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第8回目:歴史を読解し、世界を相手に格闘する──『季刊フィルム』
中条省平さん

本がつくられるということ−−フィルムアート社の本とその作り手たち / 中条省平

フィルムアート社は会社創立の1968年に雑誌『季刊フィルム』を刊行して以降、この50年間で540点を超える書籍(や雑誌)を世に送り出してきました。それらどの書籍も、唐突にポンっとこの世に現れたわけではもちろんありません。著者や訳者や編者の方々による膨大な思考と試行の格闘を経て、ようやくひとつの物質として、書店に、皆様の部屋の本棚に、その手のひらに収まっているのです。

本連載では幅広く本をつくることに携わる人々に、フィルムアート社から刊行していただいた書籍について、それにまつわる様々な回想や追想を記していただきます。第8回目は、仏文学者である中条省平さんが、中学生にして『季刊フィルム』に「『薔薇の葬列』論」を発表された当時のことを振り返っていただき、その時から現在までを貫く批評に対する倫理について執筆いただきました。

 

歴史を読解し、世界を相手に格闘する──『季刊フィルム』

1968年。フランスの五月革命をはじめとする世界的な学生叛乱の年であり、映画やロックやマンガの領域でさまざまな実験的試みが連続した文化的爆発の時代でした。中学2年だった私の精神は、その爆風をもろに受けながら形づくられました。

なかでも私にとって、いちばん決定的な出来事は、雑誌「季刊フィルム」の創刊でした。

表紙は、ジャン=リュック・ゴダール監督の『中国女』のスチル写真で、その斬新きわまりない誌面のデザインは粟津潔。横浜・六角橋の本屋で見つけた「季刊フィルム」創刊号は、ほかの雑誌を圧するような高踏的かつポップな輝きを放っていて、私はまるで魔法をかけられたように、ほとんど自動的にその雑誌を手にしていました。

特集は「感覚の解放」と「ジャン=リュック・ゴダール」。私はゴダール特集に大きなショックを受け、それ以来、ゴダールのほかに神はなし、といった感じで学校へ行くときも「季刊フィルム」を鞄に入れ、気になったあらゆる場所に赤線を引きまくっていました。とくに、ゴダールの長いインタビューはその内容の難解さもさることながら、訳注の異様な細密さに圧倒され、そこに含まれる夥しい人物と映画と書物の名前を自分なりに消化することが、それから数か月間の私の知的訓練の基礎作業となったのでした。

こうして私は「季刊フィルム」によって、大げさにいえば、映画を出発点とする世界と歴史の解読の道に踏みだしたのですが、ほぼ同じころ、松本俊夫の『映像の発見』と『表現の世界』という映画評論集を読んで、深い影響を受けていました。そのため、松本俊夫の劇場用映画第1作『薔薇の葬列』(1969年)が封切られたとき、初日に当時の日劇の地下にあったATG(アート・シアター・ギルド)直営の劇場「日劇地下」に駆けつけて見ました。そして、その感動があまりに大きかったので、ATGのパンフレットに掲載されていた松本俊夫の自宅住所に、生まれて初めてファンレターというものを送ったのです。

驚いたことに松本さんは情理兼ね備わった長文の返書をくれて、君の手紙を「季刊フィルム」に今度新設される読者投稿欄に掲載したい、といってきたのです。私が、私信を載せるのはあまりに恥ずかしいので評論として書き直したい、と返事すると、松本さんは、ともかく時間がないので、相談をしたい、そのために、「季刊フィルム」の編集実務の責任者である奈良義巳さんを交えて三人で話をしよう、と再度返事を、今度は電話でくれたのです。

当時、「季刊フィルム」の編集部は東京・青山にあったはずですが、最初の会合は松本さんや奈良さんと関係の深い東京・赤坂の草月会館の一室でおこなったような気がします。ともかく驚いたのは、あらゆる論敵をめった斬りにして叩き伏せる日本最高の論客である松本俊夫と、フィルムアート社の責任者である奈良義巳さんの穏やかなやさしさでした。相手が世間知らずの中学生ということもあったのでしょうが、こちらの勝手な提案をすべて、いいよ、そうしよう、といって受け入れてくれ、読者投稿欄の最初の文章「『薔薇の葬列』論」は、内容も枚数もまったく自由ということになったのです。

これが機縁となって、その後も私は「季刊フィルム」に何度も寄稿することになるのですが、そのたびにテーマの設定と大体の枚数以外、原稿にはなんの制約も受けませんでした。ただ、松本俊夫と奈良義巳がこの文章に目を通すという事実だけが、私の超自我のように私の書く言葉を見守っていました。その緊張感が私のつたない文章を支えていたのです。

そんな緊張感のなかで、私は映画について書くことは、即、世界を相手に格闘することだという実践的感覚を鍛えられました。それが、「季刊フィルム」との付きあいがあたえてくれた最も本質的な事柄だと思います。あのときから50年、私はその感覚を、つねに自分の書くものの指針にしてきたような気がしています。

 

プロフィール
中条省平ちゅうじょう・しょうへい
1954年神奈川県生まれ。学習院大学フランス語圏文化学科教授。パリ大学文学博士。主な著書に、『マンガの論点』『マンガの教養』『世界一簡単なフランス語の本』(幻冬舎新書)、『フランス映画史の誘惑』(集英社新書)、『恐るべき子供たち』(訳書、コクトー、光文社古典新訳文庫)がある。
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