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2026.07.28

マンガ研究者・小田切博によるアメリカン・ヒーロー・コミックスを解説した連載。第14回目の今回は、「有害なファンダム」を入り口に、スーパーヒーローとファン、メディア・フランチャイズの関係をひもときます。映画やSNSの時代、ファンは創作を支える存在であると同時に、対立や分断の当事者にもなっています。なぜこうした状況に至ったのか、歴史的背景をたどっていきます。

 

「有害なファンダム」

2020年代に入ってアメリカのエンターテインメントビジネスで注目されるようになった概念のひとつに「有害なファンダム(Toxic Fandom)」[1]という考え方があります。
これは、特に2015年から2019年までに公開された『スターウォーズ』の新三部作[2]公開以降に指摘されるようになった現象で、当該コンテンツ、IPの内容やスタッフ、キャストの発言、思想、行動などに反発した特定のファン層がSNSなどを介して集団を形成し、レビューサイトに否定的なレビューを大量に投稿したり、特定個人に対する誹謗中傷、殺害予告を送るなどのネガティヴキャンペーンをおこなうようになることを指していうものです。コミックスファンにおいては女性やマイノリティの作家、編集者に対する嫌がらせをおこなう「コミックスゲート」などがこの「有害なファンダム」にあたります。
1977年に公開されて世界的なブームを巻き起こした『スターウォーズ』フランチャイズの新作映画公開がきっかけになっていることからもわかるように、「有害なファン」という現象は、既に一般的な知名度のあるキャラクターやコンテンツ、人物に関して発表された新しい何かが、対象の既存ファン層に幻滅や反発を生んだことをきっかけにして生じることが多いものです。
その意味で、長い歴史を持ち、じつはそのキャラクターや物語自体が多様性を包摂しているにもかかわらず、読者、観客の大勢からは本質主義的な捉えられ方をされていることが多いスーパーマンやキャプテンアメリカのような「スーパーヒーロー」はファンによる「有害な」語りの対象になりやすいプロパティだといえます。

もともとファン研究は消費者の行動分析であるため、メディア論や文化研究であると共にマーケティング論としての側面を持つものです。
この分野の開拓者のひとりであるヘンリー・ジェンキンス[3]は、その著作『コンバージェンス・カルチャー(Convergence Culture)』[4]で、インターネット環境の整備とウェブサービスの技術的進歩によって、一方通行だった出版や放送のようなマスメディアのコンテンツもネットメディアとの連動によって双方向的なユーザー参加型の文化になっている現状を提示し、その新しい環境の中で人気のあるテレビ番組や映画、ゲーム等の制作者たちがどのように積極的にコンテンツに参加しようとする「ファン」たちの関心をコントロール(しようと)しているかを分析しています。
実際に彼はゲーム会社の技術アドバイザーをつとめた経歴を持っているのですが、新しいテクノロジーによって実現した「参加型文化」に集まるファンを介してコンテンツの制作者たちはより多くのユーザーにアクセスし、自分たちのIPが持つ価値を高めることができるとジェンキンスは主張しているのです。

1940年代の公式ファンクラブ、1960年代以降のコミック・ファンダム、2000年代以降のインターネット……スーパーヒーローはインターネット環境の普及以前から、まさにジェンキンスのいう「参加型文化」として成長してきたエンターテインメントジャンルだといえます。
現代のスーパーヒーロー・フランチャイズでは、コミックブックを中心に映画やドラマ、アニメーション、小説、ゲームといった複数メディアにまたがってコンテンツが展開され、アクションフィギュアやトレーディングカード、アパレルなどのグッズを販売、副読本、ニュースサイト、BBS、SNSなどでユーザーの参加意識を煽るなど、消費活動やコミュニケーションにファンが主体的にコミットすればするほど楽しみを得られる仕組みが出来上がっているのです。
ジェンキンスが『コンバージェンス・カルチャー』で展開した議論は、ファン同士のコミュニケーションを制作サイドがどのように宣伝に利用できるかを分析するものでした。いわばファンダムを使った宣伝戦略の勧めであり、そこではファン研究とマーケティングが直結しています。

同書で予言されたように、2026年現在、多くのひとやコンテンツ、メディア、企業、組織、団体、そして政治家までもが、SNSや動画配信プラットフォーム等のインターネットサービスを利用してマーケティングや広報、宣伝をおこなうようになりました。その意味では『コンバージェンス・カルチャー』の記述はきわめて先駆的なものだったといえますが、ただ「有害なファンダム」の存在に象徴されるように、それらは必ずしもうまくいってはいません。
インターネットによって双方向化したコミュニケーションは、マーケティング、宣伝担当者たちの楽観的な期待を裏切り、プラスの側面ばかりではなく、彼らの予測をはるかに超えたネガティブな影響をも産み出してしまっているのです。

 

劇映画の出現とスーパーヒーロー

スーパーマンが1938年に『アクション・コミックス』1号でデビューした直後から、コミックブックやスーパーヒーローは映画やラジオ、テレビ放送といった他のメディアと結びついたかたちで発展してきました。
この点に関して、コミックス研究ではこれら多メディア展開について、スーパーマンならスーパーマンという特定のキャラクターがポピュラリティーを獲得する過程として以外の言及がなされることはあまりありませんが、より踏み込んだ議論をおこなうのであれば、「展開される側」のメディアのあり方に関しても考える必要があるでしょう。

映画に関しては、1893年のトーマス・エジソンによるキネトスコープ[5]、1895年のリュミエール兄弟のシネマトグラフ[6]といった基礎技術の発明後、19世紀のあいだは「写真、絵が動いて見える」という現象レベルのポイントに関心が集まっていたと考えられます。そのため、この時期の映画は基本的に日常生活における「動きのある風景」を撮った、写真でいえばスナップ写真のようなものがほとんどです。
それが1902年のジョルジュ・メリエスによる『月世界旅行』[7]の発表以降、物語性を持った映像作品、いわゆる「劇映画」の制作が志向されるようになっていきました。この最初期の劇映画である『月世界旅行』は、ジュール・ヴェルヌが1865年に発表した同名の小説[8]を元にしています。
つまり、劇映画はその初期段階から小説のような「別なメディア」の作品の映像化をおこなっていたのです。
1927年には初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』[9]が公開され、以降アメリカ映画界は本格的に「劇映画」の時代になっていきます。

ところで、「メディアミックス」や「コミカライズ」といった日本でよく使われる言葉はじつは和製英語です。
日本でいう「メディアミックス」にあたるアメリカ英語は「メディア・フランチャイズ(Media Franchise)」[10]であり、このメディア・フランチャイズ自体はコミックブック登場直後からおこなわれていました。そもそもコミックブック自体がその草創期には新聞掲載のコミックストリップを再編集したものであり、一種のメディア・フランチャイズとしてはじまったものです。

最初のスーパーマンの映像化は1941年のマックス・フライシャーによるアニメ映画ですが、この時点で既に1911年にコミックス作家ウィンザー・マッケイが自作のコミックストリップをアニメーション化した『リトル・ニモ』[11]を発表していましたし、1921年にはジョンストン・マッカレーの小説を原作とするバットマンの発想のもとになった仮面のヒーロー「怪傑ゾロ」を主人公とする映画もつくられていました。
映画のスーパーマンは、この最初のアニメーション映画の時点で、コミックス原作映画としてもヒーロー映画としてもパイオニアという訳ではなかったのです。
特に娯楽映画の題材としての「ヒーロー」は、20世紀前半には、パルプ小説、コミックストリップ、ラジオドラマなどからさまざまなキャラクターが誕生しており、中でも1912年に発表されたエドガー・ライス・バロウズの小説『類猿人ターザン』[12]はたいへんな人気を博し、1918年には初の映画化[13]、1921年には舞台化、1929年には新聞でコミックストリップ連載が開始され、1932年にはラジオドラマシリーズの放送が開始されています。
アメリカにおいて最初に商業展開に成功したメディア・フランチャイズはターザンだとするのが妥当でしょう。

