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2017.09.28

恋するがにまた

がにまたが気になる。

韓国映画を見るたび、無意識に男優の脚を見る。そして、無意識にがにまたを探している自分に気づく。

もちろん映画の世界にがにまたで歩く人はいっぱい出てくる。日本の昔のやくざ映画なんかには、つくだ煮にできるぐらい大勢のがにまた集団が出てくる。だが私が探しているのは、それとは違う。

がにまたは、天然の美である。そういうがにまたがある。ファン・ジョンミンの出る映画を見ているとそれがわかる。

私だって自分が、こんなに男優の、しかもおっさんの脚をじろじろ見るおばさんになるとは思っていなかった。そうなったきっかけは、『傷だらけのふたり』(ハン・ドンウク監督、2013年)という映画だ。韓国映画によくある、一見野蛮だが実は優しい男の恋を描いたお話である。ラストではまたもや韓国映画らしく、その主人公が脳腫瘍で死ぬ。とネタバレまで書いてしまうのは、このエッセイでは映画の中身よりも、がにまたが重要だからだ。

 

『傷だらけのふたり』

ファン・ジョンミン演じるテイルは、地方都市・群山の40代のやくざである。赤いシャツに黒いパンツ姿で、露骨に肩をいからせ、がにまたで、セカンドバッグを持って歩く。世界のどこの国の人が500メートル向こうから見ても「あ、やーさんだ!」とわかる明快な記号を全身にまとっている。そんな彼が、地元の銀行にお勤めしている清楚な感じの女性ホジョン(ハン・ヘジン)に一目ぼれしてしまう。

彼女は重病のお父さんの看病をしているのだが、お父さんには多額の借金があり、それを取り立てに来たのがテイルだったというわけ。テイルはどうしても彼女を助けてやりたくて強引に接近し、職権を乱用して強引に助けてしまう。だが当然のことながら、彼女は取り立て屋を蛇蝎のごとく嫌う。嫌ですよね赤シャツのやーさんがぐいぐい来たら……しかも彼女は大学卒なので、テイルなんかとは歴然と格差があるのだ。ところが、ガニガニガニガニとがにまたで接近してくるテイルを避けきれずにいるうちに、彼が意外といい奴であることがわかってくる。

やがてホジョンは、テイルとごはんぐらいは一緒に食べてくれるようになる。昼休みに食事をしたあと、テイルは彼女を、職場である銀行の前までがにまたで送っていく(本人はそのつもりだが、客観的にはしつこくついていく)。オフィスはビルの一階にあり、そこのガラス窓には、途中の高さまで目隠し用のフィルムが貼ってあるので、外からはホジョンの姿が見えない。

すると名残り惜しくてたまらないテイルは、彼女を一目見るためにジャンプするのである。

白昼の路上で。しかも、がにまたのままで。

びょん!

びょん、びょびょん!

音にするとそんな感じで、テイルは跳躍する。そして空中に浮かんでいる間もがにまたの形が崩れず、完璧に保たれている。

これを見たら、10人に7人ぐらいの確率で「私のために……あんなに跳んでる……」とグッと来てしまう女性がいるのではないかと思う。韓国のことわざに、「10回斧をふるっても倒れない木はない」というのがあり、どんな女性でも粘り強くアプローチすればそのうちになびくという意味で、私はこれが大っ嫌いなのだが、この映画のホジョンは5回ぐらいしか斧をふるっていないのに、落ちる。それもこれも、がにまたのおかげだ。モデルのようなまっすぐな脚の持ち主、例えばコン・ユなんかのイケメン長身俳優がバスケ選手のような見事なジャンプをしても、こんな効果は望めないだろうから。

ファン・ジョンミンの「跳躍するがにまた」は美しかった。膝と膝の間から、「恋心」としか呼びようもないものがだだ漏れになっている。これを見たとき、彼はただの上手い俳優さんというだけではないと確信した。

