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2026.01.06

第19回 私たちはもはや無垢ではない——ティト・カタコラ&オスカル・カタコラ『少女はアンデスの星を見た』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回の映画時評(毎月初頭に更新)。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回はティト・カタコラ&オスカル・カタコラ『少女はアンデスの星を見た』。監督であるオスカル・カタコラが撮影の最中に帰らぬ人となったのち、撮影監督であったティト・カタコラによって完成された本作に刻まれた、「物語を語る」ことに伴う困難とはいかなるものなのでしょうか。

 批評とは価値の創造を目指すべきものであって、けっして価値判断の快楽に溺れてはいけない。いつからかそんなふうに考えるようになり、いまも自分への戒めとしてずっと念頭に置くようにしているのだけれど、以前に某誌の星取りレビュー(作品を五段階で評価し、その短評を書くもの)を担当したおりにはゲームの規則にのっとり、これは傑作だの駄作だのと好き放題に書き散らした。なかでも印象に残っているのは、オスカル・カタコラの『アンデス、ふたりぼっち』(2017)。これはとんでもない映画作家を発見してしまったと、興奮した筆致で絶賛の限りを尽くしたと思う。
 しかし、この発見は喜びとともに悲しみをもたらすものだった。『アンデス、ふたりぼっち』が日本で公開されたのは2022年7月。オスカル・カタコラは2021年11月にすでに34歳の若さで亡くなっていた。たぐいまれな才能が初長篇のみを残して没するとはなんとも無念なことだと胸が痛んだ。
 このたび公開の運びとなった『少女はアンデスの星を見た』(2023)はオスカル・カタコラの第二作にあたる作品という。彼はこの映画の撮影中に病に倒れ、これまで映画作りをともにしてきた叔父のティト・カタコラがその遺志を引き継ぎ完成させたということだ。

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

 ティト・カタコラ(1976年生まれ)とオスカル・カタコラ(1987年生まれ)はともにペルーはプーノ州のアコラ地区の出身。標高は3850m、チチカカ湖の西側に位置する。二人は先住民族であるアイマラ族にルーツを持つ。
 2007年、二人は映画製作会社シネ・アイマラ・ストゥディオスを設立し、映画製作に乗り出した。オスカル・カタコラが監督・主演した中篇『エル・チュロの道』(2007)でティト・カタコラは撮影監督を務め、シネ・アイマラ・ストゥディオスの監督作とクレジットされる長篇『エル・スーペル・チョロの復讐』(2013)は、脚本にオスカル・カタコラ、撮影監督にティト・カタコラを配している。いずれも犯罪映画や西部劇といったジャンル映画に属す作品だという[1]。2017年、それまでとは作風を一変して作られたのが、ティト・カタコラが製作を担当し、オスカル・カタコラが監督・脚本・撮影を務めた『アンデス、ふたりぼっち』だった。全篇がアイマラ語で撮られたのはこれがペルー映画史上初のことだといわれる。原題「ウィニャイパチャ」はアイマラ語で「永遠」を意味する。
 その後、2021年にティト・カタコラは初監督作となるドキュメンタリー『アルパカと生きる喜び』(原題「パクチャ」は「アルパカの精霊」のこと)を仕上げ、この作品をオスカル・カタコラは撮影監督として支えた。ティト・カタコラは2023年に甥オスカルが残した『少女はアンデスの星を見た』を完成させ、翌2024年にはオスカルの脚本による『不屈の人々、インカ帝国最後の伝説』を自ら監督してみせ、ふたたび故人の遺志を継いだ。18世紀末、スペイン統治政権に対し、トゥパク・アマル率いるインディオたちが反乱を企てた歴史的事件を描いた作品とのことである。二人は自分たち家族のルーツであるアイマラ族に一貫した関心を注いできたが、この最新作では伝統文化への愛着が初期に手がけていたB級ジャンル映画の美学と融合を果たしたのではないかと想像される。日本公開が待たれる一作だ。

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

 さて、率直な感想をいうと、『少女はアンデスの星を見た』を見て少し戸惑った。『アンデス、ふたりぼっち』とはだいぶ感触が違う。『アンデス、ふたりぼっち』がある種の確信とともに撮り上げられていたのと比べると、『少女はアンデスの星を見た』には良かれ悪しかれ迷走の跡が残る。そんな気がしたのである。やはりオスカル・カタコラの不在は大きいということなのか。
 なるべく平たく考えてみると、迷走の理由ははっきりしていると思う。物語を語ることに自覚的になってしまったということである。
 その結果、まずは、前作では問われることのなかった視点や語り手といった上位の審級を想定せざるをえなくなったのだろう。この映画の原題は「ヤナワラ」といい、少女ヤナワラの受難こそが主題であるにもかかわらず、物語はあくまで祖父の視点によって枠付けられている。映画は老人の回想として始まりながらヤナワラをいわゆる焦点人物として据え、語り手が立ち会ってはいない光景を次々と映し出していく。ヤナワラしか知りえないはずのこと(固有の経験)が祖父の語り(制度)にこうして回収されるわけである。物語を語るために構造を明示的に示したはいいが、それが欺瞞として作用する結果となってはいないだろうか。
 また他方、物語を伝えることに腐心するあまり、不要なショットが重ねられ、いかにも冗長な映画になっている。たとえば、ヤナワラが教師を殺す場面である。夜、彼女は忍び寄ってきた男の首にナイフを一突きする。ナイフが首に刺さった「サクッ」という音が聞こえればそれで十分であるにもかかわらず、映画は続いてヤナワラが握る血の滴ったナイフをクロースアップで映し、その後に狂ったようにナイフを何度も打ち下ろす彼女の姿、垂れ下がった男の手、茫然とした彼女の表情といったように畳みかけるようにショットを連鎖させていく。ティト・カタコラはいたるところで新藤兼人の『鬼婆』(1964)を引き合いに出しているが、それはあくまでも表面的な見た目の問題にすぎない。主題的な関連からすれば、せめてロベール・ブレッソンの『少女ムシェット』(1967)をこそ参照すべきではなかったか。

