映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回の映画時評(毎月初頭に更新)。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回取り上げるのは、ジョシュ・サフディ監督の『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』。映画において卓球とはいかなる競技か、あるいは卓球ボールとは何か? セルジュ・ダネーの「テニスボール」を論じた文章から、本作の「マーティ」のありようについて考えます。
映画の題材として、卓球にはどのような問題が託されているのだろうか。テーブル・テニスこと卓球はテニスと同じなのか、それともまったく異なるのか。そんなことをつい考えてしまうのは、セルジュ・ダネーがテニスボールについて語った文章のことが念頭にあるからである。
テニスボールが何を表象しているか、考えたことはあるだろうか。たとえば、もしあなたがテレビ視聴者なら、テニスボールはあなたの視線を表象している。カメラがつねに高所に置かれるのはそれゆえであり、そうすることで視聴者がボールの軌道をいっさい失わないように、自分の視線を見失わないように、恥ずべき「間違った」ボールと申し分ない「正しい」ボールとをお茶の間から区別できるようにしているのである[1]。
卓球とテニスとは、まずボールのあり方が異なっている。卓球のボールは観客からはほとんど見えない。ボールを見ることができるのは、動体視力に優れた競技者である。『マーティ・シュプリーム』は冒頭からボールの視認性を俎上にのせるが、それはあくまで競技者にとっての話だった。実際、ラリーの場面が、競技者二人を収めたエスタブリッシング・ショットと、向かい合う双方を交互に捉えるショット゠リヴァースショットの組み合わせというきわめて古典的な編集からなっているのはそれゆえであり、ピンポン球は各ショットを強固に繋ぐための見えない糊代の役割を果たしている。また、たしかに中盤頃の試合の場面で観客が揃って両目を左右に動かすというショット——テニスの場面といえば恒例のもの——が挿入されることはあったが、このショットにしても観客の視線とボールとを対応させる目的で入れられたわけではなかっただろう。高速でラリーされるピンポン球の速度を思えば観客の目の動きはあまりに悠長であり、両者の不一致こそがむしろ前景化されていた。
では、卓球ボールとは何か。
『マーティ・シュプリーム』は卓球が競技であると同時に、スペクタクルであることを全篇通して示していく。マーティは先輩選手にして友人のベラ・クレツキの誘いを受け、ハーレム・グローブトロッターズ(バスケットボールのエキシビション・チーム)の世界ツアーに同行し、ハーフタイムで卓球を使ったアトラクションを披露することになる。ボールを増やして何個も同時に打ち合うとか、ラケットの代わりに鍋やフライパンを使って《きらきら星》を演奏するとか、卓球台を極小にして二人ともコートに寝そべり肘をついて打ち合うとか、はたまたアシカと勝負するとか、卓球選手の器用さは曲芸をなんなくこなし、素晴らしい見世物を提供することができる。いや、本来ことさらに演芸化する必要もないのだ。ロックウェル・インクの社長が日比谷公会堂でのエキシビション・マッチを企画するのは、卓球の試合そのものがショーになりうるからである。
つまり、卓球のボールは視線の対象でもなければ、視線の表象でもない。それは卓球というスペクタクルを成り立たせるための条件をなしている。もし仮に観客がボールの軌道ではなく、選手の動きしか見ないとしても、ボールがなければ競技は単なる茶番と化し、スペクタクルが現出することもないからだ。ちなみに、この映画では、ボールは多くの場合CGIによって付け加えられたものだという。卓球の試合を演じるのはダンスの振り付けを憶えるに等しかったとティモシー・シャラメは語っている(劇場用パンフレット所収のインタビュー)。