『傷だらけのふたり』のストーリーはその後何だかんだあって、韓国映画お決まりの涙、涙で締めくくられる。初監督作にもかかわらず、評価も高かった。だが、私にとってはそれはわりとどうでもよくて、恋するがにまたが跳躍する一瞬をとらえただけでも映画史上に残ると考えている。テイルのがにまたジャンプが最高地点に達したところで、この映画の存在意義は保証されたのである。

 

膝と膝の間のドラマ

 韓国映画の面白さにはいろいろな理由があるだろうが、はずせないのは俳優の身体性だと思う。一見普通に見える役者たちが、底が知れないほど達者だ。とくに40代以上のおっさんたちが見せる仕草の一瞬の濃密さや陰影は、「アクションの切れが良い」とか「鍛え抜かれている」とかいった次元とはまた別の何かだし、俳優養成所や大学の演劇科で学んだのではない何かだ。ファン・ジョンミンのがにまたには、そのエッセンスがある。

ところで、ファン・ジョンミンって誰?という方のために説明すると、1970年生まれで今40代後半。20代から主にミュージカルで活躍し、映画に盛んに出るようになったのは30代に入ってから。今や韓国映画界を代表するといっていい、とにかく上手い役者さんだ。血も涙もない悪人をやっても、ひたすら女につくすアホな善人をやっても100パーセントそう見える。『新しき世界』『ベテラン』『哭声』『アシュラ』など話題作の主演を総なめし、昨今は『国際市場で会いましょう』『ヒマラヤ』と、家長・隊長など「長」のつく主演作が続いたため、「国民の父」などと呼ばれているらしい。

だが、私にとってファン・ジョンミンは、東洋一の美しいがにまたの持ち主だ。歩くとき、立っているとき、膝と膝の間が開いている。しかも、たいそう絶妙なバランスで開いている。例えて言えば、膝の間に小ぶりのプリンスメロンをはさんだくらい。彼ががにまたで歩く後ろ姿をスクリーンで見るとき、膝と膝の間の空間――だいたいにおいてアシンメトリーなひし形になるわけだが――が刻々と変化するさまは、まるで大空の雲の動きを見るようで飽きることがない。

ところで、がにまたって何だろうか。語源は「かにのような脚」ということらしい。蟹は脚が八本もあるのですごく比べづらい気がするが、要はあのように膝が外側に曲がってしまった脚ということで、もちろん無骨で野暮で、ときには野蛮・下品なイメージにまみれている。

一方、韓国には「がにまた」そのものにどんぴしゃで該当する言葉はないらしい(「O脚」という言葉はある)。近いのは「パルチャコルム」という言葉のようなのだが、これは脚の形ではなく歩き方を指す。「パルチャ」は八の字、「コルム」は歩くことという意味だ。つまり、爪先を外向きの八の字にして歩く様子だ。なるほど、そうやって歩けば誰でもがにまたになる。あなたが脚線美に自信のある女性だったとしても、そうやって歩いてごらんなさい、瞬時にしてりっぱながにまたになれるから。

 

がにまたは雄弁である

 だが、がにまたが美しく見えるためには重要な条件がある。体型の問題だ。

実はファン・ジョンミンは、映画に出始めてしばらくはけっこう太っていた。例えば主演を務めた『ユア・マイ・サンシャイン』(パク・チンピョ監督、2005年)では、彼のがにまたが光を放っていない。なぜなら腿もふくらはぎも太すぎるため、脚のラインがわからないからだ。

その代わりこの映画で彼は、恋愛映画史上まれにみる顔の大きさで勝負に出て、勝利した。『ユア・マイ・サンシャイン』は実話に基づくストーリーで、ファン・ジョンミンの役は、HIVに感染した水商売の女性に一目ぼれした田舎の純朴な青年。途中、家出した彼女を探しに行ったファン・ジョンミンが海をバックに泣くシーンがあるのだが、ものすごく大きな顏をどアップで撮っているものだから、画面に占める肌色面積が広すぎて衝撃を受けた。恋愛映画においてあんなにも捨て身な主人公のアップは、見たことがない。しかしこの映画で高い評価を受け、青龍映画賞の主演男優賞を獲得したのだから、大顔恐るべしである。

