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2018.06.20

With or Without Dictionaries
日本語を翻訳する人たち
第2回:JLPP(Japanese Literature Publishing Project)

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち / 小磯洋光, 現代日本文学の翻訳・普及事業

日本の文学作品は少しずつ外国語に翻訳されています。しかしその実情は日本国内でそれほど知られていません。本連載では、翻訳家の小磯洋光さんが「日本語を外国語に翻訳する」人たちにお話しを伺い、日本文学が世界に届けられていく一端を紹介していきます。

 

「現代日本文学の翻訳・普及事業」、通称JLPP(Japanese Literature Publishing Project)は2002年に始まった。文化庁が主催し、日本文学を海外への発信を推進するために立ち上げられたプロジェクトで、JLPPのウェブサイトによると、「明治以降に発表された現代日本文学作品のなかから専門家による会議において候補作品を選定し、それをさまざまな言語に翻訳し、出版する活動を進め」てきた。選定委員会を開いて、翻訳すべき作品を決め、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語の四カ国語を中心に翻訳し、順調に海外に送り出していたが、2012年に当時の政権が行った「事業仕分け」により、出版事業の中止を迫られることになった。JLPPによる翻訳書は、その時点で翻訳に着手されていた作品が最後となった(翻訳対象に選ばれたのは合計123タイトルで、複数言語に翻訳し、184作品が世に送り出された。作品の詳細はこちら)。現在は日本文学の翻訳家の発掘・育成に重点を置き、翻訳コンクールや翻訳ワークショップ、翻訳シンポジウムを開催している。

僕がJLPPのことを知ったのは2000年代後半だったと思う。何かの記事を読んでおもしろい事業だなと感心した。それ以来、JLPPの活動に関心を持っていたのだが、その実情はずっとわからなかった。今回、幸運にもその始まりから現在までを、JLPP事務局の小川康彦さん、佐原亜子さん、宮川継さんにうかがうことができた。

 

2002年にプロジェクトは始まった

 

小磯洋光(以下小磯):JLPPが始まった経緯を聞かせてください。

佐原亜子(以下佐原):河合隼雄さんが文化庁長官だった時に、海外に日本文学を積極的に紹介しようという趣旨で事業が立ち上がりました。それまで日本は明治時代から、海外の文学作品を日本語に翻訳するという輸入中心の時代が長く続きました。それを逆に、日本の文学を海外へ向けて発信しようという新しい発想のプロジェクトでした。

小磯:なるほど。

佐原:そうやって2002年にスタートしたんです。第1回の翻訳選定委員は、大江健三郎や三島由紀夫の翻訳家のジョン・ネイスン(John Nathan)さん、島田雅彦さん、田辺聖子さん、福田和也さん、平岩弓枝さんで、27タイトルが選ばれました。

小川康彦(以下小川):第2回で37、第3回で20、第4回で23、第5回で16が選ばれ、合計123タイトルを選定しています。それらを複数の言語に翻訳しました。

小磯:JLPPが始まる前は、翻訳の状況はどうだったのでしょうか?

佐原:統計を見てみると、海外に日本文学を送り出そうという大きな「波」が60年代70年代にあったようです。川端康成、大江健三郎、安部公房、三島由紀夫が人気の時代ですね。アメリカの大手出版社の編集者がそういった作家の翻訳に積極的に乗り出して、ドナルド・キーン(Donald Keene)(1)さんやエドワード・サイデンステッガー(Edward Seidensticker)(2)さんたちが翻訳しました。

小川:その「波」は、もちろん1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞したことも関係していますね。日本文学の面白さが世界から注目されたんじゃないかな。

佐原:優秀な編集者や翻訳者がいたり、講談社インターナショナル(3)が文学の輸出を頑張っていたりなど、いろいろな要素があって日本文学が翻訳出版されていたんですね。でも、JLPPが始まる直前には、その動きが鈍くなり、かなり翻訳点数が減っていました。

小磯:JLPPの本がもっとも出版された年はいつですか?