当時新興メディアだったコミックブックを出自とするスーパーマンやバットマンは、このターザンのブームに続いてメディア展開がなされており、1943年にはバットマン[14]、1948年にスーパーマン[15]の実写映画が公開されています。
この時期には他にも1941年にキャプテン・マーベル[16]、1944年にキャプテン・アメリカ[17]の映画も公開されていますが、1930〜40年代にかけてはザ・シャドウ[18]、バック・ロジャース[19]、フラッシュ・ゴードン[20]などの小説やコミックストリップといったさまざまなメディアを出自とするヒーローたちの映画がつくられており、この時期のヒーロー映画に関しては、それらが「コミックブックの」スーパーヒーローであることに大きな意味があったとは思えません。

 

放送メディアの登場

これらの映画は現在の劇場用長編映画とは異なり、15分程度の短編映画が一週間ごとに順番に公開されていき、何週かかけてひとつの話が完結する「連続劇映画(Movie Serial)」[21]という形式のものでした。
じつはこの初期の劇映画でいう「連続(Serial)」という考え方が、19世紀以降の大衆娯楽成立においてはキー概念のひとつになっています。活版印刷の普及以降、欧米では出版物が大量生産されるようになり、印刷技術の発達によってその単価も低下していきました。ただ、19世紀前半にはまだ一巻本の長編小説は高価だったため、大衆向けの娯楽読み物は週刊で分冊発行される形式で刊行されていました[22]。
この「分割して定期刊行される長編小説」が「Serial」という概念の元になったものです。小説の場合は紙媒体であるため「連載」の訳語があてられますが、映画やラジオ、テレビドラマの場合の日本語訳は「連続」になります。
小説も映画もその後の印刷やフィルム等のコスト低下によって、ページ数や上映時間の制約は軽減されていきますが、一方で出版や放送においてはコンテンツを順次定期的に配信していく「連続シリーズ」というフォーマットが定着することになりました。
放送日、時間がシステム上固定されることになるラジオ、テレビの「連続」ドラマ番組はこの形式のコンテンツの代表的なものといえるでしょう。

アメリカにおけるラジオ放送は1910年代を通して実験的な試みが続けられ、1920年代に入ると無線放送事業に参入する事業者が増加[23]。20年代半ば頃から企業広告を放送することにより事業資金を調達するビジネスモデルが定着し、1930年代はラジオ受信機の商品化、低価格化が進んだことによって、アメリカの一般家庭における、新聞、雑誌に続く主流マスメディアになりました。
こうした状況を背景に、ラジオ向けの娯楽番組として1920年代から制作されるようになったのがラジオドラマです。
役者の声と音楽、効果音のみで演じられるラジオドラマは、1950年代にテレビ放送が普及するまで、劇場に足を運ばなければならない映画と違い家庭で楽しめる物語メディアとして娯楽の中心的な役割を果たしていきます。
特に1940年から1951年まで10年以上続いたスーパーマンのラジオドラマ[24]は中でも成功したコンテンツのひとつでした。スーパーマンの弱点である「クリプトナイト」など、じつはラジオドラマを初出とし、のちにコミックブックに逆輸入された設定などもあり、ラジオドラマのヒットはこの時期のスーパーマンというキャラクターコンテンツの人気を維持するのに大きな役割を果たしたと考えられます。

これに対してテレビ放送技術は1930年代末に実用化され[25]、アメリカでは1941年にテレビ受像機(モニター)の統一規格が制定されたことで本格的な商業放送が開始されました。この商業テレビ放送は1934年に制定された通信法[26]の影響もあって、すでに放送用電波の帯域を割り当てられていたラジオネットワーク主導で発展し、1955年までにテレビジョンセット[27]の全米家庭への普及率は64.5%に到達、50年代後半以降はテレビ放送がマスメディアの中心を担うようになっていきます[28]。
スーパーマンはこの新しいメディアにもラジオドラマの終了から間もない1952年に登場し、このテレビドラマ版もラジオドラマ版同様1958年まで6シーズン全104話がつくられるヒットコンテンツになりました。
もちろんラジオにもテレビにもスーパーマンだけでなく、フラッシュ・ゴードンやシーナなどコミックスに出自を持つキャラクターたちが登場することになりますが、テレビ放送の出現がコミックブックに与えた最大の影響はむしろドラマやアニメ番組のコミカライズ出版というビジネスの創出でしょう。

ディズニースタジオやハンナ・バーベラ・プロダクション[29]などのアニメーション映画で登場したキャラクターたちは、テレビ放送が開始されると程なくテレビモニターの向こう側にも進出していき、併せてそのコミックブックシリーズも刊行されることになりますが、それだけでなく、1950年代後半にオリジナルのテレビドラマシリーズが制作されるようになるとコミックブック出版社はそのコミカライズも刊行するようになっていきます[30]。

 

1960年代の企業統合

映画史的には1927年のトーキー映画の登場から1960年までのハリウッド映画が「古典的ハリウッド映画」[31]とされ、この時期を指して「アメリカ映画の黄金時代」と呼ばれています。ただ、映画産業史的な観点から見た場合、1950年代はじめに大手映画製作配給会社による映画劇場公開の寡占体制が独占禁止法違反に問われたことから崩壊し[32]、1950年代後半のアメリカ社会でのテレビ視聴の急速な普及によってこれ以降の劇場入場者数は減少していくことになりました[33]。
結果として1960年代になるとそれまで制作、配給、劇場を垂直的に寡占することによって映画産業全体に支配的な影響力を振るっていた大手映画スタジオ[34]がその力を失い、企業体としては衰弱していくことになります。最終的にこれら映画製作配給会社は企業としての独立性を失い、「コングロマリット」の一部になっていきました[35]。

経済用語としての「コングロマリット(Conglomerates)」とは、財務的に統合された複数の業種にまたがる複数の企業からなる複合企業体のことです。
アメリカにおける持株会社を通じた企業の経営統合は1880年代のジョン・D・ロックフェラー[36]によるスタンダード・オイル・トラストの設立に起源を持ちますが[37]、1890年に反トラスト法が制定されて以降、アメリカにおける同一業種の経営統合は大手スタジオの配給、劇場ビジネスが分割されたことに象徴されるように独占禁止法によって規制されていました。ところが、1950年代末から1960年代にかけて持株会社が「無関係な複数業種の会社を買収し、企業グループを形成する」ことが流行します。
この現象を「コングロマリットブーム」といい、現在経済用語として定着している「コングロマリット」という言葉の用法はこのブームに由来しています。
この時期の企業買収は同一業種の関連企業をグループ化することで、当該産業における生産、流通、サービス等を効率化し、市場に対する独占的な支配権を確立しようとするようなものではなく、買収した企業のキャッシュフローや部署の売却、あるいはその企業が持つサービスやライセンスを担保に資金を借り入れることで新たな企業を買収し、複合企業体自体を巨大化させていくことで持株会社が保有する資産を増大させていくことにその目的がありました[38]。

DCコミックスの親会社であるナショナル・ピリオディカル・パブリケーションが1967年に現在のワーナー・ブラザースの前身であるキニー・ナショナル社に、マーベルコミックスは1969年に複合企業パーフェクト・フィルム・アンド・ケミカル社にそれぞれ買収されていますが(1970年にケイデンス・インダストリーに社名変更)、これも当時のアメリカにおけるこうしたビジネス上の流行があってのことだったわけです。

この無節操な企業買収のブームは1970年代には収束し、以降の複合企業体はむしろ近接領域にある企業同士を統合しビジネス上のシナジー(相乗効果)を期待する「メディア・コングロマリット(Media Conglomerates)」[39]のようなものが増えていきます。
この「コングロマリットブーム」を巡る一連の経緯は、カウンターカルチャーとDIYが流行し、消費社会への批判と反発が叫ばれていた1960年代のアメリカで、資本の集中と企業の系列化が同時に進行していたことを示すものだといえるでしょう。

