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2018.11.09

With or Without Dictionaries
日本語を翻訳する人たち
第3回:マーガレット満谷さん

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち / マーガレット満谷, 小磯洋光

日本の文学作品は少しずつ外国語に翻訳されています。しかしその実情は日本国内でそれほど知られていません。本連載では、翻訳家の小磯洋光さんが「日本語を外国語に翻訳する」人たちにお話しを伺い、日本文学が世界に届けられていく一端を紹介していきます。

 

日本語とドイツ語で創作を行い、国内外で数々の文学賞を受賞し、世界的に高く評価されている多和田葉子。彼女が作り出す日本語とドイツ語の作品のうち、日本語で書かれたものを訳している英訳者が、東京に住むマーガレット満谷(Margaret Mitsutani)さんだ。今回はマーガレットさんに翻訳者としての経歴や、今年アメリカとイギリスで刊行されて話題の『献灯使』、さらに俳句との出会いについて話を聞いた。

 

 

和歌を英語で読む

 

小磯洋光(以下、HK):マーガレットさんは今も大学で教えていますか?

満谷マーガレット(以下、MM)4月から非常勤に変わったんですが、週に一回共立女子大学で「アメリカ文化」と「英訳で読む日本文学」という授業をやっています。以前はアメリカ文学の演習とか、アメリカ関係の授業をもっと担当していました。でも最近、アメリカっていう国のことがわからなくなってきたから、もう教えられない(笑)。なんでトランプが大統領になっちゃうんですかね。

HK:「英訳で読む日本文学」ではどんな作品を扱っていますか?

MM:授業で必ずやるのは、和歌の英訳の比較です。19世紀くらいからの英訳を8種類くらい読んで、同じ詩なのに翻訳者や時代が変わるとこんなに違う訳になる、という話をしますね。例えば、『百人一首』の小野小町の和歌だと、一番古い訳はこんな感じです。

花の色は移りにけりないたづらに我が身世に降るながめせしまに

Thy love hath passed away from me
Left desolate, forlorn —
In winter rains how wearily
The summer past I mourn!
  (F. V. Dickins(1866))

訳者のディキンズは19世紀に日本に住んでいた弁護士です。彼の訳は英語の定型詩みたいですね。

HK:学生の反応はどうですか?

MM:言葉に興味のある学生は楽しんでいますね。その授業では、日本語の原文と英訳を比較して、比べてみて引っかかったり面白いと感じたところを挙げてもらうようにしています。なるべく学生中心で授業をやるようにしています。まあ、翻訳に興味がある学生は、言葉に興味がある人ですよね。だから、TOEFLのスコアをあげたいとか、役に立つ英語を求めている人にはつまらないかもしれませんね。役に立つ英語って何でしょうね(笑)。

 

林京子、大江健三郎、多和田葉子

 

HK:マーガレットさんはいつ日本に来たんですか?

MM:70年代の終わりごろに名古屋にある短大の英語教師として日本にきました。5、6年くらいそこで教え、それから東京大学に行きました。そして研究生を一年間やってから修士課程に進んで、樋口一葉を研究しました。修士の後は、東京工業大学で英語を何年か教えて、それから共立女子に移りました。

HK:翻訳を始めたのはそのころですか?

MM:アメリカの大学に通っていた頃から翻訳に興味がありました。言葉が好きなんですよ。でも翻訳の勉強をしたことはなかったですね。1984年に「国際ペン東京大会」があって、そのテーマが原爆文学だったんですが、その大会で原爆文学の短篇集が出版されました。私が訳した林京子の「空き罐」も収録されました。それが私にとって初めて活字になった翻訳です。その短篇集には大田洋子や、井上光晴や、井伏鱒二も入っていました。

HK:林京子の「空き罐」の次は何を訳しましたか?