話がそれたが、がにまたががにまたとして良い仕事をするためには、太りすぎていてはいけないのだ(同様に細すぎてもいけないのだが)。

同じ2005年に公開された『チャーミング・ガール』(イ・ユンギ監督)を見ると、ファン・ジョンミンはやや体重を絞ったようで、その後の美しいがにまたの系譜に連なるものがかいま見える。

この映画は地味だがいくつかの国際映画祭で非常に高い評価を得た作品で、私も大好きだ。どれくらい好きかというと、一日にDVDを5回しぐらいし続けてワンシーズン過ごしたことがあるくらい。ここでのファン・ジョンミンは「普通」という記号を全身にまとった若い男で、ほんのちょっとしか出てこない。クレジットを見てようやく、彼が作家志望の青年らしいことがわかる。だがとても重要な役である。

少女期に受けたトラウマで心が傷ついている寂しいヒロイン(キム・ジス)が何となく彼を好きになり、唐突に「うちにご飯を食べに来ませんか?」と道で誘う。そのときファン・ジョンミンは、「え、」という顏でただ、立っている。めんくらった下半身が、ゆるーいがにまた曲線を描いている。それが、どこからどう見ても善人に見える。ずるいほどそう見える。

ただ立っているだけなのに!

なのに、なんて雄弁なのか、がにまたは。

韓国映画はときに、喋りすぎる。理屈が好きな人たちだから、ここぞというところで一人語りをしすぎる。そこへくるとファン・ジョンミンのがにまたは、ファン・ジョンミンのせりふ以上に雄弁なのである。

だがこの時点では、美しさにはまだ一歩だった。

 

がにまたは天然の美である

 彼のがにまた黄金期は、2007年の『ハピネス』(ホ・ジノ監督)で本格的に始まったように思う。

これもまた悲恋ものの映画である。ソウルでクラブ経営をしていたヨンス(ファン・ジョンミン)が肝硬変になり、田舎の療養所のようなところへやってくるところからお話が始まる。彼は酒癖も女癖も悪い、ほんとに嫌な奴なのだが、療養所で新しい恋人ウニ(イム・スジョン)ができて真人間になりそうになる。

この映画でのファン・ジョンミンは、ダイエットが成功したようで『ユア・マイ・サンシャイン』のころより6-7kgぐらい軽そうに見える(同時に人格もものすごく軽そうに見える)。太すぎず細すぎず、がにまた曲線がきれいに出る最適の状態といえる。以後現在に至るまで、彼はだいたいこのぐらいの体型を維持しているようだが、ひょっとしたら完璧ながにまたを保つために体型コントロールをしているのではないかとさえ、思う。

この映画を見ると、がにまたが天然の美であることに誰もが納得するだろう。例えば雑木林の中を歩むヨンスのがにまた脚線は、木々の幹の線とシンクロして本当に美しい。人間の脚も、木の幹も、大自然でなければ作りだせない線である。山道にたたずむがにまた。ゆっくりと野原を歩き、風に吹かれるがにまた。それは、我々も自然の一部だというごく当たり前のことを教えてくれる。

『ハピネス』は、『八月のクリスマス』『春の日は過ぎゆく』で有名なホ・ジノ監督作品だけあって画面がとても美しい。そうなのだ、がにまたは自然の中に置いたとき最も輝く。また、大都会より地方都市(『傷らだけのふたり』がそうだった)、繁華街より裏路地に置いたときに輝く。ソウルの華麗な夜の街をせかせかと歩むとき、ヨンスのがにまたは切ないけれども美しくはなく、また何も語りかけてこない。

田舎の療養所にいるとき、ヨンスはダサいだぶだぶのズボンをはいている。それががにまたをいっそう引き立てる。ズボンの中に余分な空間があるので脚が遊ぶ、そのために、ぴちぴちのジーンズとは違って脚線が見え隠れするのが、とても良い。考えてみると韓国の男性の伝統衣装であるパジも、日本の殿様がはいている長すぎる袴も、日本の高校生がはいていたやたらと太い変形学生服のズボン(通称ボンタン。特攻服にも通じる)も、作業服専門店に行くと売っているニッカポッカも、がにまた曲線をたっぷりした生地で包んで美しく見せようとしているのかもしれないと、疑いはじめたらきりがない。