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

 ひるがえって考えるに、『アンデス、ふたりぼっち』が湛えていた無邪気なまでの映画の喜びは『アルパカと生きる喜び』の撮影時に失われたのだった。
 エミリオ・ブスタメンテ——ペルーの映画批評家でオスカル・カタコラにはその初中篇から注目していた——は、『アンデス、ふたりぼっち』が『ククリ』(ルイス・フィゲロア、エウロヒオ・ニシヤマ、セサル・ビジャヌエバ、1961)から大きな影響を受けつつも、両者の間には本質的な違いがあることを指摘している[2]。『ククリ』は先住民族の農民たちを起用し、先住民言語のケチュア語で会話が交わされる映画で、伝統文化の数々をドキュメンタリーのように記録した劇映画だが、状況を説明するナレーションはスペイン語であり、監督たち自身は都市部に住む知識人で、主演のククリが任せられたのは監督の妹(地主の子孫にあたる)だったという点ではあくまで先住民たちは観察される対象だった。しかも、被写体を捉えるカメラはつねに俯瞰気味であり、そこには上から見下ろす作り手たちのパターナリスティックな態度が無意識に反映されていた。それに対し、自身が先住民族の子孫にあたる『アンデス、ふたりぼっち』のオスカル・カタコラは、カメラを被写体と同じ水準に置き、被写体と対等の関係を築くことに成功している。監督はカメラの位置に関し、アンデスと床座文化を共有する日本の映画作家(とりわけ小津安二郎)から多くを学んだようである。
 ところが、『アルパカと生きる喜び』では、前作では巧みに避けることができたハイ・アングルが多く使用されている。そこで行われる儀式の詳細や参加者たちの振る舞いの一切を視界に収めたい。カメラ・ポジションの選択はそうした意図から必然的に導かれたものだろう。だが、作り手側は自分たちの選択が同時に問題含みであることに無自覚的ではいられなかったはずだ。おそらく、監督のティト・カタコラと撮影のオスカル・カタコラの二人はこの葛藤に引き裂かれた。
 カメラをどこに置くか。視点をどこに据えるか。それこそがまずは向き合うべき課題になる。伝統的な共同体のあり方を理想化することなく、少女が家父長制の中で受ける受難を語るべきである。しかし、自分たちもまた成人男性である以上、少女の視点を占めるわけにはいかない。あくまで男性の視点からそれを語らなければならない。
『少女はアンデスの星を見た』には前作を経たうえでの試行錯誤の痕跡が刻まれている。劇中、教師に言い寄られたヤナワラが教室を逃げ出す場面で、物語に介入することなく客観的に置かれていたはずの非人称のカメラがふいに揺れる。初見時には不可解に思ったものだが、あのカメラの動揺もまたそうした痕跡の一つだったのだ。


[1]   Cf. Alonso Almenara, Emilio Bustamante, “Óscar Catacora: Looking and feeling the world from the Andes”, Vist, January 19, 2023. URL: https://vistprojects.com/en/oscar-catacora-looking-and-feeling-the-world-from-the-andes/
[2]  Ibid.

『少女はアンデスの星を見た』Yana-Wara
2023年|アイマラ語|104分|モノクロ|4:3|ペルー|
監督:ティト・カタコラ、オスカル・カタコラ
脚本:オスカル・カタコラ
撮影:フリオ・ゴンザレス、 ティト・カタコラ、オスカル・カタコラ
編集:ティト・カタコラ
プロデューサー:ティト・カタコラ
出演:ルス・ディアナ・ママニ、セシリオ・キスぺ​

字幕翻訳:矢島千恵子
アイマラ語監修:マリオ・ホセ・アタパウカル

©2023 CINE AYMARA STUDIOS​

後援:在日ペルー大使館、日本ペルー協会
​配給:ブエナワイカ

公式サイト:https://www.buenawayka.info/yanawara-01

新宿K’s cinemaほか全国順次公開中

 

バナーイラスト:大本有希子