MM:次も林京子の短篇です。ハワイ大学の「マノア」という雑誌に載せてもらいました。それで、その翻訳を読んだ講談社インターナショナルの編集者が声をかけてくれました。大江健三郎の『人生の親戚』を訳さないかと言ってくれたんです。訳している間に大江さんがノーベル賞をとったので驚きましたよ。その『人生の親戚』というタイトルは、英訳では『An Echo of Heaven』になりました。

HK:がらっと変わりましたね。

MM:はい。でももちろん著者の許可は取ってますよ。「人生の親戚」を英語にすると「Relatives in life」とかそういう感じですけど、編集者と話しているうちに、別のタイトルにした方がいいんじゃないかということになりました。それでどうしましょうかと作品の話をしているうちに、この作品に登場する「天国のこだま」というフレーズがいいということになって、「Echo of Heaven」に落ち着きました。

HK:その次に訳したのが、多和田葉子さんの作品ですね。『The Bridegroom Was a Dog』。

MM:そもそもは90年代の終わりに、講談社インターナショナルが「犬婿入り」と「ゴットハルト鉄道」と「かかとをなくして」という3つの短篇を一冊にして『The Bridegroom Was a Dog』というタイトルで出しました。講談社インターナショナルはもう解散してしまったので、そのバージョンは絶版状態なんですが、2012年にニューヨークのNew Directionsという出版社が『The Bridegroom Was a Dog』をまた出したんです。ただ、このバージョンには「ゴットハルト鉄道」と「かかとをなくして」は収録されてません。

HK:なるほど。「犬婿入り」だけなんですね。

MM:この作品を訳したいと申し出ていた研究者がいたようですが、編集者が私を翻訳者に指名してくれました。私は学者タイプじゃないんですけど、多和田さんは、なんていうか、学術的に扱いやすい作家かもしれませんね。いつだったか、上智大学の大学院生で多和田さんを研究対象にしているアメリカ人の学生に会ったことがあるんですが、彼が『雪の練習生』を自分で訳してみたって言ってたんです。だからNew Directionsに連絡してみたらって勧めたんです。多和田さんの大ファンだし、インテリジェンスを持って彼女の作品を読んでいたんです。でも結局その本は、結局スーザン・ベルノフスキー(Susan Bernofsky)がドイツ語から英訳しましたね。彼女は多和田さんの小説をドイツ語から英語に訳しています(『Memoirs of a Polar Bear』)。

HK:どうして『雪の練習生』はドイツ語からだったんですか?

MM:たしか、多和田さんは最初から同時に2つのバージョンを書いたんだと思います。それでドイツ語から訳すことを選んだ。例えば、『ゴットハルト鉄道』は、ドイツ語で旅行エッセイみたいなものをまず書いて、それで日本語に書き換えながら発展させていますよね。あと、「変身のためのオピウム」はまずドイツ語で書いてから日本語版を書いています。

さっき2012年にNew Directionsから『The Bridegroom Was a Dog』が出たと言いましたが、New Directionsと初めて仕事をしたのは2007年の『Facing the Bridge』です。作品を3つ集めて本にしています(1)

『Facing the Bridge』という英語のタイトルは、多和田さんが考えたんです。多和田さんは「コミュニケーション」とか「インフォメーション」という言葉が嫌いなんです。「コミュニケーションによって架け橋を」みたいなのが嫌いらしくて、それを睨みつけているような姿勢を示そうとしているわけです。

 

『献灯使』の言葉遊びを訳す

 

HK:今年『献灯使』の英訳が出版されましたね。

MM:『献灯使』は好きな作品ですし、多和田さんから訳してくれると嬉しいと言われたことがあったので、訳してNew Directionsに送ったんです。New Directionsの編集者は多和田さんの作品がとても好きですし、多和田さんもNew Directionsが好きでしたから。New Directionsでは、スタッフ全員で読んだあとで出版するか決めるみたいです。

HK:アメリカのNew Directions版は『The Emissary』ですが、イギリスのPortobello Books版は『The Last Children of Tokyo』ですね。タイトルが違います。

MM:Portobello Booksは、「The Emissary」じゃなくて別のタイトルの方がいいと思ったんでしょうね。Portobello Booksからタイトルを変えたいという連絡があって、色々候補を出してもらいました。それで、多和田さんに連絡したら「本は出版すると自分だけのものではなくなるから、別のタイトルをつけたいのであれば、私は構いません」と言っていました。

HK: なるほど。

MM:US版とUK版では表紙も違いますが、個人的にはUS版の方が好きですね。この作品は「オレンジ」に意味があるんですよ。表紙といえば、『The Bridegroom Was a Dog』のもいいですよね。犬の耳だけっていう。可愛いです。

HK:『献灯使』には言葉遊びがありますよね。訳すのに苦労しましたか?