 

行き当たりばったりなメディア・フランチャイズ

その後、大衆消費社会がより成熟に向かう1970年代から80年代にかけて、アメリカのコミックブック出版はテレビや映画、キャラクター商品展開と連動したメディア・フランチャイズ・ビジネスとしての性格を強めていくことになりました。
並行してこの時期にはファンダムやダイレクトマーケットの成立による高年齢読者の獲得、アラン・ムーア、グラント・モリソン、ニール・ゲイマン等のイギリス人作家たちのアメリカ進出[40]に象徴されるような物語内容の複雑化、高度化も進んでおり、バブル景気的な1990年代のコミックブームとその後のスーパーヒーローコミックスの物語としての成熟を共に準備した時代だったといえます。

ただ、一見まっすぐ進んでいたようにも見えるその道のりは、現在の視点で見返すと、かなり奇妙に曲がりくねったものです。

DCコミックスを設立したマルコム・ホイーラー=ニコルソン[41]、マーベルコミックスの創設者マーティン・グッドマン[42]といった1930年代のコミックブック草創期にそこに飛び込んでいった経営者たちは、まだ何ができるか、何をすればいいかも判然としない「コミックブック」という新商品を売るビジネスで一旗揚げようという、多分に投機的な面を持ったひとびとでした。
設立当初は会社の規模としても町工場に毛が生えたようなものであり、よくも悪くも経営者とライターやアーティストの距離もきわめて近く、(いろいろ揉め事はあったとしても)経営と編集、制作の現場も乖離はしていなかったわけです。

しかし、1960年代に起きたビジネス環境の変化によって、コミックブック出版というビジネスは、市井の町工場での人情喜劇のような世界から、突然「売上と株価と企業価値にしか興味のない経営者」が「キャラクターと物語にしか興味のない制作現場」をコントロールする、というシュールなスラップスティック喜劇の舞台のようなものに変化しました。
だからこそジム・シューターのような異才が活躍できたともいえるでしょうが、この時期のコミックブック産業のビジネスやコンテンツの展開は驚くほど行き当たりばったりです。

まず、現在も主流の流通現場になっている専門小売店「コミックショップ」はその読者が勝手に始めたものでした。
コミックショップ専門流通のアイディアもシステム設計もファンによるものですし、現在ある「コミックブック販売」の仕組みの基礎的な部分の構築は「DC、マーベルのような大手コミックブック出版社が主導していない」というレベルではなく、コミックブック出版社はまったくかかわっていません。
あからさまな言い方をすると出版社と無関係な「ファン活動」が商売になっていっただけなのです[43]。

コンテンツ制作面から見ても、そこでおこなわれていた活動はおよそトータルプロデュースの意識には欠けています。
たとえば、現在のスーパーヒーローコミックスのストーリー展開において主軸ギミックになっている、全タイトル、全キャラクターを巻き込んでおこなわれる「フルスケールクロスオーバー」というイベントは、玩具メーカーから持ち込まれたキャラクター商品企画から始まったものです。
ライセンス先の商品企画の都合で要請されたアイディアがその後のスーパーヒーローコミックスのコンテンツ展開のあり方を根底から変えてしまったわけですから、じつはこれは相当奇妙な話でしょう。

映画やテレビ、小説といった他のメディア、あるいは他社からライセンスされたプロパティ、キャラクターの扱いに関しても、当時のコミックブックは相当いい加減でした。
こちらも具体例を挙げれば、1976年にマーベルコミックスはジャック・カービーの脚本、作画によるスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』のコミカライズとその続編的なジャック・カービーによる同名のオリジナル・コミックブック・シリーズ(全10号)を刊行していますが、この続編シリーズにカービーは自身のアイディアに基くオリジナルキャラクター、マシンマン[44]を登場させており、このキャラクターはマーベルが『2001年宇宙の旅』の商品化権を失った後はなぜかそのままマーベルユニバースに組み込まれてしまいます。
1977年にマーベルは前年に取得した東宝のゴジラのライセンスを使ったコミックブックシリーズの出版をはじめますが、このシリーズのストーリーは東宝映画のゴジラシリーズとはまったく関係がなく、最初からマーベルユニバースの世界観の中で話が進んでいきます[45]。
しかも、1979年に東宝がライセンス料を引き上げるとマーベルはあっさりシリーズを打ち切ってしまい、これ以降はマーベルユニバースの歴史には最初からゴジラはいなかったことになりました[46]。

このゴジラシリーズで初登場したキャラクターたちもその後のマーベルコミックスにそのまま出てきたりするのですが、このような作劇は読者としては読んでいて困惑せざるを得ないものでしょう。

 

ジョージ・ルーカスの革命

こうした奇妙なキャラクター、コンテンツの展開がおこなわれた要因のひとつは、この時期の経営陣にほぼ「自分たちのビジネスがどのようなものか」についての関心が欠落していたことだろうと思います。

基本的に1980年代までのコミックブックは単行本化される前提がなく、モノとしてコレクションされることはあってもただ読み捨てられるだけのメディアだと考えられていました。1980年代中盤から『ウォッチメン』や『バットマン:ダークナイト・リターンズ』といった「ブックフォーマットにシリーズがまとめられ、かつベストセラーになる」作品が登場するまでは、読み物としてのコミックブックは「ファン」以外からはあまり興味を持たれていなかったのです。
スーパーマンやスパイダーマンといったキャラクターは知っていても、リアルタイムにコミックブックを読んでいるビジネスマンなどほとんどいなかったと思われます。

ましてや、雑誌や日用品に付随した雑貨的な扱いから専門店をベースにした収集品へと変化しようとしていたこの時期のコミックブック業界の流通事情など、たいして関係のない業種の親会社から派遣された経営陣からすれば完全に関心外のことだったでしょう。

また、ウォルト・ディズニー・プロダクションのような例外はあったにしろ、当時はキャラクターIPの継続的な活用、コントロールといった発想自体がまだ一般的ではなかったという点にも留意する必要があります。
すでに映画やテレビドラマとして007シリーズや『スタートレック』のような長期に渡って展開されていたIPが存在していたにもかかわらず、この点をクリエイターが積極的にハンドリングすることでコンテンツやキャラクター商品の展開まで含めたIP全体としての価値を高めることができるという発想は、アメリカのコンテンツ産業全体として見ても1977年に公開されたジョージ・ルーカス監督の映画『スターウォーズ』がブームになるまではほとんど意識されていなかったのです[47]。

ジョージ・ルーカスは、配給会社である20世紀フォックスとの契約交渉の際に、監督、脚本としての追加報酬を辞退する代わりに、スターウォーズ・フランチャイズに関するライセンス権、マーチャンダイズ権を要求し、これを認められました[48]。
この契約によって、ジョージ・ルーカスは映画の続編に限らず、スターウォーズに関する小説やコミック、アニメーション、ゲーム、キャラクター商品などを自らプロデュースする権利を得ることになり、それらの売上から莫大な報酬を得るとともに「スターウォーズ」の物語世界を細部に至るまで自身のヴィジョンに基づいて構築する権利を得た訳です。

IP、つまり知的財産という概念は、18世紀中盤のイギリスでの文学的な著作物に対する係争に起源を持ちます[49]が、ルーカスの成功はこの概念を単一の作品、コンテンツに限定されたものではなく、メディア・フランチャイズ全体を包含したものへと拡大しました。

