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2024.07.08

第1回 編集の再定義——ホン・サンス『WALK UP』

映画月報 デクパージュとモンタージュの行方 / 須藤健太郎

映画批評家・須藤健太郎さんによる月一回更新の映画時評。映画という媒体の特性であるとされながら、ときに他の芸術との交点にもなってきた「編集」の問題に着目し、その現在地を探ります。キーワードになるのは、デクパージュ(切り分けること)とモンタージュ(組み立てること)の2つです。
記念すべき第1回は2024年6月28回より公開されたホン・サンス監督最新作『WALK UP』。新作ごとに思いもよらぬ驚きを私たちにもたらしてくれるこの作家の新作の作法は、いかにその前作、前々作と連なっているのでしょうか。

予告編『WALK UP』
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、
アップリンク吉祥寺、Strangerほか全国公開中
https://mimosafilms.com/hongsangsoo/ 

 編集とは組み立てること、つまり構成や構造に関わる作業だとすれば、『WALK UP』はまさに「編集」についての映画である。というのも、この映画は作品の構造をそのまま作中で明かしてしまうのだから。いや、作中というより、それ以前にタイトルにすべてを語らせている。原題は「塔」で、インターナショナル・タイトルの「ウォークアップ」はエレベータがなく、階段で上っていくタイプのアパートを指す。要するに、映画に出てくるこの4階建て(+地下1階)の建物のことだ。なんのことはない、それぞれの階で別のエピソードを展開させる『WALK UP』は、作品構造を建築物から借り受けている。この建物は映画の構成そのものを空間的に具現化したもの、というわけだ。
 あまりにあからさますぎて、こんなふうにわざわざ指摘するのは気が引けるのだが、監督は『WALK UP』をその構造を示すことから始めており、観客がこの点について見誤ることのないような配慮をあえて見せている。
 この建物の所有者はインテリア・デザイナーのヘオク(イ・ヘヨン/劇中では「キム先生」と呼ばれる)。彼女のもとに、旧友の映画監督ビョンス(クォン・ヘヒョ)が娘のジョンス(パク・ミソ)を連れてやって来る。ジョンスは美術を勉強していたが、いまはインテリアに関心が向いている。そこで父親が2人を引き合わせに訪ねたという次第だが、ヘオクはまず2人に各階を紹介していくのだ(別に彼女が内装を手がけているわけではないのだけど)。1階はレストラン。ヘオクの作業場だが、休憩用の部屋でもある地下。2階は1階のレストランの店主が運営しているが、こちらは1組だけの予約制で、料理教室としても使用している。3階は賃貸の住居。そして、4階は芸術家のアトリエで、広いルーフバルコニーがある。
 ヘオクは2人と1階で軽く話したあと、上階にあがるために階段のスペースへと移り、地下に軽く言及すると、その後は2階、3階、4階と順番に案内をする。その後、この映画は登場人物をそのつど入れ替えながら、各階ごとに異なるエピソードを配置しつつ、地下→2階→3階→4階という、ヘオクが案内したこの順番通りに進んでいく。はじめに構造が示され、それが丁寧になぞられる。これは物語の塔である。英語の「ストーリー」には「物語」だけでなく、「階」という意味があるように。

WALK UP

© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

 しかし、ホン・サンスが今作で構造を前面に押し出し「編集」を主題化したのは、なにも突飛なことではない。ホン・サンスの映画はつねに映画や芸術をめぐるものだが、近作ではますます衒いなく映画それ自身を俎上に載せている。『あなたの顔の前に』(2021)、『小説家の映画』(2022)、『WALK UP』と3作を並べてみると、ここにはちゃんとした流れがあることがおのずと感じられる。映画作りを語る次作の『In Water』(2023)は、この3作の流れを踏まえたものだ。
 まず、『あなたの顔の前に』。これは「撮影」についての映画だった。元女優のサンオク(イ・ヘヨン)は、彼女を主演に撮りたいという映画監督(クォン・ヘヒョ)に語りかける——あるときに気付いたことがある。顔の前には実は天国が隠れている、と。顔の前にはすでに完成した世界が広がっている。世界はそれ以上でも、それ以下でもなく、すでに完成して、そこにある。そんな彼女の主張は、撮影の心得のように響く。「あなたの顔の前に」の「あなた」とはスクリーンを前にした観客のことでもあるし、突きつめていけば要するにカメラのことなのだろう。カメラの前には、すでに完成した世界が広がっている。それをただ捉えるだけでいいのだ。
 撮影を主題にした映画の次に、ホン・サンスは『小説家の映画』を手がけた。これは「演出」についての映画だった。小説家のジュニ(イ・ヘヨン)は自分が撮りたい映画について俳優ギルス(キム・ミニ)に語る——自分の好きな俳優を選び、その俳優が落ち着ける環境を作る。それから、その俳優から深い感情を引き出せる共演者を選び、2人から生まれてくるものをカメラで捉えたい。しかし、それを実現するには、すべてが居心地良く、本物でなければならない、と。そんな彼女の希望は、演出の心得のように響く。劇中で最後に映される「小説家の映画」にそれが体現されているのかもしれない。キム・ミニと母親が花と葉を集めてブーケを作る様子がカメラで捉えられている。カメラを手に被写体に優しく語りかけているのはホン・サンスその人である。
 撮影、演出ときたら、続けて取り組むべきは編集ということだ。その布石はすでに『小説家の映画』に打たれていた。ジュニの映画を手伝ったギルスの甥の学生いわく、その編集作業のあまりの緻密さに驚いたという。少なくとも300回は通して見た。こんな経験は初めてだった、と。彼女の作品はホームビデオのような佇まいなので、そこまで編集に労力が掛けられたものにはいっけん見えないだけに、その作業の内実が気になった人は多いと思う。『WALK UP』はまさにこの延長線上にある。