佐原:英訳では2013年に12作品を出版していますね。

小磯:翻訳出版の状況はどのようなデータに出ているのでしょうか。

佐原: JLPPを含め日本文学の英訳の翻訳出版の状況を知るには、アメリカのThree Percentのデータが便利です。各国語から英語に翻訳された文学書籍情報がまとめられています。2008年からのデータしかありませんが(現在はPublishers Weekly にも掲載)。

 

翻訳の質を上げて一般読者に届ける

 

小磯:JLPPが始まったのは2002年ですが、タイトルの選定を経て出版され始めたのはいつですか?

佐原:2004年頃からです。一冊の本が出版されるまでに早くても2年ほどはかかります。翻訳に1年から1年半かけ、それから出版社と交渉を行います。

宮川継(以下宮川):プロセスとしては、まず選定委員会を開いて翻訳するタイトルを選び、その既訳がないかどうか調査します。その後原作者の許可を取り、作品に相応しい翻訳家を選定し、依頼します。翻訳家が一年ほどかけて翻訳したあと、日本人による「照合作業」を行います。その後、ネイティブの編集者によるチェックで原稿の質を高めます。こうしてブラッシュアップした原稿を海外の出版社に持ち込み、出版が決定すると、さらにその出版社のエディターのチェックが入ります。出版までに3、4年かかった本もありましたね。

小磯:「照合作業」を担当したのはどのような方ですか?

佐原:日本文学に専門的に関わっている方たちですが、基本的に翻訳対象の語学ができて、読み込むことができる、日本語が母語の方です。大学で文学や語学を教えている方が多かったですね。

小川:文学の言葉の裏付けを検証するには、文化的な面や、宗教的な背景など、トータルに日本文化を理解している必要があります。だから語学ができるだけではなく、言葉の背景がわかる人にお願いしました。

佐原:「照合作業」や編集作業を組み込んで、誤訳を無くし翻訳の質を高めるようにしたのは、ドナルド・キーン先生のアドバイスです。海外の出版社に持ちこむ前にひと通り校閲・編集をして質を上げないと、文芸担当の編集者に読んでもらえない、と。それで、きっちり翻訳原稿の質を上げてから出版社に持ち込んだんです。河合隼雄さんは、現地の本屋で一般の読者に買われて読まれることが重要だという考えでした。

小川:出版社との交渉や契約については、イギリス人のクリス・ブレアムさんという書籍の輸出入関係の仕事をしていた方が中心となって進めました。海外の出版社やエージェントとの交渉の仕方は、英語圏、仏語圏、独語圏、露語圏でそれぞれ違います。出版時期の調整や発行部数や印税の交渉など、知識も必要ですし、時間もかかります。ですので、専門の方の力をお借りしました。

佐原:翻訳者の権利を守りたいという文化庁の意向もあって、しっかりとした翻訳契約書や出版契約書を作りました。翻訳料についても基準を明確にし、出版後も何部以上売れたら印税を支払うという条件を設けたので、ある程度翻訳者へのサポートができたと思います。英米の翻訳書籍では翻訳者の名前は表紙に出ないことが多いようですが、JLPPの本では訳者名を表紙に入れるようにしました。

 

送り出したのはどんな本?

 

小磯:2002年に第1回の選定委員会が開かれました。最後は2010年の第5回ですね。

佐原:そもそもは、国の事業なので日本が主導的に進めようと、日本人の選定委員が選んでいました。ですが、各国の出版社や編集者から「こういう作品の翻訳はないですか?」と聞かれるようになったので、各言語で委員会を作って翻訳する作品の候補を挙げてもらうようにしたんです。そうしたら、純文学や大学で取り上げるような作品だけでなく、若い作家の作品も上がってきました。それらの候補と、日本の選定委員が挙げた候補を合わせたリストを作って、翻訳者が翻訳したい作品に立候補してもらうようにしました。

小磯:その体制になったのはいつからですか?