一方で1970年代のアメリカの映画産業は1950年代の大手スタジオの解体、1960年代のアメリカ社会へのテレビ受像機の普及を受けた劇場入場者数の激減という苦境を経て、業界全体が再編されていった時期でした。
配給、興行、制作部門の分割を余儀なくされた結果、テレビも含めた独立系映像制作会社が急増し、映画配給会社の役割は映画企画に対する制作資金提供(プロデュース)と劇場チェーンとの交渉による当該映画の公開館の確保がメインになっていきます[50]。
結果として1970年代には多額の事前宣伝費をかけることで、大量の公開館を確保する大作「ブロックバスター」[51]映画がその興行の中心になっていきました。
ただ、初期のブロックバスター映画は多額の制作費、宣伝費がかかる割りに興行自体は作品単体で完結するためにギャンブル性が高く、公開後の成功と失敗が極端なものになりがちでした。1977年のスターウォーズが改めて提示した、続編制作やシリーズ展開を可能にする「IP、メディア・フランチャイズの一環としての映画」という方法論は、そうしたブロックバスター映画のリスクを低減するための方法論、方向性を示したものだったといえます。

そして、『スターウォーズ』と同時期にリチャード・ドナー監督によって最初の二作が並行して撮影されていた、クリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』(1978)[52]は、1987年まで続編が四作つくられた[53]、スーパーヒーローコミックスがモダンハリウッドにおけるライセンス供給源として有用であることを証明する最初の事例でした。

 

スーパーマンからMCUへ

ただ、その後1989年公開のティム・バートン監督『バットマン』にはじまるバットマン映画四部作[54]など、断続的にコミックブック、スーパーヒーローコミックスを原作とするヒット映画は登場しますが、20世紀中には単発映画がほとんどで、じつは続編制作やシリーズ化まで発展した例は数えるほどしかありません[55]。

これはディズニーとルーカス以外のIPホルダーが映画やテレビドラマ、アニメーションの番組制作においては主導的な役割を果たしていなかったことに起因する現象です。じつはドナーの『スーパーマン』やバートンの『バットマン』では、その映画化権は個々のIPごとにプロデューサーや制作会社にライセンスされており、この時点では1978年の映画版スーパーマンと1989年の映画版バットマンを共演させるような映画を撮ることは契約上不可能でした。
先にも述べたように、当時のスーパーヒーローコミックスはキャラクターやその設定こそ知られていましたが、アメリカ社会においても物語として広く読まれていたわけではありません。いまでこそ日本でも当たり前のように語られるヒーロー同士の共演「クロスオーバー」やその共有世界「ユニバース」といった約束事も、コミックファン以外には知られていない特殊な知識だったのです。
そのため、これらの映画は「特定の原作マンガの映画化」ではなく、あくまでスーパーマンやバットマンのキャラクターと設定を利用した映画オリジナル作品として創られています[56]。

こうしたスーパーヒーロー映画のあり方を根底から刷新したのが、2010年代のマーベルスタジオ制作映画、いわゆるマーベル・シネマティック・ユニバース(通称MCU)でした。
しかし、マーベルコミックスが自社の保有IPを映画化するための映画制作会社を立ち上げ、2012年の『アベンジャーズ』でMCUという映画界における新潮流を創り出すまでには、経営破綻を含む複雑怪奇な道程が待っていたのです。

まず1986年にマーティン・グッドマンからマーベルコミックスの経営権を譲り受けたケイデンス・インダストリー社が映画制作会社ニューワールド・エンターテインメント[57]にその株式と経営権を売却、1989年にはニューワールド社がロナルド・ペレルマン[58]が経営する持株会社マッカンドリュー&フォーブスにそれらを売却しました。
生粋の投資家だったペレルマンは、利益率をあげるためにコミックブックの価格をひきあげ、刊行するコミックブックタイトルを増やし、その収益増を背景に当時のマーベルコミックスの経営母体だったマーベル・エンターテインメント・グループの株式を上場します。さらにその株式を担保にトイメーカーやトレーデングカードメーカー、コミックブック出版社、コミックショップ専門流通業者などのコミックブック出版関連企業を次々と買収し、1980年代に整備されたばかりのコミックショップ流通市場におけるマーベル関連製品の売上シェアを拡大しようと試みました[59]。
基本的に株価や企業の資産価値にしか興味のないペレルマンはIPのメディア展開やコンテンツの質といったものには関心が薄く、自社製品の市場占有率を高めることでマーベルとその傘下企業の株価と現金収入を引き上げようとしたのです。

しかし、質を度外視したコミックブックタイトルや関連商品の濫発、新刊定価の高騰は、読者をコミックブック市場から遠ざけることになり、1990年代半ばにはマーベルコミックスの市場占有率は上がっても「ダイレクトマーケット」全体の市場規模は縮小していくという悪循環を生むことになりました。
特に1995年にマーベルコミックスが自社コミックブックのコミックショップ向け流通を傘下に加えた流通会社「ヒーローズ・ワールド・ディストリビューション」[60]に独占させると発表したことは、当のヒーローズ・ワールド社を含めたコミックブック業界全体を大混乱に陥れることになります。
売上的にはその時点で業界第三位ではあったものの全米規模での受注、集配業務を行うためのシステム、設備的なインフラを持っていなかったヒーローズ・ワールド社は突然大量の受注を受けて誤配や遅延、請求ミスが多発し、コミックショップにおけるマーベルコミックスの新刊流通は事実上ストップ、いきなり売上高の三割を占めていたマーベルのコミックブック新刊の扱いを失ったヒーローズワールド以外の中小のコミックブック流通会社は次々に倒産していきました。

こうした無謀な規模拡大と経営的な失敗によって、マーベル・エンターテインメント・グループは企業買収によって負った銀行からの借入とグループ会社の赤字を原因とする莫大な負債を負うことになり、1996年には経営破綻し、日本でいう会社更生法[61]の適用を申請することになります。
その後、二年にわたる法廷闘争の末に1998年、経営陣は一新され、マーベル・エンターテインメントは系列の玩具メーカー、トイビズ社[62]と合併、マーベル・エンタープライズという新会社としてトイビズのCEOアイク・パルムッター[63]のもとで再出発することになりました。

 

「ユニバース」の是非

「参加型文化」としてのコミックブック市場の特性を無視したペレルマンと異なり、パルムッターらトイビズの経営陣は、トイでの商品開発、販売の経験からIPとしてのキャラクター、コンテンツの重要性をよく知るひとたちでした。
彼らは新体制下でコミックブック出版部門の再建、リブランディングを図るとともに、1996年にペレルマンが自身の再建計画をアピールするために設立した映画制作会社「マーベルスタジオ」を活用してマーベルキャラクターのメディア・フランチャイズ展開を本格化しようと試みていくことになります[64]。

マーベルスタジオ初代CEOアヴィ・アラド[65]の下での最初の成果がウェズレイ・スナイプス主演の『ブレイド』(1998、ニューラインシネマ)、ブライアン・シンガー監督の『Xメン』(2000、20世紀フォックス)、サム・ライミ監督による『スパイダーマン』(2002、ソニー/コロンビアピクチャーズ)といった同スタジオ第一期スーパーヒーロー映画たちです。
これらの映画、特に『スパイダーマン』のヒットは不安視されていた新生マーベルグループの先行きを明るくするニュースだったといえますが、一方でこの時期のマーベル映画はIPごとにマーベル側がパッケージ化した映画企画を、プロデューサーや配給会社、映画制作会社にライセンスするかたちで制作されるものでした。
このやり方は映像制作には直接関わらない分映画からの直接的な収益は少ないものの、脚本やイメージボード、キャスティングといったプリプロダクション段階まではコントロールできるという、それまでの「映画化権を売ったらあとは映画制作サイド任せ」というやり方とは一線を画すものです。
少なくとも、この第一期マーベルスタジオ映画以降のスーパーヒーロー映画は、直接的にストーリーや画づくりをコミックブックからレファレンスしたコンテンツになっていきます[66]。

