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2026.04.23

第一回 記者会見

ベルリン作業ノート / 高山明

演出家・アーティストの高山明が、現在制作中の大型プロジェクトについて綴る作業ノート。2026年8月末よりベルリンの環状鉄道リングバーン各駅にて開催される「What If Berlin(もしもベルリンが?)」の進展と停滞を同時並行的に記録する。
第1回では、その全体像を概観しつつ、
記者会見のために渡独した2026年2月の滞在を振り返る。

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 2026年2月24日、朝の6時に東京を出て、イスタンブールを経由し、夜の11時にベルリンの宿に到着した。家を出てから25時間かかったことになる。何度来ても長く、疲労困憊である。今回のホテルはオストクロイツという駅の近くにした。ベルリンを約1時間で周回するリングバーンという路線があって、全部で27駅、山手線と同じように内回りと外回りがある。ベルリンで最も汚く、物騒で、多くのベルリナー(ベルリン市民)から嫌われている路線らしい。その東の端に位置するのがオストクロイツ駅だ。「旧東ベルリン時代はまったく何もない暗黒の地区だった。今は再開発されてますます醜くなっている。極右政党の支持者も多い」と旧東ベルリン出身のドラマトゥルクの友人がうんざりした顔で貶していたことがあり、かえって見てみたくなった。実際に来てみると、ベルリンの東側のハブとなっている巨大な駅を中心に、周りには洒落た店が並び、少し駅から離れると更地が広がり、デベロッパーが至る所でホテルやアパートメントの建設を進めている。私のホテルはリングの外側に位置し、従って再開発の最中にあり、かなり殺風景なところだが、ますます高騰する家賃がまだ比較的安いせいで、若いドイツ人を多く見かける。ドイツなのだけれどもドイツ人の多さに驚いてしまうほどだ。逆に、馴染みのあるクロイツベルクなどに比べると明らかに移民が少ない。

作業場のリングバーン路線図

 1年半ほど前から継続的にベンリンに来ているのだが、それは、2026年8月末から9月にかけて開催されるBerliner Festspiele(ベルリナー・フェストシュピーレ)75周年記念イベントに向けた演劇プロジェクトの準備のためだ。2月26日に記者会見があるというので早めにベルリン入りし、1月ほど滞在することになった。ベルリナー・フェストシュピーレのディレクターであるマティアス・ペースから、記者会見用の質問が送られてきていた。ちょうど飛行機に搭乗する前に届いたので、それぞれの質問にどう答えようかと機内でシミュレーションを繰り返した。記者会見用に用意されたマティアスからの質問と、私が準備した回答をまとめてみたい。

ベルリナー・フェストシュピーレ劇場

質問1:私たちの75周年記念のためにプロジェクトを制作するという私の招待に対して、あなたはどのように反応しましたか。また、あなたのプロジェクトの中心的なコンセプトは何ですか。

 今回の話がスタートしたのは2024年11月にベルリンを訪ねた時のことでした。マティアス・ペースとティアー・ガルテン[ベルリン動物園に隣接する広大な公園]を何時間も散歩している時に、こんな問いを投げかけられました。「旧西ベルリンの代表的文化機関・劇場という印象の強いベルリナー・フェストシュピーレを、どうすれば旧東ベルリンにうつせるか?」
 私はこの問いを大変面白いと感じました。旧東ベルリンに「うつす」といっても、当然ながら新たに劇場を作ることが期待されているわけではありません。そんなことは不可能でしょう。だからこそ余計にやりがいがあります(「うつす」は「移す」かも知れないし、「映す」、「写す」……あるいは「空す」かも知れません)。私はベルリンの町を歩きまわりながらこの問いについて考え続けました。
 すると次第に、私の関心は、東・西の分断から中心・周縁の分断の方に移っていきました。その境界線はリングバーンです。私が感じた印象をいうと、リングバーンの内は裕福で国際的、物価や家賃は高く、政治的にはリベラルで、いろいろなものが混在している。リングバーンの外はというと、ドメスティックでありながら新たに移住した移民(ニューカマー)が少なくなく、比較的安価に生活でき、政治的には保守、元からそこに住んでいたドイツ人が多いのではないでしょうか。ざっくりとした印象で勝手に括ってしまいましたが、私にはこの分断の方がベルリンという都市にとって今や大きな亀裂になっているように見えます。敢えていえば、リングバーンが新たな「壁」になっている。そこで次のような問いを立てました。「ベルリン中心部の代表的文化機関・劇場であるベルリナー・フェストシュピーレを、どうすればリングバーンにうつせるか?」つまり、「リングバーンを劇場にするにはどうすればいいか?」この問いへの応答が、プロジェクトの中心コンセプトです。