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スペクタクルの必要条件としてのピンポン球。『マーティ・シュプリーム』が徹底してボールをめぐって展開していくのはそのような考えあってのことだ。物語を一言で要約すれば、「マーティ、卓球ボールになる」だろう。タイトルの「マーティ・シュプリーム」とは、彼の名を冠したボールの名称である。
視認性の高いオレンジ色のボールを開発して商品化する。マーティは友人の父にアイデアを売り込む際に、白いユニフォームを着て白いボールを打ち合うと、ボールと選手が一体化して見えなくなる。だから、色付きのボールにビジネスチャンスがあると息巻く。ボールが白ければ現状のように黒いユニフォームを着るしかないが、ボールをオレンジ色にすれば、テニス選手のように格好のいい白いユニフォームを着ることができる。こちらのほうが見栄えがいい、つまり見世物性を高められるという論法だ。
結局、マーティは説得に失敗し、「マーティ・シュプリーム」なるオレンジボールが販売されることはない。だが、マーティはここ一番というときに白い衣装で現れる。ボールになることができないならば、せめてボールと一体化しようとでもいうかのように。
最後に日比谷公会堂で開かれる、マーティとエンドウとの二度にわたる対決。映画のクライマックスというべき場面である。ロックウェル・インク社が自社製品の販促として開き、合衆国代表のマーティを破って世界王者の座についたエンドウに誰でも挑戦できるという一般参加型のイベントだが、実はその中にマーティが紛れ込んでいて、ふたたび世界選手権の決勝戦が再演されるという筋書きである。しかも、日本市場の開拓を見込んで日本人を喜ばせるべく、エンドウが接戦を制するという八百長である。挑戦者たちを迎えるエンドウは黒いジャージを着ているが、一般参加者に混じり普段着のマーティは白いブルゾンに身を包んでいる。
マーティは一度は筋書き通りに負けてみせるが、さて罰ゲームを受けようという土壇場になって再挑戦を申し出る。この試合がやらせでしかないことを暴露し、「本当の試合(real game)」をやろうじゃないかと観客を巻き込んで2回戦目を実現させる。そして気合いを入れ直した両選手がいざ上着を脱ぐと、マーティは白いワイシャツ、エンドウもまた白いTシャツで、あれほど競技に不向きだとされていた白色を二人はこの「本当の試合」で纏うことになる。卓球というスペクタクルを成り立たせる条件となった二人は、かくしてピンポン球に擬態するというわけである。
ロックウェルがマーティを日本に連れて行く条件として提示したのがなぜ卓球のラケットによる尻打ちだったのか、その理由はいまや説明するまでもないだろう(と言いつつ、やはり言わずにはいられない)。マーティはボールにならねばならなかった。そういうことなのだ。

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これまで二人で活動してきたサフディ兄弟が、今回、兄ジョシュは『マーティ・シュプリーム』、弟ベニーは『スマッシング・マシーン』と別々に監督作を手がけたことで、二人の方向性の違いが明瞭になった。ジョシュはこれまで兄弟作でも脚本と編集を担ってきたロナルド・ブロンスタインと引き続き組むことで、『グッド・タイム』(2017)や『アンカット・ダイヤモンド』(2019)の路線を継承し、行き当たりばったりの人物を主人公に据えてみせる。壁にぶつかっては跳ね返るを繰り返すあたかもピンポン球のようなマーティ、こうした人物像はつまるところジョシュ・サフディとロナルド・ブロンスタインの制作スタイルを体現するものだ。
脚本を練り上げ、その設計図に沿って撮影をし、適切なテイクを選択してあらかじめ決められたとおりに編集をして仕上げる。彼らが目指すのは、その反対である。脚本、撮影、編集のすべての段階を予想のつかない冒険にし、その都度なりゆきまかせで映画を作っていくこと。大スターが出演し、製作費7000万ドルの大規模作品であっても、そういうリスキーなやり方を貫くこと。完成稿はあるが、監督は即興を多く取り入れるため、脚本家も現場に立ち会い、撮影中もリアルタイムで脚本を書き直していくという。
一般に、ハリウッドでは編集が撮影中から始められ、撮影されるや素材は脚本に応じてどんどん編集されていく。それに対し、ジョシュ・サフディとロナルド・ブロンスタインは「撮影後に初めて編集に入る」のを大事にしているようだ。ブロンスタインは「脚本家であると同時に編集者でもあることには利点がある」という。「脚本家に対して何の敬意も抱かなくていいし、脚本家を馬鹿扱いして、その仕事をめちゃくちゃにできる。これがひときわ自由をもたらしてくれます。編集がすべてをやり直す機会となるからです」[2]。
先のことなど見越さず、ただの目の前のことに注力する。マーティはコートの内でも外でもそんな行動原理を貫いていく。その影響を受けてか、レイチェルもまた。

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註
[1] Serge Daney, « Des balles si lourdement chargées… », Ciné journal 1981–1986, Cahiers du cinéma, 1986, p. 30.
[2] Charlotte Garson, « Le parti pris du pongiste. Entretien avec Ronald Bronstein », Cahiers du cinéma, nº 828, février 2026.
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 Marty Supreme
2025年|アメリカ|英語|149分|G
監督:ジョシュ・サフディ
脚本:ロナルド・ブロンスタイン、ジョシュ・サフディ
撮影:ダリウス・コンジ
編集:ロナルド・ブロンスタイン ジョシュ・サフディ
美術:ジャック・フィスク
音楽:ダニエル・ロパティン
出演:ティモシー・シャラメ、グウィネス・パルトロウ、オデッサ・アザイオン、ケビン・オレアリ―、タイラー・オコンマ(タイラー・ザ・クリエイター)
公式サイト:https://happinet-phantom.com/martysupreme/
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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TOHOシネマズ 日比谷 他 大ヒット上映中
バナーイラスト:大本有希子