またこの映画では、疾走するがにまたという珍しいものも見ることができる。療養所で、一人の中年男性が病気を悲観して自殺してしまう。ヨンスは遺体の第一発見者となり、あわてふためき、皆に知らせようとして走る。それも、ほんのちょっとの距離をものすごいスピードで疾走するのだが、ほんの一瞬のくっきり鮮やかながにまた曲線は、命のもろさに直面した人間の衝撃を百のせりふよりよく表していた。

だがヨンスは結局、嫌な男に戻ってしまい、ウニを捨てる。ウニを演じるイム・スジョンが、「子犬感」の強さでは世界有数といっていいほど可愛い女優さんなので、しかもウニは難病を患っているという設定なので、「え、こんな人を捨てるの? おまえそれでも人間なの?」感がつのるのだが、ヨンスは「自分からはとても言えないから、おまえが俺を嫌いだと言ってくれ」みたいなありえないせりふを言って彼女と別れる(こういうとき、ファン・ジョンミンはまことにうまい)。

ラストシーンではウニも死に、ヨンスは彼女の骨を山に散骨して冬の山里から去っていく。行くあてのない男が雪道を歩いていく後ろ姿で映画は終わる。何度となくくり返されてきたようなラストシーンにもかかわらず、雪の中に浮かび上がる際立ったがにまたラインが、唯一無二の奥行きを表現していた。脚と脚の間からは、永遠が見えるのである。

 

現代史の中のがにまた 

韓国でいう「パルチャコルム」は脚の形ではなく歩き方なので、ひとえに、歩く人のクセ、心構え、大げさにいえば生きる姿勢とか思想と関連があるということになる。

『カステラ』『亡き王女のためのパヴァーヌ』『ピンポン』と日本でも作品の紹介が続いた作家パク・ミンギュ氏は、ファン・ジョンミンとほぼ同世代だ。そのパク氏によれば、がにまたは自分たちの世代の男性と切っても切れないものであり、その背景には当時が軍事独裁政権だったことが関係していると言う。

ファン・ジョンミンやパク氏が子どもだったころ、子どもたちは「国民教育憲章」という長ったらしい誓詞を全員が暗記し、午後5時になると街中に国歌が流れて静止しなくてはならなかった。映画館では映画が始まる前に立ち上がって国歌を斉唱し、男子高校生には銃剣術をはじめとする軍事訓練が正式科目として課されており、軍人のような動きで行動しなくてはならなかった。「あのころに思春期を迎えた我々は、パルチャコルムで歩かなければ男ではないと思っていたし、道で同年代の誰かに会ったら決してズボンのポケットから手を出してはいけないと思っていたものですよ」とパク・ミンギュ氏は教えてくれた。

これは大きなヒントになった。というのは、ファン・ジョンミンはとてもきれいながにまた曲線を持っているにもかかわらず、爪先の向きが必ずしも八の字でなく、まっすぐなときも多いのだ。にもかかわらずきれいながにまたなのは、股関節が柔らかいのではないか。生まれつきの体質か、または軍事教練で爪先を開いていたのがいつしか股関節に伝わり、それが股関節の可動域を広くさせて、自由自在にがにまたを操れるようになったのではないか――これは推測の域にすぎず、もしかしたら股関節が変形してしまっているのかもしれないが(そうだったらご本人に申し訳ないことだが)、一応、書いておく。

また、パク・ミンギュ氏はもう一つ面白い指摘をしてくれた。彼によれば、ファン・ジョンミン世代に大きな影響を与えた、名実ともにがにまたのアイコンといえる存在があるという。マンガ『恐怖の外人球団』(1986年、イ・ヒョンセ著)だ。

 

