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2017.12.15

僕たちはこうやって映画をつくる 第3回

僕たちはこうやって映画をつくる / 三浦崇志

2007年以来、大阪を拠点に自主制作ながらコンスタントに作品を撮り続けている、日本では珍しい二人組の映画監督がいる。三浦崇志と大力拓哉。海外映画祭でも賞賛を浴びた彼らの代表作『ニコトコ島』と『石と歌とペタ』が、劇場初公開されることになった。自身たちの映画作りの原点やその制作過程、そして初の一般公開に至るまでの道のりについて、監督のひとり三浦崇志がゆるやかに言葉を綴る。(全3回)

 

【第1回はこちら/第2回はこちら

 

つくったからには誰かに観てもらいたい

今、映画は誰でもつくれますが、上映して人に観てもらうとなるとどうしたらいいのかよくわかりません。
映画のつくり方の本はたくさんあるのに上映の仕方、どうやって映画を観てもらうかの本はありません。
僕たちも完成した映画を前にして途方にくれました。

つくったからには誰かに観てもらい感想を聞きたい、というか正直にいうと褒めてもらいたい。
さすがに初めてつくった映画を映画館で上映しようとするほど僕たちも無謀ではありませんが、パソコンやテレビ画面ではなく暗闇の中で大きい画面良い音良い環境で観てもらいたいですよね。

ってことで

映画をつくった後のこと、どうやって映画祭に応募したり上映してきたのかを順を追って書いていくことにします。

2007年に『タネ』という映画をつくりました。

いきなり上映したところで知名度がなければ誰も観に来ない。まずはやっぱり賞レースに出すしかない。

当時知っていた映画祭といえば「ぴあフィルムフェスティバル」と「イメージフォーラムフェスティバル」の2つ。ぴあはカッチリとしたドラマでイメージフォーラムはなんでもありって印象があったので、必然的にイメージフォーラムに応募することにしました。

イメージフォーラムフェスティバルは毎年400作品以上の応募があり、その中から20作品くらいが映画祭で上映され、さらにその中から5作品くらいに賞が贈られます。

『タネ』は映画祭で上映され賞をいただきました。「入選」でした。僕たちが面白いと思いつくったものが評価されることで自信がついたし素直に嬉しかった。この時賞を取れていなかったら映画を撮り続けてこれなかったかもしれません。今となってはわかりませんが、それくらいのモチベーションは上がりました。

ただし、賞は取ったものの劇的な環境の変化は特にありませんでした。

しばらくして次の映画をどうしようかと話し合っていた頃、友達から映画制作の助成金がでるシネアストオーガニゼーション大阪(CO2)というものがあると教えてもらいました。しかし締め切りまで1週間もなく、応募には映画の企画書と過去作を提出する必要がありました。とりあえず応募することに決めたものの企画書なんて書いたこともないのでかなりテキトーな企画書と過去作として『タネ』を提出しました。

その年は5作品が選ばれ、僕たちもその中に入りました。後から聞いたところ企画書は0点だったそうですが審査員の沖島勲監督が『タネ』をとても気に入り推してくださったとのことです。

完成した映画『僕達は死んでしまった』は大阪と東京で上映され、たくさんの人に観てもらうことができました。
それに『僕達は死んでしまった』を観たカルトブランシュ(国際的な映画の製作配給会社)の人から作品を預からせてほしいとお話をいただきました。
海外には物凄くたくさんの映画祭があり、作品に合った映画祭に出品してもらえるとのこと。
CO2の後、間髪入れずに次の映画『ニコトコ島』をつくり、完成したものをカルトブランシュの人に観てもらいました。するとこちらも預かってもらえることになりました。

『ニコトコ島』はイメージフォーラムフェスティバルにも応募しました。
最終選考に残り、授賞式当日は僕と大力で出席しました。
舞台上には受賞者用の椅子が用意され受賞作が順番に発表されていき、最後の大賞の発表だけが残された時、舞台上には椅子が2つ。
僕が「絶対俺らやん」と大力に言ったのと同時に僕たちの名前が呼ばれました。
ついにイメージフォーラムフェスティバルで大賞をとり一躍時の人! ということもなく次の日からまた仕事。