しかし、マーベルスタジオの画期性は、そこからさらに自社資金調達による映画製作に乗り出し、直接コンテンツ制作を主導する方向に舵を切ったことにありました。
2008年公開の『アイアンマン』(パラマウント・ピクチャーズ)以降、マーベルキャラクターの映画が配給会社の枠を超えてつながりを持ったシリーズとして制作されるようになったのはこのマーベルスタジオの方針転換があってのことです。
アヴィ・アラドが主導した第一期マーベルスタジオによる改革は「スパイダーマンのコミックスを原作とした映画」の制作を促すものでしたが、2004年にマーベルスタジオの取締役社長に就任したデヴィッド・メイゼル[67]が持ち込んだこの新方針[68]は、特定のキャラクターではなく「マーベルユニバースという共通世界を舞台にした群像劇としてのマーベルコミックスを原作とした映画」シリーズの制作を可能にしました。
この変革はアメリカのメディア・フランチャイズ・ビジネス全体に大きな変化をもたらしたものだったといえます。

メイゼルとその跡を継いだケビン・ファイギ[69]による第二期マーベルスタジオが実現した、既存の複数のキャラクターIPをもとに映画を大規模なメディア・フランチャイズとして展開するというスーパーヒーローコミックスに由来する方法論は、それまではキャラクターIP単位でバラ売りされていた映画化権をマーベル自身が制作主体になって自主管理することで、個別の映画の続編やシリーズ化、メディア・フランチャイズ展開を産み出しやすくするものでした。
このため、2012年に公開された、それまで個別の主演映画で登場したキャラクターたちが本格的な共演を果たす『アベンジャーズ』[70]の成功があきらかになると、マーベルのスーパーヒーローコミックス出版のライバルであるDCコミックスの「DC・エクステンデッド・ユニバース(DCEU)」[71]をはじめ、レジェンダリー・エンターテインメントとワーナーブラザースの制作によるゴジラとキングコングを中心にした「モンスターバース」[72]、ユニバーサル・ピクチャーズが制作した過去のホラー映画をもとにした「ダーク・ユニバース」[73]など、さまざまなIPを利用した映画での「ユニバース」展開が発表されました。

ただ、残念ながら(DCコミックスのそれを含め)多くのユニバース映画は当初期待されたほどの成果をあげられていないようです。

これには、まずモンスター映画やホラー映画などの映画ジャンルは、基本的に単一のキャラクターを中心にした映画の集積であって、これまでコミックブックがおこなってきたような節操のないキャラクターの共演劇はそこまで前例があるわけではないことが原因として挙げられます。1960年代以降(より遡れば1940年代から)クロスオーバー企画を継続して展開し続けてきたスーパーヒーローコミックスとは原作、原案となり得るストーリーの蓄積に大きな差があるわけです。

次に、制作体制の問題があります。
マーベルスタジオはライセンスホルダーである同社のトップがアメリカのテレビ番組制作におけるショーランナー[74]のような役割を果たしており、映画やテレビドラマ、コミックブック出版などのコンテンツ展開全体を統括するような役割を担っています。
これに対しDCEU初期には制作主体となるスタジオが存在せず、クリエイティブ面での統括的なビジョンを持った先導者が存在しませんでした。とりあえず2013年のザック・スナイダー監督『マン・オブ・スティール』[75]が興行的に成功するとザック・スナイダー監督の構想をもとにユニバース展開をおこなうかのように経営サイドは動きますが、2016年に公開された同監督によるその続編『バットマン vs スーパーマン:ジャスティスの誕生』[76]が批評的にも興行的にも微妙な結果に終わると、一転してDCコミックスのキャラクター・フランチャイズのコンテンツ展開を統括する制作会社「DCフィルムズ」を当時のDCコミックスの編集責任者だったジェフ・ジョーンズ[77]とワーナーブラザースの副社長だったジョン・バーグ[78]をトップとして設立します。2021年の映画雑誌『ヴァニティ・フェア』誌の記事によれば、この制作会社の設立は、ワーナーブラザースの経営陣が彼らのコントロールを受け付けないザック・スナイダーとの仲介役となることを期待したものでした[79]。

 

「正しい解釈」を求めて

自社がイニシアチブを握ったかたちでのコンテンツ制作にこだわり、映画制作を中心としたメディア・フランチャイズ・ビジネスへと自社IPのコンテンツ展開を再編したマーベルと異なり、DCコミックスとそのキャラクターは、親会社であるワーナーの不安定さ[80]もあって、全体としてのメディア・フランチャイズの方向性と各コンテンツの制作が必ずしも連動しないまま映画製作がおこなわれてきたわけです。
2017年に家庭の不幸もあってザック・スナイダーが『ジャスティス・リーグ』の監督を降板する[81]と、以降のDCEU映画からは事実上スナイダーの影響は排除され、2018年にはジェフ・ジョーンズとジョン・バーグもDCフィルムズを離れました。以降のワーナー/DCでは「ユニバース」内の映画とそうではない単発映画が入り混じって制作されるという混沌とした状況になっていきます。

そのような混乱した状況を収束し、自社のメディア・フランチャイズを統合、整理しなおすためワーナーブラザースは2022年にDCフィルムズの解散とその後継となる新映画制作会社「DCスタジオ」の設立を発表、そのトップにプロデューサーのピーター・サフラン[82]と映画監督のジェームス・ガン[83]を据えました。
2025年夏にジェームス・ガン監督の『スーパーマン』が公開され、この新体制が本格稼働しましたが、同年後半から再度の企業買収によってワーナーブラザースの経営権が移動することがほぼ確実になっているため、この体制がどこまで続くのかも不透明になってきています。

また、MCUがその覇権を確立し、DC映画が混沌とした歩みを続けたこの2010年代から2020年代前半は、インターネットの高速回線と携帯端末としてのスマートフォンが普及し、動画配信サービスやSNSのようなインターネット・メディアが大きな影響を持つようになった時代でした。
そんな中で1990年代までとは異なり、アメリカでコミックファンはあきらかに大作スーパーヒーロー映画のコアユーザーとして意識されるようになっていきます。
クリエイターや経営サイドにもコミックファンが当たり前に存在するようになった現在、特にネットでのコミュニケーションにおいて映画の原作となるコミックスの知識や映画に散りばめられた伏線の解釈がファンによる「考察」動画などで盛んに語られるようになりました。

冒頭で紹介したヘンリー・ジェンキンスは、このような大衆としてのファンがポピュラーカルチャー・マーケットに直接影響を与えるような状況を「コンバージェンス・カルチャー(Convergence Culture)」と呼び、それを新たなビジネスチャンスや政治的な改革の契機として捉えようとしているのですが、ファンと創り手の境界が曖昧化した現代のメディア環境は必ずしもそうした面でプラス要素になってはいません。

ここまで述べてきたように、映画やコミックブックのようなポピュラーカルチャーの特徴のひとつは、その時々のメディアや社会、文化状況によって作り出された需要に合わせて融通無碍にコンテンツを生み出してきた点にあります。
映画だけ見ても1990年代までのスーパーヒーロー映画とマーベルスタジオ以降のそれは、かなり異なった性格のものなのですが、多くのファンは自分が経験した範囲内の知識だけで「考察」をおこなうため、そこにはキャラクターの解釈ひとつとっても違いが生じ、本来娯楽でしかないはずのものの中にさまざまな「政治的正しさ」が乱立し、対立が生まれているのです。
たとえば『スターウォーズ』に関しては、2015年から展開された新三部作の主人公が女性だったこと、副主人公が黒人だったことに対して、オリジナルの『スターウォーズ』三部作に過度な愛着を持つファンたちが「オリジナルを汚した」といった原理主義的な正義感を動機として、演じた俳優たちに対してオンライン上で誹謗中傷をおこなったり、低評価レビューを組織的に投稿することでレビューサイトの結果を操作しようとするといった攻撃をおこないました[84]。
スーパーヒーローに関しても、「スナイダー・カルト」と呼ばれるザック・スナイダー監督のDCEU映画の熱狂的なファンたちが、『ジャスティス・リーグ』に関して不本意な離脱を余儀なくされたザック・スナイダー監督にオリジナルの構想に忠実な完全版をつくらせたいという、彼らが信じる「正しい」バージョン制作のために[85]、批評家やワーナーブラザースの経営陣などへのバッシング、殺人予告、オフィスへの電話攻勢などの嫌がらせをおこない[86]、ジェームス・ガン監督がDCスタジオの責任者に就任すると2025年に公開されたガン監督の『スーパーマン』鑑賞のボイコットを呼びかけるといったネガティブキャンペーンをおこなっています[87]。
こうした原理主義的に自身のキャラクター観、スーパーヒーロー観に固執する保守的なコミックファンがおこなう「有害な」ファン活動や逆に硬直したポリティカル・コレクトネスの主張から生まれた人格否定を含んだ作家やコンテンツへのキャンセルの主張(実際にエド・ピスコーを自殺に追いやっています)などはそのような現代のメディア・フランチャイズ環境が生み出す対立関係を象徴するものだといえるでしょう。

