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2020.07.01

第19話 童謡の日の話

〇〇の日の話 / 大前粟生

 ベランダから公園を見ると、ブランコに乗っている女の子がいる。カメラを拡大するみたいにぐぐぐっと耳を澄ますと歌が聞こえてくる。
 らっらっらっ。
 愛ちゃんは歌で幽霊に呼びかけていた。いくつも棟があって、団地といって差し支えないマンション。住んでいるひとたちはやさしい。愛ちゃんの家の玄関には愛ちゃんの好きなポテトチップスが大量に置かれている。
「マンションの総会のとき、愛ちゃんの霊能力を肯定してあげて、と必ずだれかがいうんやで、と、お隣の坂本さんがスーパーで出会ったとき、聞いてないのに教えてくれた」
 と波子が私にいう。
 月に一度、愛ちゃんはマンションのひとたちと歌を作った。幽霊が飽きるといけないから。うまくつきあっていくために機嫌を取っておかないといけない。
「生きてるひとといっしょやねえ、と坂本さんがいった。岩下さんが笑った。岩下さんが笑ったから白坂さんも笑う。ときどき、岩下さんは白坂さんが自分のことをどれだけ好きかを試す。それを佐井原さんはよく思っていない。佐井原さんはひとが調子に乗っているのがなんであれ気にくわない、と江頭さんがいっていた。江頭さんのこともだれかが噂していた。どういううわさ話をしていても、みんな愛ちゃんをつらい目に合わせたくないと思っている。歌を作るときにはみんなで背中を向けて輪になった。特定のひとのまなざしが歌に影響を与えてしまわない方がいいらしい。たまに幽霊も輪にまじる。中心には愛ちゃんがいて輪の波動を歌にする。腕を組んで輪を作るとき、わたしの隣のひとは、くだものの皮のように白くざらついた首で頭を支えていた。きれいだな、と見ていると、ぼうっと、うぶ毛が燃えるように光り出し、眼球をわたしに向けたそのひとはまるみちゃんだった」
「私?」
「まるみちゃんなんでいるの? と聞くと、そのまるみちゃんはじっと微笑むだけだった。まるみちゃんが死んだあとの幽霊のまるみちゃんがやってきてるんだ、とわたしは思った。さっきから腕が触れている部分が鈍く痛かった。よく観察すると、若めに見える70代のひとみたいな顔をしている、と思っていると、まるみちゃんは『たのしい』といった。しゃべりにくそうに人形みたいに顎をかくかくさせていたが、ああこわいものではないんだなあ、と、第一まるみちゃんだしなあ、とわたしは思った。『へえーよかった』っていったら、『よかった。よかった』。それ以外はなんにもしゃべらなくて、自分のからだを触ったり壁にさわったり手をひらひらさせてめずらしそうにしている。まるみちゃんを見ているあいだに歌ができた」

いぬがないてる
すいかがみている
さとうをもやせ
てんからこおろぎ
らっらっらっ
みいちゃんがないてた
いまもないてる
あしたもだった
おちてはかえる
らっらっらっ
くさきもかれるよ
またいぬがうまれる
みいちゃんがたってる
うちらはふりむく
らっらっらっ

 電話越しに波子が私に聞かせてくれた。歌が終わるととつぜん電話が切れた。最初から最後まで、知らないだれかに話してるような口調の。
 そうかあ、と私は思った。70代で死ぬんだ。いま46だからあと少なくとも24年ほどは生きる。24年間、なにをするんだろう。暇じゃない? 仰向けになって、その長い時間を想像しようとすると、からだから力が抜けて深い泥に落ちていった。窓からさしこんだ光が反射して天井でちらちら揺れる。なにかのにおいをかぎたいと思った。私がいまこのからだを持っていることを確かめるみたいに。散歩に出ると、河川敷の斜面に空っぽのカゴと虫取り網を持った子どもがいた。ビャッと網を振り、なにかを捕まえてカゴに入れていく。いつまでもカゴの中身が私には見えなかった。おばけを捕まえてるの? と聞くと、子どもはこちらを見もせずに逃げていった。あとには水のにおいが残った。