その後、次の映画の撮影を始めた頃、突然ロカルノ国際映画祭が決まったと連絡があり、僕と大力と出演している松田君の三人でスイスに行くことになりました。
僕はそれまで海外に行ったことがなかったので、初めての外国がスイスになるんやと思っていたのですが色々ありカタールになりました。そのあたりのおもしろ話や映画祭の話はまた別の機会に。
ロカルノ映画祭では賞はとれませんでしたが、貴重な経験ができました。そのまた一ヶ月後にヒホン国際映画祭も決まり2回目の海外はスペインになりました。

その次につくった映画『コロ石』はイメージフォーラムフェスティバルで招待上映してもらいました。以降毎年新作を上映していただいています。
他にはオールピストという映像フェスティバルでパリのポンピドゥセンターで上映されることになりフランスに行くことになりました。
この時すでに『石と歌とペタ』の撮影を始めていたのでカメラを持って行き、ついでに撮影もしました。

その『石と歌とペタ』はローマ国際映画祭に決まり、今度はイタリアに行き…、って書いていくと順風満帆のようですが、国内での上映は数えるほどしかなくさびしいものでした。その数少ない上映でも客席が大入りになることもないので悲しい気持ちになって、なんとなく映画を上映することよりつくることにチカラを入れるようになっていきました。

そんな僕達が劇場公開を決心したのは2016年に京都のルーメンギャラリーで『タネ』から『ほなね』まで全8作品を上映していただいたことがきっかけです。

観た人の反応や感想を直接聞いたりして「もっと沢山の人に観てもらいたい!」と思い、以前から僕達の映画を気に入ってくれている映画配給会社のノンデライコに思いきって声を掛けたことで初の劇場公開が実現しました。

そんなわけで現在に至るのです。

シアターイメージフォーラムでの上映は終わりましたが、まだまだ続きますので、どうか劇場に観に来てください!

(僕たちはこうやって映画をつくる 了)

 


【劇場情報】

シネ・ヌーヴォ(大阪)
12月16日(土)~22日(金)20:10~

シネ・ヌーヴォx(大阪)
12月23日(土)~29日(金)19:00~
1月2日(火)~5日(金)17:40~

名古屋シネマテーク(愛知)
第31回自主製作映画フェスティバル内Bプログラムでの上映になります。
12月21日(木) 16:20~
12月23日(土)11:30~

神戸映画資料館(兵庫)
1月12日(金)~16日(火)16:00~

http://nikotokopeta.dddmmm.info/

プロフィール
三浦崇志みうら・たかし

大力拓哉と二人組監督として活動。共に1980年大阪府出身。2人は小学校からの幼なじみ。2007年に『タネ』がイメージフォーラム・フェスティバルにて入賞。第4回シネアストオーガニゼーション大阪(CO2)助成作品として、中編『僕達は死んでしまった』(2008)を製作。同年自主製作した中編『ニコトコ島』は、イメージフォーラム・フェスティバル2009にてグランプリにあたる大賞を受賞、第62回ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門「Filmmakers of the Present」に選出される。翌年制作した、『コロ石』(2010)が、パリのポンピドゥー・センター(国立美術文化センター)で上映。『石と歌とペタ』(2012)は、ローマ国際映画祭「CINEMAXXI コンペティション部門で上映された。その後も毎年新作を製作し、唯一無二の世界を常に更新し続けている。
http://dddmmm.info/

 

フィルモグラフィー

Monologues』(34分/カラー・モノクロ/DV/2016)

ほなね』(72分/カラー/DV/2016)

今日も順調』(116分/カラー/DV/2015)

Road movie』(61分/モノクロ/DV/2014)

石と歌とペタ』(60分/カラー/DCP/2012)

コロ石』(61分/モノクロ/DV/2010)

ニコトコ島』(47分/モノクロ/DV/2008)

僕達は死んでしまった』(55分/モノクロ/DV/2008)

タネ』(50分/モノクロ・カラー/DV/2007)

過去の記事一覧