質問2:リングバーンでは具体的に何が起こるのでしょうか。観客は何を体験することができますか。

 観客は、まずリングバーンの三つの駅に設えられた「ツアー・スタンド」の1つを訪ねます。「ツアー・スタンド」とは、チケットセンターと集合場所を合わせた私たちのキオスクで、スタート/ゴール地点の役割を担います。そこにツアーガイドが待っていて、観客はガイドによるイントロダクションを聞き、グループになってツアーに出発します。ツアーガイドは、日常的にベルリンをガイドしているプロの人たちで、このプロジェクトのためにオーディションを経て24人が選ばれました。
 リングバーンに乗って各駅を訪ねるのですが、それぞれの駅のプラットフォームにはガイドがプレゼンテーションを行うためのセットがあり、プロジェクトのタイトルと関連ドキュメントが埋め込まれています。これらは全て舞台美術家のバーバラ・イネスによってデザインされます。いわばガイドが演じるための装置ですが、そこで「上演」されるのは、かつてベルリンで構想されたけれども実現されずに終わったプロジェクトの数々です。それが1駅につき1つずつ、都市計画、芸術祭、建築プラン、学校の計画、自由ラジオ局、上演や上映を許可されなかった演劇や映画、社会運動……といった分野から紹介されます。セットに埋め込まれたドキュメントが参照され、その駅周辺で実現されるべき理由と、今実現されるとしたらこんな形がありうるのでないかという提案が語られます。ツアーを終えた観客は、別の「ツアー・スタンド」へと誘導され、ベルリンの未来のためにどのプロジェクトを実現したいかという投票を行います。本プロジェクトは、「What If Berlin(もしもベルリンが?)」というタイトルがつけられました。そのタイトルからも分かるように、観客は過去に成就されずにベルリンを彷徨っている「幽霊プロジェクト」に出合うことで、それらが〝帰還〟する場としての未来を、ねじれた形で体験することになります。

質問3:リングバーンで提示される具体的なプロジェクトについて、さらに詳しく教えてもらえますか。

 リサーチャーが3人がかりで調べてくれた200個ほどのプロジェクトのなかから、現在27個を選ぶ作業をしています。まだ途中なのですが、その中にはベルリナー・フェストシュピーレが企画したものも含まれています。それを1つだけ紹介しましょう。
 1976年、アメリカ人アーティストのゴードン・マッタ゠クラークは、Akademie der Künste(ベルリン芸術院)とBerliner Festwochen(ベルリナー・フェストシュピーレの前身)が企画した展覧会「New York – Downtown Manhattan: SoHo」に招待されました。マッタ゠クラークはベルリンの壁の一部をダイナマイトで爆破するプランを考えていたのですが、友人たちによる説得の末、彼はこの試みを断念しました。計画を断念したマッタ゠クラークは、代わりにベルリンの壁を使った別の介入行為を行いました。記録フィルムが残っており、そこにはマッタ゠クラークがコンクリートの壁に「MADE IN AMERICA」と書き、既存のグラフィティの上にドイツ人なら誰もが知っている商業広告を貼り付ける様子が映されています。「The Wall」というこのプロジェクトは、これはこれで大変興味深いのですが、私たちが取り上げたいのは未実現の試み、つまりベルリンの壁を爆破して穴を空けるというプランの方です。これをどう「再演(reenact)」することができるのでしょうか?
 まだ実現されていないのに、「再演(reenact)」というのはおかしいのではないかと思われるかもしれません。しかし、ある計画が立てられた時点で、ヴァーチャルではあるけれども世界に存在するようになり、それをリアルな空間に重ねることで、ヴァーチャル空間とリアル空間が干渉し合い、双方が形を変えながら生成変化していくのが、プロジェクトという実践のそもそもの働きです。未来は、〝未だ来てない〟のに、〝すでに〟存在している。その〝すでに〟を〝やり直す〟という意味を込めて「再演(reenact)」と呼びたいのです。ただ、「再演」しようにも東西を隔てていた壁はもう存在しません。私がこのプロジェクトを紹介する駅に選んだのはInnsbrucker Platz(インスブルッカー・プラッツ)です。もちろんリングバーンの駅の一つです。
 この駅は、プラットフォームのすぐ脇に新しく建てられた高層住宅が覆いかぶさるように迫っています。その隣には同じような建物の建設が始まっていて、「What If Berlin」が始まる8月末には線路脇に巨大な2枚の壁が聳えていることでしょう。「The Wall」の再演は、まさにここで行われます。つまり、東西を分断していた壁の代わりに現れたリングバーン上の「壁」に、新自由主義的で排外主義的な分断を増長する新たな「境界」に、穴を空けるのです。しかし、どのように? ダイナマイトを使って爆破するわけにいかないので、まったく別の方法を考案しなければなりません。答えはまだ見つかっていませんが、8月末にはインスブルッカー駅のプラットフォーム上で提案されることになります。それはマッタ゠クラークが試みようとして果たせなかった、壁による社会的・空間的支配を別種の「暴力」によって可視化・破壊する「再演」プランになることでしょう。

