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2026.06.02

第24回 失われたイメージと音の結びつきを求めて——ジャファル・パナヒ『シンプル・アクシデント/偶然』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回の映画時評(毎月初頭に更新)。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
今回は昨年度(2025年)のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した、ジャファル・パナヒ『シンプル・アクシデント/偶然』。投獄された自身の経験と、その間に中断される映画製作、そして自身と同様に権力に虐げられた人々の「失われたイメージ」は、あるいはそれとの結びつきを削がれた「音」は、いかなる方法において本作を形作っているのでしょうか。

 ジャファル・パナヒは今回の新作を新たな一歩と位置付けている。
 初長篇『白い風船』(1995)にはじまり、『鏡』(1997)、『チャドルと生きる』(2000)、『クリムゾン・ゴールド』(2003)、そして『オフサイド・ガールズ』(2006)までの計5本を数えるのが第一期。たとえば『オフサイド・ガールズ』では、男性スポーツの観戦を禁じられるなか、男装してまでなんとか競技場に入り込もうとする若い女性たちが描かれたように、パナヒはイラン社会の批判的観察者として振る舞ってきた。しかし、この第一期は、2010年に当局に逮捕されることで終わりを迎える。彼は、モハマド・ラスロフとともに、マフムード・アフマディネジャード大統領の再選とその抗議運動をめぐる新作の撮影を秘密裏に進めていたが、その情報が漏洩し、警察に踏み込まれることになった。パナヒはエヴィン刑務所で約3か月間拘束された。6年の禁固刑が言い渡され、映画を監督すること、脚本を書くこと、取材を受けること、イランを離れることを20年間禁じる判決が下された。
 しかし、パナヒは映画をそう簡単に諦めることはなかった。彼は映画製作が禁じられた自分の状況そのものを題材にして『これは映画ではない』(2011)を撮り上げた。「映画を撮ることと脚本を書くことは禁じられたが、すでに書いた脚本を読むことと演技することは禁じられていない」と、カメラを前に彼はいう。被写体は自分、撮影場所は自宅のマンション。小型のデジタルカメラと携帯電話で撮影された、「これは映画ではない」と自称する映画。データを収めたUSBをケーキの中に隠して国外に運び出し、2011年のカンヌ国際映画祭でプレミア上映された。こうして、映画を禁じられた映画監督の自分自身を見つめる第二期が始まった。『これは映画ではない』に続き、『閉ざされたカーテン』(2013)、『人生タクシー』(2015)、『ある女優の不在』(2018)、『熊は、いない』(2022)までの計5作を数えるのが第二期にあたる。毎回、パナヒ自身が本人として出演している。
 そして、2022年7月、パナヒはまた逮捕された。彼は映画監督のモハマド・ラスロフとモスタファ・アルアマドが逮捕されたことを受け、この件について問い合わせるために警察を訪れた。すると、2010年に下された6年の禁固刑が未執行であるとして彼自身も拘束され、劣悪な環境で名高いエヴィン刑務所にふたたび収監された。同年10月、最高裁は12年前の判決を無効にし、新たに裁判をやり直す命令を下した。パナヒは2023年2月1日にハンガーストライキを開始し、3日に釈放された。7か月におよぶ監獄生活だった。
 いままた当局による映画製作の禁止が解かれ——とはいえ、脚本に撮影許可が下りるわけはなく、完成しても国内での上映は見込めないままなのだが——、その状況下で初めて取り組んだのが今回の『シンプル・アクシデント/偶然』ということになる。

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas

 パナヒが釈放後に新たな一歩として選んだのは、まさにかつて政治犯として投獄された人々の物語である。ワヒドは自動車修理で訪ねてきた男の立てる音に聞き覚えがあった。それは義足のきしむ特徴的な音。ワヒドはかつて不当に収監され、そこで義足の看守エグバルから厳しい拷問を受けていた。この男こそあのエグバルにちがいない。ワヒドは男を拉致し、砂漠に生き埋めにしようとする。ところが、次第に確信が持てなくなる。同じくエグバルから拷問を受けた元囚人たちを頼るも、みな目隠しをされていたため顔を見た者はおらず、確証を得るにはいたらない。また、もし仮に彼が看守だとしても、この男を拷問にかければ、それは自分たちを苦しめた悪に自ら染まることになってしまう。果たしてどうすればよいのか。
『シンプル・アクシデント/偶然』の設定は、アリエル・ドルフマンの1990年の戯曲『死と乙女』をおおいに想起させる。独裁体制を脱したばかりの1990年代初頭のチリ。女はかつて政治犯として収監されたが、いまは弁護士の夫と平穏な暮らしを送っている。しかし、ある日夫の連れてきた客人の声が聞き覚えのあるものと気付く。目隠しをされていたため姿こそ見てはいないが、自分を拷問して陵辱の限りを尽くしたのはまさにこの男にちがいない。女は男を自宅に監禁し、問い詰めていく。物語の発端に自動車の故障があるといった細かな点まで含め、パナヒがドルフマンの戯曲から着想を得たのは明らかである。
 実のところ、パナヒが『死と乙女』に関心を示すのはこれが初めてのことではない。いまから遡ること15年ほど前、彼はこの戯曲の映画化に実際に取りかかっていた。『オフサイド・ガールズ』の完成後のこと、『死と乙女』の映画化権の取得に向けて動いたが、当局の圧力によって目論みは暗礁に乗り上げた。2010年の逮捕によって、この企画は完全に潰え去ってしまったという(詳しくは、『Vulture』誌に発表されたロクサーナ・ハダディの記事と、アリエル・ドルフマン本人のコメントを参照[1])。
『これは映画ではない』から『熊は、いない』までの第二期——映画を禁じられていながら、そのことが逆説的に充実した作品群を生み出した時期——が終わり、パナヒは曲がりなりにも映画が禁じられてはいなかった第一期へと舞い戻る。『オフサイド・ガールズ』の後に潰えた企画にふたたび取り組む、それはあたかもありえたかもしれない自分の映画人生をやり直すかのようだ。
 しかし、それはやはり単なる仕切り直しではない。パナヒは7か月間を300人を収容するエヴィン刑務所で過ごし、30人ほどの政治犯から親しく話を聞いたという。それが記憶の中に積み重なっていった。釈放されると、彼らの話をもとに何かしなければならないと感じるようになった。「彼らの共通点は何か。それは尋問の経験だ。背後に尋問官の存在を感じるという経験だ」[2]。パナヒは自らが囚人となったことで、いまこそ『死と乙女』を映画化することができると確信したはずだ。そこには自分自身の経験だけでなく、刑務所の中で接することのできた証言の実態が見事に結晶化されている。

