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2026.05.01

第23回 n+1番目のチャンス——クレイグ・ブリュワー『ソング・サング・ブルー』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回の映画時評(毎月初頭に更新)。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回はクレイグ・ブリュワー監督の『ソング・サング・ブルー』。本作におけるニール・ダイアモンドの「カバーバンド」こと「ライトニング&サンダー」という存在を通じて、映画における「やり直し」をめぐる本作のありようについて考えます。

 ヒュー・ジャックマンとケイト・ハドソン主演の『ソング・サング・ブルー』を勢い勇んで初日に見に行くと、奇しくも上映前に『Michael/マイケル』の予告篇が流されている。なるほど、『ソング・サング・ブルー』は題材の選択からして、なんと聡明な映画なのだろう。ミュージシャンの伝記映画は昔から人気だとは思うけれど、あえていうなら『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)のヒット以降、この手のモノマネ映画が流行し、いまや一つの潮流をなすほどになっている。エルトン・ジョン、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディランとほとんど毎年のように日本でも公開されている。クレイグ・ブリュワーはそんなアメリカ映画の現在に対して批判的に介入すべく、『ソング・サング・ブルー』を撮り上げたのである。
 仮に撮られたのがニール・ダイアモンドの伝記映画だったとしても、近年の動向を相対化するだけの十分な批判精神がそこには垣間見えたことだろう。だが、彼はさらにその先を行った。ニール・ダイアモンド本人ではなく、1990年代にそのカバーバンドとして地元で評判を呼んだライトニング&サンダーを主人公にすることで、近年のバイオピックの構造そのものを内包させる。しかも、「似ている」ということが一つの評価軸をなしていくなかで、似せることにはなんの関心も払わないライトニング&サンダーなのである。二人のパフォーマンスを記録した映像を見れば、ライトニングことマイク・サルディーナははなからニール・ダイアモンドに寄せる気すらないことがよくわかる。この映画が出発点に据えるのは、まさにこの点である。
 マイクとクレアが二人でコンビを組み、ニール・ダイアモンドの曲をやっていこうという話になる時のこと。マイクはクレアに釘を刺す。おれはニール・ダイアモンドに見た目も声も似ていない。ニールにならなきゃいけないといっても、自分を捨てたくはない、と。それに対して、クレアはこう返す。あなたはニール・ダイアモンドの「真似をする人(impersonater)」になるんじゃない。ニール・ダイアモンドの「解釈をする人(interpreter)」になるんだ、と。問題なのは、「物真似」ではなく、「解釈」であり、「通訳」であり、「演奏」であり、「演技」なのである。ニール・ダイアモンドになりきるのではなく、ニール・ダイアモンドになりながら、同時に自分自身を再発見することだ。
 ちなみに、『ソング・サング・ブルー』というこの映画自体が、2008年製作の同名ドキュメンタリーを原案にしており、いわばそのリメイクなのである。オリジナルなものから距離をとることに対する、なんという徹底ぶりだろう。しかし、これまた「しかも」というべきかもしれないが、実際は20年ほどにわたる二人の出会いからマイクの死にいたる出来事をたった2年間に圧縮することをはじめ、これぞ「解釈」といわんばかりの荒唐無稽な改変がさまざまに加えられている。そもそもヒュー・ジャックマンもケイト・ハドソンもどうしたって隠しようがないほどにヒュー・ジャックマンであり、ケイト・ハドソンなのである。ライトニング役にジャック・ブラック(一例として)ではなく、あえてヒュー・ジャックマンを起用する。まるで異化効果のお手本のような、配役の妙。

© 2025 Focus Features LLC. All rights reserved.