宮川:第2回からですね。そうした経緯があって、第5回では、古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』、町田康『パンク侍、切られて候』、森絵都『カラフル』、舞城王太郎『阿修羅ガール』、いしいしんじ『麦ふみクーツェ』などが選ばれています。JLPPに関わっていた翻訳家の関心が、比較的若い作家を選ぶ方向に移っていったことが影響していると思います。最近では、若手の翻訳家、ポリー・バートンさん(Polly Barton、第1回翻訳コンクール最優秀賞受賞)やサム・ベットさん(Sam Bett、第2回翻訳コンクール最優秀賞受賞)たちは、海外でまだ知られてない日本人作家を発掘・紹介しています。日本の若い作家、同世代の作家に対して好奇心や共感を抱いている気がしますね。

小磯:選定した本を訳す翻訳家はどうやって集めましたか?

佐原:各言語の委員会の推薦や、ウェブでの公募などですね。

小磯:JLPPの翻訳出版は第5回選定作品で終了したわけですが、どの作品が最後に出版されましたか?

宮川:2014年に出版した妹尾河童さんの『少年H』(第4回選定)のロシア語版です。翻訳者が妹尾さんの大ファンで、とても尊敬されていらっしゃるようで、わざわざロシアから妹尾さんに会いに来ていました。こだわりという点では、水村美苗さんの『本格小説』(第2回選定作品)の英訳は、装丁が素晴らしいです。最近の日本の出版界ではなかなか見られない装丁ですよ。装丁については、国や出版社のテイストやこだわりが様々で、それもとても面白いですね。

佐原:JLPPでは翻訳出版の際に、ある一定の部数を買い上げて、それを世界各国の大学、図書館、文化施設に寄贈もしてきました。

小川:例えば英訳本の場合、アメリカやイギリスだけに寄贈するのではなく、英語圏の大学や図書館などに寄贈しています。そうやって世界中にJLPPの本を届けました。

 

翻訳家にとってネットワークは大事

 

小磯:2012年からJLPP翻訳コンクールが始まりましたね。

佐原:若い翻訳家を発掘し育成するという目的で始まりました。第1回では英語とドイツ語が対象言語で、小説部門と評論・エッセイ部門から1点ずつ選び、計2点の翻訳を募集しました。課題作品は小説部門が池澤夏樹「都市生活」、角田光代「白っていうより銀」、水上勉「リヤカーを曳いて」。評論・エッセイ部門は安部公房「ヘビについてI、II、III」、白洲正子「お香とお能」、谷崎潤一郎「懶惰の説」でした。第2回(2015年)の対象言語は英語で、小説部門が小川洋子「涙売り」、松浦寿輝「千日手」、評論・エッセイ部門は堀江敏幸「床屋嫌いのパンセ」、丸谷才一「昭和が発見したもの」。このときも1点ずつ選択して応募してもらいました。第3回(2017年)は対象言語が英語とフランス語。第3回の課題作品は選択式ではなく、小説部門が江國香織「蛾」、評論・エッセイ部門が寺田寅彦「銀座アルプス」でした。

宮川:コンクールで発掘した方々の育成という目的で、2016年の秋に翻訳ワークショップを開催しました。第1回と第2回の翻訳コンクール英語部門受賞者6名を招待して、1週間の滞在で翻訳技術や出版へのアプローチ方法などを学んでもらおうというものです。

佐原:若手の翻訳者にとって、出版社へのアプローチは大事ですから、アメリカのNew Directions PublishingとイギリスのPushkin Pressから編集者を招待し、出版社へのアプローチの仕方、企画書の書き方など、具体的に話していただきました。PEN Americaのアリソン・マーキン・パウエルさん(Allison Markin Powell、川上弘美や中村文則の翻訳者でもある)もこのワークショップに大変興味を持ってくださり、参加してくれました。翻訳文学を扱うインディペンデント系の出版社が増えていることや、海外文学の関心が高まっている状況を話してくれました。

宮川:第1回のワークショップですから手探りでしたが、受賞者6名全員がスケジュール調整して海外から来てくれたんです。ワークショップの課題作品は蜂飼耳「崖のにおい」でした。講師としてジニー竹森さん(Ginny Tapley Takemori、村田沙耶香『コンビニ人間』の翻訳者)、チャールズ・ドゥ・ウルフさん(Charles De Wolf、絲山秋子『逃亡くそたわけ』の翻訳者)を迎えました。とても充実したワークショプになりましたよ。