 

 

[1] Toxic Fandom 近年のアメリカでのその実例を扱った記事としてはAdam B. Vary, “Toxic Fandom: How Hollywood Is Battling Fans Who Are ‘Just Out for Blood’ — From Social Media Boot Camps to Superfan Focus Groups”, “Variety”, 2024, https://variety.com/2024/tv/news/star-wars-lord-of-the-rings-bridgerton-toxic-fans-hollywood-response-1236166736/など
[2] Star Wars Sequel Trilogy J. J. Abrams監督, “Star Wars: The Force Awakens(邦題『スターウォーズ:フォースの覚醒』)”, 2015, Walt Disney Studios Motion Pictures、Rian Johnson監督, “Star Wars: The Last Jedi(邦題『スターウォーズ:最後のジェダイ』)”, 2017, Walt Disney Studios Motion Pictures、J. J. Abrams監督, “Star Wars: The Rise of Skywalker(邦題『スターウォーズ:スカイウォーカーの夜明け』)”, 2019, Walt Disney Studios Motion Picturesの三部作。
[3] Henry Jenkins アメリカのメディア論研究者。ポピュラーカルチャーとメディアの関わりを主要なテーマにしており、1992年刊行の“Textual Poachers: Television Fans & Participatory Culture”, Routledgeはアメリカにおけるファン研究の先駆けとされる。
[4] Henry Jenkins, “Convergence Culture: Where Old and New Media Collide”, 2006, New York University Press, 邦訳は渡部宏樹, 北村紗衣, 阿部康人訳『コンヴァージェンス・カルチャー:ファンとメディアがつくる参加型文化』, 2021, 晶文社
[5] Kinetoscope 1888年にThomas Alva Edisonが基礎的なアイディアを考案し、1891年に撮影用カメラKinetographとともに特許を出願、1893年に公開された覗きこみ式の動画再生機。現在の映写フィルムの原型となる規格を開発したため、映画の原型技術の一つとされる。
[6] Cinématographe フランスのAuguste Marie Louis Nicolas LumièreとLouis Jean Lumièreの兄弟が1895年に開発した映写型の動画再生機。実質的にその後の映画の原型となったもの。
[7] Georges Méliès監督, “Le Voyage dans la Lune”, 1902, Star Film
[8] Jules Gabriel Verne, “De la Terre à la Lune”, 1865, Pierre-Jules Hetzel, 邦訳は複数存在するが、最新の邦訳は2005年に東京創元社から刊行された江口清訳『月世界へ行く』
[9] Alan Crosland, “The Jazz Singer”, 1927, Warner Brothers
[10] Media Franchise Franchiseはかなり幅広い用法で使われる言葉だが、この用法でいうFranchiseは「権利者から許諾を受けて販売されるサービス、商品」の意。ほぼ同じ意味合いでよりメディア拡張性を含意したTransmedia Franchiseという表現もある。
[11] Winsor McCay監督, “Little Nemo”, 1911, Vitagraph Studios
[12] Edgar Rice Burroughs, “Tarzan of the Apes”, 1912, A. C. McClurg, 邦訳は複数刊行されているが、最新は1999年に東京創元社から刊行された厚木淳訳『ターザン』。
[13] Scott Sidney監督, “Tarzan of the Apes”, 1918, First National
[14] Lambert Hillyer監督, “Batman”, 1943, Columbia Pictures, 全15回
[15] Spencer Gordon Bennet, Thomas Carr監督, “Superman”, 1948, Columbia Pictures, 全15回
[16] William Witney, John English監督, “Adventures of Captain Marvel”, 1941, Republic Pictures, 全12回
[17] Elmer Clifton, John English監督, “Captain America”, 1944, Republic Pictures, 全15回
[18] The Shadow 1930年にパルプ出版社Street & Smithが“Detective Story Magazine”の宣伝のためにはじめたラジオ番組のナレーターとして初登場し、そのキャラクターが人気を博したことから、逆算してキャラクター設定がつくられ、1931年から彼を主人公にしたパルプマガジンが創刊された。1931年以降40年代までのあいだ何度も劇映画化されており、1937年にはラジオドラマ化、1940年にはコミックストリップの連載が始まっている。以降もコミックブック出版、映画化などのメディア展開がある。
[19] Buck Rogers 1929年にJohn F. Dille Co.刊行のSF雑誌“Amazing Stories”に掲載された Philip Francis Nowlanの小説“Armageddon 2419 A.D.”で初登場したSFヒーロー。1929年からBuck Rogersを主人公としたコミックストリップの連載が始まり、1932年にはラジオドラマ化。1939年には連続劇映画がつくられ、1950年代、1980年代にはテレビドラマシリーズもある。
[20] Flash Gordon Buck Rogersのコミックストリップの人気に刺激されたコミックストリップ配信会社King Features SyndicateがAlex Raymondに創作させたSFヒーロー。1934年からコミックストリップの連載が開始され、1936年から複数回連続劇映画化されている他、1980年には長編映画がつくられ、50年代以降は何度もテレビドラマシリーズ、テレビアニメーションシリーズがつくられている。
[21] Movie Serial / Serial Film 1908年にフランスでつくられたアメリカのパルプマガジンの探偵Nick Carterを主人公とした映画“Nick Carter, le roi des détectives”からはじまった形式。アメリカで最初にこのタイプの映画がつくられたのは1912年の“What Happened to Mary”からだとされる。
[22] Charlotte Barrett, “Victorian Publishing History”, “Great Writers Inspire”, 2012, https://writersinspire.org/content/victorian-publishing-history
[23] 1920年にラジオの商業放送が開始。それ以前は教育機関や自治体等の公共サービスがラジオ放送の主体だった。
[24] 現在このラジオドラマの音源はかなりの数がインターネット上で音声データがアーカイブ化されており、たとえばInternet Archieveの該当ページ“The Adventures of Superman”, https://archive.org/details/superman_otr などで聞く事ができる。
[25] 1939年にニューヨーク州で初の定期放送サービスが実現。
[26] The Communications Act 1934年に制定されたアメリカの無線、有線通信に関する基本的なルールを定めた法律。Federal Radio Commission(全米ラジオ委員会)に替えてFederal Communications Commission(全米通信委員会)を設置、これ以降はアメリカにおける通信事業の監督、規制を同委員会がおこなうようになった。
[27] Television Set 受信アンテナとテレビ受像機のセット。
[28] 霜鳥秀雄, 「米商業テレビネットワーク50年の軌跡~プライムタイム番組編成からの考察~」, 『NHK放送文化研究所 年報1999』, 1999, NHK放送文化研究所
[29] Hanna-Barbera Productions 1957年に設立されたアメリカのアニメーション制作会社。2001年にWarner Brothers Animationに統合された。『トムとジェリー(Tom and Jerry)』をはじめ、現在Cartoon Netwaorkで放送されている多くのアニメーションのオリジナルを創作した。
[30] このコミカライズ出版をテレビ放送黎明期から積極的におこなっていたのが最初のコミックブックである“Famous Funnies”(1933)を出版したDell Comicsやその提携先であるWestern Publishingの子会社であるGold Key Comicsであることは、一種の宣伝媒体としてはじまったコミックブックというメディアの性質をよく表している。
[31] David Bordwell, Janet Staiger, Kristin Thompson, “The Classical Hollywood Cinema: Film Style and Mode of Production to 1960”, 1985, Columbia University Press, この本では美術史、音楽史に倣い歴史区分を表現様式の成立に見ているため、1917年のハリウッド古典様式の成立を見ているが、ここではより通俗的な区分に従い、便宜的にスタート地点をトーキー開始の1927年に置いている。