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 1995年、舞台はウィスコンシン州ミルウォーキー。ベトナム帰還兵で、帰国後はアルコール依存症に苦しみ、現在は禁酒して20年になるマイク・サルディーナ(ヒュー・ジャックマン)。彼はライトニングの芸名でいろんなロック歌手の歌をメロディーで歌い、場末のバーや遊園地のステージに立っていた。そんな彼が、ある日、クレア・ステングル(ケイト・ハドソン)と出会うことで物語は始まっていく。彼女は美容院で働きながら、パッツィ・クラインのモノマネ歌手として活動していた。二人はともに離婚歴があり、マイクには普段は母親と住む高校生の娘が一人いて、クレアは高校生の娘と小学生の息子を一人で育てている。本当は好きな音楽を仕事にして生きていきたい。いい家に住み、いい服を着て、おいしいものが食べたい。「懐メロは金になる」と見込んだクレアの発案で、二人はニール・ダイアモンドのカバーバンドを組むことにする。マイクは偶然にもその熱狂的なファンだったのだ。公私ともにパートナーとなった二人はライトニング&サンダーとして人生の再出発を誓うのであった。
 クレイグ・ブリュワーは、初長篇『ハッスル&フロウ』(2005)以来、つねに同じ主題に取り組んできた。音楽、チームワーク、コピーとしての存在、そしてセカンドチャンス。ライトニング&サンダーの物語は、自らのフィルモグラフィーの集大成を飾るのに格好の題材と映ったにちがいない。二人の計画には友人たちが次々と共鳴し、みなが協力することになる。バンドは徐々に評判となり、毎週スケジュールが埋まるほどの人気を獲得していく。当時一世を風靡していたパール・ジャムのミルウォーキー公演でオープニングアクトを依頼されるほど、その人気は膨らんでいく。マイクとクレアは見事にセカンドチャンスをものにしてみせるのだ。
 しかし、本来ならここで終わっても見事なアメリカ映画が出来上がったはずだが、ここまではまだ映画の前半にすぎない。監督が今回挑戦するのは、セカンドチャンスが潰えたその後を描くこと。サードチャンス、フォースチャンスと、何度もやり直す姿。やり直し自体をやり直すこと。
念願叶って幸せの絶頂にあったクレアだが、庭でガーデニングに精を出している最中、暴走した自動車に轢かれてしまう。一命を取り留めるものの、彼女は左脚を失う。幻肢痛に苦しまないよう痛み止めの薬が与えられるが、薬のせいで頭はつねに朦朧とし、抑うつ状態から抜け出せなくなる。リハビリにも行かず、テレビを前に横たわるばかりの日々。ついには幻覚を見るようになり、真夜中に外に飛び出し、パッツィ・クラインの《スウィート・ドリームズ》を叫んで歌ったところで、家族はクレアを施設に入院させる決心をする。他方、マイクもはじめのうちこそカラオケバーで働いていたが、いつしか歌から離れるようになっていた。サンダーが隣にいなければ、ライトニングは歌えなかった。
 クレアの回復は、自助グループのオープン・スピーカーズ・ミーティングに参加することから始まる。それは、映画冒頭で見せられた、断酒会に参加して自分の話を語るマイクの姿の文字通りの反復である。クレアはマイクのコピーとなることで、ふたたび再起を図ることができる(ライトニングとサンダーはともに「雷」を意味する単語なのだから、二人はもとより似たもの同士だが)。かくしてライトニング&サンダーが再結成され、もう一度満員の観客を前に大きなステージに立つことになる。一世一代の大舞台が用意される。だが、もちろん、映画はここではまだ終わらない。

© 2025 Focus Features LLC. All rights reserved.

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 主題を扱う手つきにおいて隅々にまで配慮を行き届かせた『ソング・サング・ブルー』は、そればかりか時代性を引き受けることにも自覚的である。
「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」——トランプが1980年にレーガンが声高に掲げたスローガンをそのままコピーし、米国第一主義が形成される現在。『マーティ・シュプリーム』のジョシュ・サフディがそんな現状を批判的に捉えるべく、1950年代——戦後の好景気に沸いたグレートな時代——を舞台にしながらそこに80年代——そのコピーが目指された時代——の音楽を流すというアナクロニズムを必要としたとすれば、クレイグ・ブリュワーもまたトランプ時代の状況を踏まえて『ソング・サング・ブルー』という企画を立てたのは明らかである。星条旗をあしらったスパンコールのベストをステージ衣装とする主人公二人は、あたかも「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」と訴えるかのようではないか。
 複雑な知的操作を駆使するサフディとは異なり、ブリュワーの戦略はいたって正攻法である。「アメリカ」という理念が「合衆国」の論理に回収され、政治利用される状況に対し、彼は「アメリカ」を徹底的に脱政治化し、その理念をエンターテインメントの領分に取り返そうとする。たとえば、保険に未加入の貧困層には高額の医療費を払うことができないといった、合衆国が政治的に解決すべき問題に触れることはあっても、それがすぐさま脇に置かれるのはそれゆえである。この映画では、そのかわりに突拍子もないことが平気でまかり通る。心臓発作が起きても、ドラマの見よう見まねで蘇生させてしまえばいい。頭が割れても接着剤でくっつけてしまえばいい。映画のみに許されるこれみよがしのフィクションの力にもう一度賭けてみること。このうえなくアメリカ映画的な主題――セカンドチャンス——に、時代遅れを気にすることなく真正面から取り組むこと。ライトニング&サンダーの物語がいかに噓みたいで時代遅れに見えたとしても、それはまぎれもなく本当に起きたことなのだから。

© 2025 Focus Features LLC. All rights reserved.

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『ソング・サング・ブルー』 Song Sung Blue
2025年|アメリカ|カラー/ヴィスタ|133分
監督・脚本:クレイグ・ブリュワー
撮影:エイミー・ビンセント
美術:クレイ・A・グリフィス
衣装:エルネスト・マルティネス
編集:ビリー・フォックス
音楽:スコット・ボマー
出演:ヒュー・ジャックマン、ケイト・ハドソン、マイケル・インペリオリ、エラ・アンダーソン、キング・プリンセス、ハドソン・ヘンズリー
配給:ギャガ ユニバーサル映画
© 2025 Focus Features LLC. All rights reserved.

公式HP:https://gaga.ne.jp/song_sung_blue/
公式X:SongSungBlue_JP
絶賛公開中!

バナーイラスト:大本有希子