小川:参加者たちは初めて顔を合わせるので、進行がうまくいくか心配でしたが、皆さん積極的に話していましたね。特に、第2回翻訳コンクール最優秀賞のサム・ベットさんは、ニューヨークなどでたびたびワークショップを経験しているようで、いい雰囲気を作ってくれていました。出版社へのアプローチにも積極的ですし、翻訳仲間のネットワークも作ったりしているそうです。

佐原:翻訳者にとってネットワークを作るのはとても大事だと思います。ワークショップや、シンポジウムの後のレセプションに参加して、ベテランの翻訳者や編集者と話すのは大切ですよね。そうやって交流することで勉強になりますしね。だからある意味、シンポジウムは終わった後が本当のシンポジウムなんですよ(笑)。JLPP翻訳コンクールは賞金を出していませんが、ワークショップやシンポジウムに招待することで、翻訳技術やネットワーク作りをどんどんサポートしたいと思っています。ひょっとしたら大勢の人と知り合いになることの方が賞金よりも意味があるかもしれませんし。

宮川:翻訳コンクールは3回目を終えたところで、英語、独語、仏語の最優秀賞と優秀賞の受賞者を合わせると15人になりました。15人の翻訳家が生まれて、中にはすでに翻訳家として活躍されている方もいます。文芸翻訳をやっていこうという気持ちを皆さんが持っていますね。大変でしょうけれど。

佐原:翻訳コンクールがスタートしてから、素晴らしい翻訳家たちがデビューしているので、いい方向に進んでいると思っています。文化庁は翻訳コンクールとワークショップにさらに力を入れて充実させていく意向です。第4回の準備も着々と進んでいますよ。

 

海の向こうに届ける意義

 

宮川: 今後、翻訳コンクールを続けていく上で考えないといけないのは、どの言語を対象にするかいう点です。中国語や韓国語など、非欧米の言語をどうするか。話者数で考えると、スペイン語や中国語は当然対象になってきます。

佐原:今までの欧米中心という考え方に対して、これからはアジアの言語にも目を向けてほしいという要請はありますが、課題は多いです。

宮川:「文学」の範囲をどこまで広めるかという問題もあります。漫画、戯曲、詩歌まで広げる必要があるのではないのかと。フランスなどには若手で優秀な漫画の翻訳家がかなりいるようです。人材発掘という意味では、その方面にも広げていく必要があると思いますね。

小磯:今年の3月に第3回翻訳コンクールの授章式とシンポジウムがありました。

小川:シンポジウムは、第1部は「作家が語る文学翻訳」と題して、小池昌代さん、堀江敏幸さん、松浦寿輝さん、水村美苗さんによる座談会、第2部では「翻訳家という読者」と題して、5言語の翻訳家7人に参加していただきました。ただ、露語のメシェリャコフさんは直前にインフルエンザで欠席されて残念でした。第2部で、司会の沼野充義さんから、今日本で、どの本を訳すべきかという質問がありました。パネリストの一人、スティーヴン・スナイダーさんが、中上健次の『枯木灘』を訳さなければと発言していました。『枯木灘』の日本文学の中での位置付けを踏まえると、絶対に翻訳しなければならない本だと。こうした発言はとても興味深かったです。

佐原:私は、シンポジウムに来場していた方々の反応を見ていて、JLPPの翻訳出版事業に対して非常に期待が高かったのだということを実感しましたね。JLPPの存在は大きいのだと。

小川:現代日本文学を海外に紹介するとはどういうことか、世界の動きを見据えながら、常に考えていくのが大切だと思っています。

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち
第2回:JLPP(Japanese Literature Publishing Project) 了

 

(1)1922年米国ニューヨーク生まれ。日本文学研究者、文芸評論家、コロンビア大学名誉教授。
(2)1921~2007年。米コロラド州生まれ。コロンビア大学教授などを歴任。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らの作品を英訳。
(3)講談社の関連会社で1963年に設立。主に英訳書の輸出・販売を行っていたが、2011年に解散。

イラスト 塩川いづみ
http://shiokawaizumi.com/