Innsbrucker Platz駅の風景。プラットフォーム上の道具小屋には「The Wall」の映像からキャプチャーしたイメージが貼り付けられている。そのセットの前で、ガイドは「The Wall」の紹介と、「再演」のアイデアを提案することになる。

 以上が記者会見用に準備した回答である。ちなみにこうした場合、私は滅多に話すことを紙に書かない。せいぜい忘れないようトピックをメモしておくくらいだ。テキストを朗読するというのはかえって緊張するし、うまく読めるかどうかしか出来不出来の基準がなくなってしまうのはつまらない。そもそも私の朗読は下手すぎる。暗記が不得手というのもあるが、いくら準備しても本番では多かれ少なかれ話がずれていくので、自分が何を話すのかに興味を持つことができる。要するにどうなるか分からない状態で臨みたいのだ。本番の緊張感のなか、何が起きるかに期待したい気持ちがあるのだろう。切羽詰まったなかで出てきた表現が、思いがけない発見につながったりするのである。
 実は今回の「What If Berlin」は、リングバーンを劇場にするプロジェクトのスタートに過ぎず、プラットフォーム上の仮設セットや、ガイドによるパフォーマンスだけでリングバーンが劇場になるとは考えていない。そんな程度では、街中で劇を上演するだけで「劇場を捨て街へ出た」と謳い、そのくせ劇場が持っている構造や都市との関係には無自覚で、更新を加えないどころか、むしろ劇場の閉塞的構造を強化しまっている市街劇もどきと同様になってしまう。75周年記念イベントでの「What If Berlin」が終わり、どのプロジェクトを実現したいかという投票結果が出た後、リングバーン上で(実際には各駅の近くで)、順番にプロジェクトを実現していくことができれば、その時はじめてリングバーンが劇場になるチャンスが訪れるはずだ。ほとんどの未実現プロジェクトが市の中心部で構想されたものだが、それらをリングバーンという内外の境界に配置し直すのである。その劇場というのは、芸術作品を鑑賞する場であることを放棄した、〝プロジェクトの孵化装置〟であり、リングバーン内外の人々が集い、混じり合ってプロジェクトの社会実装を試みる場になるだろう。27個のプロジェクトがリングバーン上で実現され、小さくて親密な、用途によって変形可能な劇場のネットワークを形成した時、リングバーンはフェストシュピーレに代わる「劇場」となる。新たなベルリンの「壁」は、壁であることが可視化されると同時に、たくさん穴の空いた、透過性のある文化的リングへと変容するのだ。
 記者会見の緊張のなか、そんな構想まで先走って話してしまうかもしれない。それが楽しみなのである。