WALK UP

© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

 この4階建ての建物が映画の構造を示すといっても、劇中でこの建物の全体が映されることはない(ポスター・ヴィジュアルは劇中から採られたものではない)。また、1階から2階、2階から3階といった上階への移行も連続したものとしては捉えられていない(階段を上って上階に至るまでをワンショットに収めることはしない)。各階は、そういう意味では、連関のない別々の空間として与えられており、空間の連続性はあくまで編集によって仮構されているだけである。
 結局、『WALK UP』は「編集」をどう定義づけているのか。それは、この建物のオーナーで、各階の管理人であるヘオクに託されている。監督は各エピソードを順番に続けながら、時間軸にゆらぎを与えている(ビョンスはヘオクに娘の件でお礼を言いつつ、地下の部屋には行ったことがなさそうである)。だから、別の空間の出来事が同じ時間軸に沿ったものなのかどうかさえ曖昧なのがこの映画の世界なのだが、ヘオクは一人だけすべての階に登場し、しかも毎回一人だけつねに同じ衣装である。つまり、もし彼女が編集の化身だとするなら、編集とはばらばらの断片に統一性を与えるものである。
 しかし他方で、彼女の管理は杜撰で、雨漏りや排水溝の悪臭をほったらかしにしており、自分の領地であるはずのこの建物から彼女は徐々に居場所を失っていく。編集とはなんでも思い通りにすることではない、とでもいうように。建物自体の造りは頑丈だが(ビョンスは2階のバルコニーで手すりに力を入れて、その頑丈さを確かめている)、いたるところに綻びが出始めている。
 もうひとつ。『小説家の映画』で語られたように、ホン・サンスにとって編集作業が何度も繰り返し見ることからなるとすれば、それは撮影や演出と不可分である。監督は撮影するや、それをモニターで俳優たちと一緒に見ることで、微調整をしつつ場面を完成させていくことが知られている。しかも、部分的にではなく、最初から最後まで通して見ることを毎回繰り返すという。クォン・ヘヒョによれば、『WALK UP』の2階の場面——ビョンスとヘオク、そしてレストランの店主ソニ(ソン・ソンミ)がワイン片手に会話する17分におよぶ長回しの場面——は5回撮影し直したというが、毎回17分間全部を見直したので1日掛かりになったと語っている。より短い場面のときはもっと多いそうだ(劇場用パンフレット収録の「クォン・ヘヒョ来日インタビュー」より)。実際は撮影中のエピソードにあたるものが『小説家の映画』では編集作業の緻密さとして語られていたのかもしれない。編集作業は撮影の後になされるのではなく、撮影中からすでに始まっている。
 ところで、前2作のように、今作にも「編集の心得」にあたるような台詞はあるだろうか。それは見ての聞いてのお楽しみ。

WALK UP

© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

 

『WALK UP』
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:クォン・ヘヒョ、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ
2022年/韓国/韓国語/97分/モノクロ/16:9/ステレオ
原題:탑 字幕:根本理恵 配給:ミモザフィルムズ
© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.
【公式サイト】https://mimosafilms.com/hongsangsoo/

ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、

アップリンク吉祥寺、Strangerほか全国公開中

バナーイラスト:大本有希子  @ppppiyo (Instagram)

作家主義以後 映画批評を再定義する

須藤健太郎

2023年12月26日