[32] 前田耕作, 細井浩一, “映画産業における寡占の形成と衰退―日米における「撮影所システムの黄金時代」の比較を通じて―”, “アートリサーチ”Vol.12, 2012, 立命館大学
[33] 前田耕作, 細井浩一, “1970年代における米国映画産業復活の諸要因に関する考察 ーパラマウント同意判決とTV放送による影響の検証を中心としてー”, “立命館映像学”, 2012, 立命館大学
[34] Major Film Studios Paramount Pictures、Warner Bros.、RKO Pictures、Metro-Goldwyn-Mayer、20th Century Foxの傘下に配給会社、劇場を持つ大手5社(Big 5)とUniversal Pictures、United Artists、Columbia Picturesという準大手3社(Small 3)の8社の映画制作会社。
[35] David A. Cook, “History of film”, “Brittanica”, 2026, https://www.britannica.com/art/history-of-film
[36] John D. Rockefeller アメリカの実業家。1870年にStandard Oil Companyを設立し、石油生産流通に関する関連企業を統合したthe Standard Oil Trustのオーナーとして巨万の富を築く。同社は1911年に反トラスト法違反で解体されたが、分割されたグループ企業の株式を所有していたロックフェラー自身の個人資産は莫大なものになった。
[37] “The Holding Company”, “KONVOY”, 2025, https://www.konvoy.vc/newsletters/the-holding-company
[38] James T.Scott, “Conglomerates”, “Encyclopedia.com”, https://www.encyclopedia.com/social-sciences-and-law/economics-business-and-labor/businesses-and-occupations/conglomerates
[39] Media Conglomerates グループ内に音楽、映画、出版、放送などのメディア関係企業を有する企業複合体。
[40] 通称British Invasionと呼ばれる英国系のライター、アーティストのアメリカ進出。英国内でのアンダーグラウンド・コミックスや1960年代のマーベルコミックス以降のアメリカンコミックスに影響を受けた新世代のクリエイターたちがアメリカで活躍するようになった現象を指す。その象徴が1986年に発表され、現在も古典として扱われているAlan Moore脚本, Dave Gibbons作画, “Watchmen”, DC Comicsである。
[41] Malcolm Wheeler-Nicholson アメリカのパルプ小説家、軍人、出版者。1917年にアメリカ軍に入隊、大統領を批判したことをきっかけに基礎沙汰や銃撃事件に巻き込まれた末に1923年除隊。軍に在籍中から軍事ノンフィクションなどを執筆していたが、1925年に自ら出版社を立ち上げて出版活動を開始。1935年にコミックブック出版社National Allied Publicationsを設立、コミックブック・オリジナル作品のみを掲載した最初のコミックブック“New Fun”を創刊した。しかし、共同経営者だったHarry DonenfeldとJack Liebowitzによって経営権を奪われ、1938年に同社を去った。1965年没。
[42] Martin Goodman アメリカの出版者。1920年代末にパルプ雑誌出版の世界に参入し、1930年代にその編集者として活動したのち、1939年にコミックブック出版社Timely Publicationsを設立。同社は何度も社名変更をおこなったのち、1961年にMarvel Comicsに改称。Goodmanは1968年にMarvel Comicsを含む保有企業の経営権をPerfect Film & Chemical Corporationに売却。1992年没。
[43] 1960年代におけるコミックショップという小売店の出現自体は、どちらかといえば自費出版によるカウンターカルチャー運動としてのアンダーグラウンドコミックスと関係が深い。
[44] Machine Man 人間的な自我を持ったアンドロイドのキャラクター。人間としての名称はAaron Stack。1977年刊行の“2001: A Space Odyssey”#8, Marvel Comicsで初登場し、1978年刊行のJack Kirby脚本、作画による“Machine Man”, Marvel Comicsでマーベルユニバースに組み込まれた。
[45] Doug Moench脚本, Herb Trimpe他作画, “Godzilla, King of the Monsters”, 1978, Marvel Comics
[46] Mark Buxtone, “Godzilla vs. the Marvel Universe”, “Back Issue!”#116, 2019, Tomorrow Publishing
[47] この点に関してはGarry Jenkins, “Empire Building: The Remarkable Real Life Story of Star Wars”, 1998, Simon & Schuster Ltd. (邦訳は野田昌宏訳, 『ドキュメント《スターウォーズ》 ジョージ・ルーカスはいかに世界を変えたか』, 扶桑社)など研究、解説書が複数出ている。
[48] Dale Polock, “Skywalking: The Life and Films of George Lucas”, 1983, Harmony Books, 邦訳は高貴準三訳, 『スカイウォーキング《完全版》ジョージ・ルーカス伝』, 1997, ソニー・ミュージック・ソリューションズ(タイトルに「完全版」とあるのは、1993年に抄訳版がバンダイ出版から刊行されていたため)
[49] “intellectual Property”, “Merriam-Webster”, https://www.merriam-webster.com/dictionary/intellectual%20property
[50] Michael Storper, Susan Christopherson, “Flexible Specialization and Regional Industrial Agglomerations: The Case of the U.S. Motion Picture Industry”, “Annals of the Association of American Geographers” Vol.77 issue1, 1987, General & Introductory Geography
[51] “blockbuster”, “Cambridge Dictionary”, https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/blockbuster#google_vignette
[52] “Superman II”に関しては、プロデューサーとの対立から監督のRichard Donnerが解雇され、1980年に公開された完成版にはRechard Lesterが監督としてクレジットされている。
[53] Richard Donner, “Superman”, 1978, Warner Bros., Rechard Lester, “Superman II”, 1980, Warner Bros., Rechard Lester, “Superman III”, 1983, Warner Bros., Sidney J. Furie, “Superman IV: The Quest for Peace”, 1987, Warner Bros.の四作。
[54] Tim Burton, “Batman”, 1989, Warner Bros., Tim Burton, “Batman Returns”, 1992, Warner Bros., Joel Schumacher, “Batman Forever”, 1995, Warner Bros., Joel Schumacher, “Batman & Robin”, 1997, Warner Bros.の四作。
[55] インディペンデント系コミックスを原作とする“Teenage Mutant Ninja Turtles”(1990年から1993年まで三作がNew Line Cinemaで制作)、“The Crow”(1994年から2005年まで四作がDimension Films
とMiramax Filmsによって制作)、マーベルコミックス刊行の同名タイトルが原作の“Blade”(1998年から2004年まで三作がNew Line Cinemaで制作)といった辺りがこの時期に続編が制作されたコミック原作映画になる。
[56] スーパーマン4部作、バットマン4部作は脚本的にもほとんどコミックスのストーリーを参照していない。
[57] New World Entertainment 1970年に映画監督Roger Cormanが設立した映画制作会社。
[58] Ronald Perelman アメリカの実業家。1983年に買収した会社法人を元に投資、持株会社MacAndrews & Forbes Holdingsを設立。業種を選ばず様々な企業を買収し、経営権を取得した企業を組織改編、分割、統合し、それに伴う証券取引などによって利益を得ている。