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas

 復讐と赦し——パナヒはドルフマンから大まかな問題意識を受け継ぎながら、それを「映画」の問題に落とし込んだ。『死と乙女』とは異なり、『シンプル・アクシデント/偶然』では、拉致した男が本当に看守エグバルかどうかを確認するために次々と登場人物が増えていき、その過程がときにユーモアを交え、ときにドタバタ喜劇のような荒唐無稽さでもって語られていく。結局、誰一人拷問した看守のことを見ていないので、音声——義足の音と声——でしかその男のことを知らず、音声に合致するイメージの不在が顕著になるばかりなのである。イメージと音声の幸福な結びつきはとうに絶たれてしまった。それを回復する手立てはもうない。元囚人たちはそんな世界を生きている。ワヒドはいつまでも背後に——つまり、視界の外に——義足の音を聞かずにはいられない。
 しかし、イメージと音の分離を生きるのは元囚人たちに限らない。看守に罪を問うても意味がない。彼もまた体制の歯車に巻き込まれてしまったにすぎない。その意味では、自分たちと似たような境遇ではないか。そんな議論を元囚人の一人がふと口にするように、加害者(元看守、もしくはそう見なされる男)にとっても被害者のイメージは不在である。
 そのことは冒頭から示されている。夜、暗闇を進む車。男は妊娠中の妻と幼い娘を乗せて運転しているが、道中で野犬を轢き殺してしまう。犬は画面外に置かれ、哀れな鳴き声だけが空しく響く。そもそも男は自分が何を轢いたのかさえわかっていない。犬のことなど、はなから眼中にないからだ。娘は殺された犬が可哀想だと父を責めるが、母はいう——「お父さんは悪くない。神の思し召しだ」。看守にとって、囚人とはこの犬のようなものでしかない。彼の視野には入らない存在。拷問の結果死ぬことがあっても、それは自分とは関係のないこと。すべては神の思し召し。看守は囚人に目隠しをしながら、つまるところ視力が奪われているのは彼の方なのだ。
『シンプル・アクシデント/偶然』には、街を徘徊する野犬が画面の端によく現れる。それはあたかも冒頭の犬が亡霊として回帰してきたかのようだ。音声をともなうことのない、いわば純粋なイメージとして。

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas

『シンプル・アクシデント/偶然』©LesFilmsPelleas


[1]   Roxana Hadadi, “Jafar Panahi’s Cinematic Rebellions”, Vulture, December 1 2025. URL: https://www.vulture.com/article/jafar-panahi-it-was-just-an-accident-director-profile.html ; “Ariel Dorfman Questions the Originality of Jafar Panahi’s Film”, ISNA (Iranian Students’ News Agency), December 28 2025. URL: https://en.isna.ir/news/1404100704366/Ariel-Dorfman-Questions-the-Originality-of-Jafar-Panahi-s-Film
[2]   Stéphane Goudet et Emmanuel Raspiengeas, « Entretien avec Jafar Panahi : “Ce qui me protège, c’est le courage des Iraniens” », Positif, nº 776, octobre 2025.

 

『シンプル・アクシデント/偶然』 Un simple accident
2025年|フランス・イラン・ルクセンブルグ|ペルシャ語|103分
監督・脚本:ジャファル・パナヒ
撮影:アミン・ジャファリ
編集:アミル・エトミナーン
出演:ワヒド・モバシェリ、マルヤム・アフシャリ、エブラヒム・アジジ、ハディス・パクバテン、マジッド・パナヒ、モハマッド・アリ・エリヤ

日本語字幕:大西公子
字幕監修:ショーレ・ゴルパリアン
協力:ユニフランス
配給:セテラ・インターナショナル

第98回 アカデミー賞® 脚本賞・国際長編映画賞ノミネート
第78回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞

公式サイト:simpleaccident.com
公式X:https://x.com/IWJAA_JP

新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開中

©LesFilmsPelleas

 

バナーイラスト:大本有希子