトレッドウェルの友人へとカメラを向けていく。観客に示されるのは、無言で音声を受けとめるヘルツォークを前に静かに動揺する彼女の顔のクロースアップ。かくしてトレッドウェルの断末魔の叫びは永遠のオフスクリーンを響きわたることになる。そう、まるで『ブロウ・ジョブ』のように。

『グリズリーマン』予告編(本作はYouTubeU-NEXT等で配信あり)


[1]  アンドレ・バザン「禁じられたモンタージュ」、『映画とは何か(上)』野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳、岩波文庫、2015年、94頁。
[2]  「Montage interdit」には「禁じられたモンタージュ」という訳語が与えられるのが通例だが、もしこれを交通標識の「通行禁止(Passage interdit)」をもじったものと考えるなら、「編集禁止」くらいのニュアンスで捉えた方が適切といえる。この言葉遊びにはこうしたユーモアが込められている。
[3]  ただし、バザン自身の用語法ではモンタージュとデクパージュは対立する概念として捉えられている。例えば「ペリの危機」(『カイエ・デュ・シネマ』83号、1958年5月)でのように、モンタージュを批判するためにデクパージュを擁護するという論述がとられることもある。なお、バザンは「ペリの危機」を「禁じられたモンタージュ」の続篇と位置付けている。
[4]  Cf. Serge Daney, « L’écran de fantasme (Bazin et les bêtes) », La Rampe. Cahiers critique 1970–1982, Cahiers du cinéma, coll. « Petite bibliothèque des Cahiers du cinéma », 1996.[セルジュ・ダネー「バザンと獣たち」梅本洋一訳、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』13号、1994年]
[5]  Cf. Hervé Joubert-Laurencin, La Lettre volante. Quatre essais sur le cinéma d’animation, Presses de la Sorbonne Nouvelle, 1997, p. 15–34.
[6]  André Bazin, « Mort tous les après-midi », Cahiers du cinéma, nº 7, décembre 1951.[アンドレ・バザン「すべての午後の死」『映画とは何かII 映像言語の問題』小海永二訳、『小海永二翻訳撰集4』、丸善、2008年、244頁。訳文を一部改めた]

 

『赤い風船 4K』『白い馬 4K』
《映像詩人アルベール・ラモリスの知られざる世界》

『赤い風船 4K』 4K版日本初公開 Le Ballon Rouge
1956年|フランス|フランス語|35分|カラー|スタンダード
監督・脚本:アルベール・ラモリス
撮影:エドモン・セシャン
編集:ピエール・ジレット
音楽:モーリス・ルルー
出演:パスカル・ラモリス、サビーヌ・ラモリス、ジョルジュ・セリエ、ヴラディミール・ポポフほか
日本語字幕:星加久実
© Copyright Films Montsouris 1956
配給:セテラ・インターナショナル

『白い馬 4K』 4K版日本初公開 Crin Blanc
1953年|フランス|フランス語|40分|白黒|スタンダード
監督・脚本:アルベール・ラモリス
撮影:エドモン・セシャン
編集:ジョルジュ・アレペー
音楽:モーリス・ルルー
出演:アラン・エムリー、パスカル・ラモリス、ローラン・ロッシュ、フランソワ・プリエほか
日本語字幕:星加久実
© Copyright Films Montsouris 1953
配給:セテラ・インターナショナル

『小さなロバ、ビム 4K』 日本劇場初公開 Bim le petit âne
1951年|フランス|仏語|55分|白黒|スタンダード
監督・脚本:アルベール・ラモリス
共同脚本&語り:ジャック・プレヴェール
編集:マリティ・クレリス
日本語字幕:星加久実
© Copyright Films Montsouris 1951

『素晴らしい風船旅行 4K』 4K版日本初公開 Le Voyage en Ballon
1960年|フランス|仏語|84分|カラー|スコープ
監督・空中撮影:アルベール・ラモリス
撮影:モーリス・フェルー、ギイ・タパリー
編集:ピエール・ジレット
音楽:ジャン・プロドロミデス
出演:パスカル・ラモリス、アンドレ・ジル、モーリス・パケほか
© Copyright Films Montsouris 1960

『フィフィ大空をゆく4K』 4K版日本初公開 Fifi la Plume
1965年|フランス|仏語|78分|白黒|スタンダード
監督・脚本:アルベール・ラモリス
撮影:ピエール・プチ、モーリス・フェルー
編集:マドレーヌ・ギュ
音楽:ジャン=ミシェル・ドフェイ
出演:フィリップ・アブロン、ミレイユ・ネーグル、アンリ・ランベール、ラウール・ドルフォスほか
日本語字幕:横井和子
© Copyright Films Montsouris 1965

公式サイト:https://www.akaifuusen4k.com/
公式X(Twitter):https://x.com/Akaifuusen4K
全国公開中

 

バナーイラスト:大本有希子 https://x.com/pipipipiyo