[59] Chuck Rozanski, “How Ronald O. Perelman Caused Harm to the Comics Industry”, “Mile High Comics”, 2002, https://www.milehighcomics.com/tales/cbg37.html, Chuck Rozanski, “Perelman’s Team Nearly Destroyed the Entire World of Comics”, “Mile High Comics”, 2002, https://www.milehighcomics.com/tales/cbg38.html
[60] Heroes World Distribution 1975年にアメリカ、ニュージャージー州で設立されたコミックブック流通会社。1997年倒産。
[61] Chapter 11 of the United States Bankruptcy Code 米国破産法第11条に基づく事業保護プロセス。
[62] Toy Biz 1988年にカナダ、ケベック州で設立された玩具メーカー。1990年にIke Perlmutterによって買収され、1998年にマーベルと合併して以降は同社のトイ部門となるが、2007年にマーベルがHasbroと5年間のライセンストイ生産の独占契約を結んだため部署としても活動を停止した。
[63] Ike Perlmutter パレスチナ出身のユダヤ系アメリカ人実業家。2009年にMarvel Entertainment(205年にMarvel Enterprisesから改称)がWalt Disney Companyに買収されて以降も2023年に解任されるまで同社CEO。
[64] これ以降のMarvel Sudiosの躍進に関してはJoanna Robinson, Dave Gonzales, Gavin Edwards, “MCU: The Reign of Marvel Studios”, 2023, Headline Book Publishing(邦訳は吉川悠監修, 島内哲朗訳, 『比類なき映画スタジオの驚異的〔マーベル〕な逆転物語』, 2024, フィルムアート社)に詳しい。
[65] Avi Arad アメリカのトイデザイナー、映像プロデューサー、アニメーション・スタジオ経営者。イスラエル出身のユダヤ系アメリカ人で1970年にアメリカに渡り、その玩具開発の能力を見込まれて1990年代初頭にトイビズの共同経営者になる。1996年のMarvel Studios設立時にその経営責任者に就任し、2006年までCEOをつとめた。以降は自身のアニメーション制作スタジオArad Productionsを運営している。
[66] たとえばChristopher Nolan監督の“Batman Begins”(2005)に始まる、いわゆるダークナイト三部作やZack Snyder監督の“Man of Steel”(2013)にはじまるスーパーマン登場作品はオリジナル脚本だが、原作としていくつかのコミックスのストーリーを参照して脚本がつくられている。
[67] David Maisel アメリカの実業家、演劇、映画プロデューサー。ディズニーを含むいくつかのエンターテインメント産業で経営やプロデュースに携わったあと、2004年にマーベルスタジオのCEOに就任。2009年のディズニーによるマーベル・エンターテインメント買収までマーベルスタジオの最高経営責任者をつとめた。買収の実現と同時に退任し、以降フリーの映画プロデューサーとして活動。
[68] Kim Masters, “Marvel Studios’ Origin Secrets Revealed by Mysterious Founder: History Was “Rewritten””, “The Hollywood Reporter”, 2016, https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-features/marvel-studios-origin-secrets-revealed-889795/
[69] Kevin Feige アメリカの実業家、エンターテインメント・プロデューサー、2007年にマーベルスタジオの代表取締役に就任。2019年からマーベル・エンターテインメントのクリエイティブ部門の総括責任者。
[70] Joss Whedon, “The Avengers”, 2012, Walt Disney Studios
[71] DC Extended Universe 2013年に公開されたZack Snyder監督のスーパーマン映画“Man of Steel”(Warner Bros.)から始まるDCコミックスのキャラクター・フランチャイズをもとにした映画ユニバース。
[72] Monsterverse 2014年公開のGareth Edwards監督“Godzilla”(Legendary Pictures / Warner Bros.)にはじまるゴジラ及び東宝怪獣とキングコングを中心にした映画ユニバース。
[73] Dark Universe Universal Picturesが2013年に発表したUniversal制作のホラー映画のキャラクターをもとにした映画ユニバース構想。2017年公開のAlex Kurtzman監督“The Mummy”(Universal Pictures)が第一作と位置付けられているが、その興行的失敗から以降の展開は凍結されている。
[74] Show Runner アメリカのテレビシリーズの最高責任者、ドラマシリーズの場合はシリーズ構成をつとめる脚本家が担当していることが多い。映画でいえば製作面(予算、キャスティング等の管理)の責任者であるプロデューサーと制作面(クリエイティブ)での責任者である監督を兼務するような役職名。
[75] この作品自体、完全にZack Snyderひとりのビジョンで制作されたわけではなく、ダークナイト三部作を成功させていたChristopher Nolanが監修としてクレジットされている。
[76] Zack Snyder, “B v S: Dawn of Justice”, 2016, Warner Bros.
[77] Geoff Jones アメリカのコミックス脚本家、編集者、プロデューサー。90年代末からDCコミックスで脚本を書きはじめ、Justice Society、Justice League系の脚本で人気を博す。2011年から2018年までDCコミックスの編集責任者、チーフ・クリエイティブ・オフィサー。2018年以降はImage Comicsなどからオリジナル作品を発表している。
[78] Jon Berg アメリカの映画プロデューサー。2018年にVertigo Entertainmentに移籍した。
[79] Anthony Breznikan, “Justice League: The Shocking, Exhilarating, Heartbreaking True Story of #TheSnyderCut”, “Vanity Fair” Hollywood 2021 Issue, 2021, https://www.vanityfair.com/hollywood/2021/02/the-true-story-of-justice-league-snyder-cut
[80] Warner Bros.は2018年に通信会社AT&Tに買収され、2021年にAT&Tがドキュメンタリーテレビ・ネットワークDiscoveryと合併、Warner Bros. Discoveryに社名変更した。2026年現在Paramount SkydanceによるWarner Bros. Discovery買収が進行中である。
[81] “Justice League”撮影中にZack Snyderの養女が自殺し、この不幸にショックを受けたSnyderは同作の監督を辞任した。
[82] Peter Safran アメリカの俳優エージェント、映画プロデューサー、イギリス出身のユダヤ系アメリカ人。1997年に芸能マネージメント業界に参入し、2006年に独立。2013年から映画プロデュースをはじめ、2022年にDCスタジオの共同会長兼共同CEOに抜擢された。
[83] James Gunn 1990年代半ばにB級映画制作会社Troma Entertainmentに入社、同社で脚本、監督としてのキャリアを積む。2002年公開の映画“Scooby-Do!”でハリウッドメジャーで脚本家としてデビュー。2014年に公開されたMCU映画“Guardians of Galaxy”の監督として注目される。2018年に過去のTwitterでの発言が炎上し、予定されていた“Guardians of Galaxy 3”の監督契約を一度解除される(2021年に再契約し、結果として2023年に公開された)。同年DC映画“The Suicide Squad”監督に就任し、2020年公開。2022年に共同会長兼共同CEOに抜擢された。
[84] Cameryn Barnett, “Star Wars’ Biggest Problem Is the Fans”, “COLLIDER”, 2024, https://collider.com/star-wars-fandom-controversy/
[85] 実際に2021年にワーナーの動画配信サービス“HBO Max”向けのコンテンツとして“Zack Snyder’s Justice League”が制作、公開された。
[86] Joannna Robinson, “Is Releasing the Snyder Cut of Justice League a Victory for Toxic Fandoms?”, “Vanity Fair”, 2020, https://www.vanityfair.com/hollywood/2020/05/is-releasing-the-snyder-cut-a-victory-for-toxic-fandoms?srsltid=AfmBOooBv4ifi7Xg4uxS7y090tY2ed0b1vHvV0g02UUNr2XFbyZiVmAn
[87] Jack Harper, “James Gunn’s Response to Snyderverse Fans Could Fix Hollywood’s Toxic Fandom Problem”, “COLLIDER”, 2025, https://collider.com/superman-james-gunn-snyderverse-toxic-fandom/