 大きな記念イベントの記者会見だし、込み入った話を英語でやるのは難儀なので、少し緊張しながらフェストシュピーレ劇場に向かった。機内で準備した回答を頭のなかで何度も反芻する。会場に到着すると、何か雰囲気がおかしい。すでにセッティングは終わり、スクリーンにはマリーナ・アブラモヴィッチ氏が映っている。この後の記者会見にオンライン参加するために、ビデオ通話アプリのチェックをしているのだった。スクリーン越しにも分かる彼女のオーラのせいで空気が変なのか? そうではないようだ。スクリーンの脇ではフェストシュピーレのスタッフが集まって、何やら真剣に話し合っている。近づきがたい雰囲気で、どういうわけかディレクターのマティアスがいない。しばらく遠目に見ていると、ドラマトゥルクのモリッツがやってきた。笑顔だが、その笑いがひきつっている。
「悪いニュースがある。申し訳ないが、今日の記者会見は中止になった」
 モリッツの話によると、数日前に開催されたベルリン映画祭の表彰式が親パレスチナ的すぎるという理由で文化大臣に問題視され、ディレクターのトリシア・タトルがクビになった。ベルリン映画祭もベルリナー・フェストシュピーレも、Kulturveranstaltungen des Bundes in Berlin GmbH(ベルリン連邦文化イベント運営会社)が運営する文化イベントであるため、今記者会見をやったらその話題一色になり、われわれの会見の意味がなくなってしまう。ひとまず延期をして、後日改めて開催するとのことだった。
 実際にはトリシア・タトルはクビになっておらず、Bildという大衆紙が、タトルがクビになったという記事を載せただけだったのだが、これは政治家が仕組んだ扇動的報道だったと思われる。あからさまな映画祭への検閲であり、ディレクターへの脅迫である(今は詳述しないが、その後の展開とフェストシュピーレヘの影響などについては引き続きフォローし、報告していきたい)。

 記者会見が直前に中止になるというのは初めてだが、記者会見ならまだしも、現実の都市空間に出て行く今回のようなプロジェクトには、数々の障害がある。予期せぬ中止や主催者からのキャンセルは珍しいことではない。私もこの3年の間に10近くの中止やキャンセルを経験した。10年前、いや、5年前ならできたことが、できなくなっているのである。今回ベルリンで、グレゴリー・ショレットが著書『アクティビズムのアート/アートのアクティビズム』のなかで「幽霊アーカイブ」と呼ぶところの未実現プロジェクトを取り上げたいと考えたのも、ここ数年の自分の経験が少なからず影響しているように思う。後からプロジェクトの紹介などをすると、すべてがスムーズにいったかのような錯覚を与えがちだが、実際には様々な干渉や障害のなかで、膨大な交渉と許可関係に振り回されながら、その時々で形を変えてギリギリ最後まで辿り着いているようなことが多い。それをあまり見せないのは、私に関していえば、わざわざ書くのが面倒というか、伝えるまでもないことだという気持ちになってしまうのと、実施してから時間が経つと大変だったことを大方忘れてしまうためである。しかし、自分もプロジェクトを立ち上げたいと思っている人からしたら、次々と襲ってくるトラブルの具体的内容や、それらにどう応答していくかといったことの方が、役に立ったり、励ましになったりするのかもしれない。また、完成した作品を舞台上に展開することをやめて、都市空間のなかでの生成変化に賭けているのだから、完成品のようにプロジェクトを扱うよりも、準備の過程もプロジェクトの構成要素として記述していく方が、よほど筋の通ったあり方ではないか。
 そこで意を決し、プロジェクトを準備するのと同時並行でテキストを書いていくことにした。私にとっては初めての試みである。作業日誌とエッセイの中間くらいのものになりそうで、「ベルリン作業ノート」というタイトルをつけた。当然ながらノイズや脱線が多くなるし、プロジェクトが途中で頓挫してしまうのではないかという不安もある。しかし、ここではそうしたことも積極的に伝えるようにして、プロジェクトを孵化させるプロセスを共有していきたいと思う。

プロフィール
高山明

演出家・アーティスト。1969年生まれ。2002年、Port B(ポルト・ビー)を結成。現実の都市を舞台にインスタレーション、ツアー・パフォーマンス、社会実験プロジェクトなどを通して、都市や社会に介入する活動を国内外で展開している。近年は、演劇的発想・思考を起点に美術、観光、文学、建築、都市計画、教育といった異分野とのコラボレーションを積極的に行っている。いずれの活動においても「演劇とは何か」という問いが根底にあり、演劇の可能性を拡張し、社会に接続する方法を追求している。最新のプロジェクトとして、新しい「劇場」構想を始動。劇場を芸術鑑賞の場から解放し、「プロジェクトの孵化装置」として機能させる実験を進めている。主な作品に『マクドナルド放送大学』『ワーグナー・プロジェクト』『東京ヘテロトピア』『国民投票プロジェクト』『完全避難マニュアル』など。著書に『テアトロン──社会と演劇をつなぐもの』(河出書房新社)がある。
https://x.com/akirat16

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