『恐怖の外人球団』

イ・ヒョンセは韓国マンガ界をけん引した一人というべき存在で、日本でも何冊か邦訳が出ている。『恐怖の外人球団』は、プロ野球をクビになった個性的すぎるメンバーを集めたむちゃくちゃな球団の物語で、映画にもなった(イ・ジャンホ監督、1986年)。あらすじがややこしいのでラストシーンだけかいつまむと、孤児だった野球選手「カチ」が、初恋の相手のためにわざと負けて球界を去り、しかもそのときデッドボールで視力を失っているという悲劇的結末。しかも、初恋の相手の方も精神を病んでしまうという救いのない内容だったが、これが爆発的にヒットした。私は映画しか見ていないのだが、「君のためなら何でもできる!」という思い込みが炸裂する、悲恋といっていいのか暴恋といっていいのか、とにかく終始炸裂している映画だった。そしてこのマンガと映画に登場する男性たちは、みごとながにまたぞろいであった。

「野蛮な時代を生き抜くためにはロマンが必要でした。『恐怖の外人球団』はその代表で、当時の男子で多かれ少なかれこれに影響を受けなかった者はいない。これを読んで息をのみ、涙を流す……ファン・ジョンミン氏もその一人だったのではないかな」とパク・ミンギュ氏は言う。

なるほど。

洒落にならない暴力がまかり通っている時代だった。同時に、ものすごい速度で、荒っぽいやり方で社会が豊かになっていった。

いたるところの路地と斜面を駆けずり回り、5時になったらぴたっと気をつけをして止まり、国歌斉唱の放送が終わったらまた走り出す。ファン・ジョンミンもそんな少年だったはずだ。男の子たちは男らしくなければならなかった。軍事訓練を受け、つま先を八の字にして歩き、それと同時に「君のためなら何でもできる!」にあこがれた。彼らが十代後半のとき韓国は民主化を経験し、1988年のソウルオリンピックを迎える。世の中は大きく変わり、しかし変わらないものは変わらないまま。そのせめぎあいのただ中で大学に行き、軍隊に行き、生きてきた。ファン・ジョンミンに限らず、彼らの世代の俳優さんたちの身ごなしには、そんな時代の中で培われた、全方位に備えた「ばね」がある。ここが日本の俳優さんとの大きな違いで、だからそんな空気に下支えされた韓国映画の中にオダギリジョー選手を置いても、加瀬亮選手を置いても、りんかくがぼやけてしまうのである。もっとも、あちらではそのゆるさが欲しくて呼んでいるのだからそれでいいのだが。

ファン・ジョンミンはド派手なアクションも上手だ。けれど、そこではかえってがにまたが光らない。『傷だらけの二人』のテイルが足元を子犬にまとわりつかれながら階段を上るとき、『ハピネス』のヨンスがだぶだぶズボンで花を摘むとき、彼の外向きの脚は最も雄弁なのである。うまい監督はわかっているのだと思う。ファン・ジョンミンのがにまたは文化遺産だから、そして近代遺産だから、優しく扱わなければならないということを。

近代化の中で、アジア諸国はいずれも荒っぽい時代を経てきた。そこを生き延びるための暴力や虚勢やマッチョ文化のしっぽが一見洗練された現代社会のすきまに現れるとき、一種の倒錯した抒情のようなものがにじみ出る。それは香港映画や台湾映画を見ていても感じることだが、ファン・ジョンミンの身ごなしはそれらの最小公倍数のような感じがある。だから私は、ファン・ジョンミンのがにまたを東洋一のがにまたと呼ぶことにした。

パク・ミンギュ氏によれば、以前はどこにでもいた「ガニマタメン」たちは皆おじさんになり、若い世代からがにまたは絶滅したそうだ。だが、ファン・ジョンミンがよほど太ったりやせたりしないかぎり、彼のがにまた適齢期は当分続く。そして彼は仕事が大好きで、これからもどんどん映画に出るだろうから、我々は何度でもそれを目撃することができるだろう。それは決して、ここぞという「決め」のシーンや激しいアクションシーンではないはずだ。何でもないときに、力を抜いて、ただそこにいる、ただ歩いている、そんなときこそがにまたはファン・ジョンミンの華であるし、韓国映画の華なのである。