MM:そうですね、大変な箇所もありましたけど、楽しかったですね。例えば、「アーヘン」という都市の名前を「亜阿片」と書いている箇所があります。日本語だと「阿片」に「亜」を付けている面白さを視覚的に理解できるんですけど、英語だとそうはいきません。そこで「偽の阿片」という意味を説明するようにしてみました。

かすかに酸味のあるこの黒パンには、「亜阿片」という変わった名前がついていた。

The faintly sour black bread was called “Aachen,” written with Chinese characters that meant “Pseudo Opium.”

この文の続きはこんな風に訳しました。

パン屋の主人は自分の焼くパンに、「刃の叔母」、「ぶれ麺」、「露天風呂区」など変わった名前を付けている。

The baker had named each variety of bread he baked after a German city, which he wrote in Chinese characters with roughly the same pronunciation, so that Hanover meant “Blade’s Aunt,” Bremen “Wobbly Noodles,” and Rothenberg “Outdoor Hot Springs Haven.”

こんなふうに工夫してみたり。ほかには冒頭の「駆け落ち」とか。〈「ジョギング」のことを「駆け落ち」と呼ぶようになっている〉という場面です。「駆け落ち」は英語で「elope」です。「e」を取ると「lope」、つまり「ゆっくり走る」という意味になりますね。私は「駆け落ち」を「lope down(loping down)」にしました。英語の「lope down(loping down)」には日本語の「駆け落ち」に相当する意味がありませんが、作中では「lope down(loping down)」が「elope(駆け落ち)」を意味することになっているので、それを説明するために、「And kids Mumei’s age would never have dreamt that adding just an e in front of it the word lope could conjure up visions of a young woman climbing down a ladder in the middle of the night to run away with her lover.(無名の世代の子供たちは、「lope」の前に「e」をつけた言葉が若い女性が真夜中に梯子で下りて恋人と逃げていくイメージを喚起するなんて思ってみたこともない)」を加えました。

そのように用もないのに走る人のことを昔の人は「ジョギング」と呼んでいたが、外来語が消えていく中でいつからか「駆け落ち」と呼ばれるようになってきた。「駆け落ちれば血圧が落ちる」という意味で初めは冗談で使われていた流行(はやり)言葉がやがて定着したのだ。無名の世代は「駆け落ち」と恋愛の間に何か繋がりがあると思ってみたこともない。

Long ago, this sort of purposeless running had been referred to as jogging, but with foreign words falling out of use, it was now called loping down, and an expression that had started out as a joke meaning “if you lope your blood pressure goes down,” but everybody called it that these days. And kids Mumei’s age would never have dreamt that adding just an e in front of it the word lope could conjure up visions of a young woman climbing down a ladder in the middle of the night to run away with her lover.

HK:面白いですね。訳しているときには多和田さんと連絡をとりますか?

MM:とりません。以前は質問しましたけどね。でも多和田さんが日本に来るときは会いますよ。多和田さんは11月になるとシアターXで朗読会をやるんです。毎年観に行きます。

HK:マーガレットさんは角田光代さんの小説も訳していますね。

MM:『八日目の蝉』を訳しましたよ。

HK:角田光代さんと多和田葉子さんとでは、作風がずいぶん違うと思います。翻訳するときはどんな違いを感じますか?

MM:角田さんは「流して書く」という感じがします。いい加減に書いているということじゃなくて、プロットの「流れ」をとても大事にするというか。多和田さんは言葉の面白さに意識的ですよね。角田さんとはちょっと違います。角田さんは言葉にこだわるというよりかは、ストーリーにこだわっているという感じです。あと、いろいろな登場人物が出て来るので、その人たちの声をうまく捉えようとしていますね。だから訳すときもそういう点をよく考えるようにしています。『八日目の蝉』もやはり、かつて講談社インターナショナルがあった時代に、編集者から依頼を受けました。それで、その方が角田さんの本をまた出したいということで、これから『空中庭園』を訳すことになっています。今は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を訳してます。あと少しで終わりますけどね。今後の予定を言うと、New Directionsのある企画で多和田さんの『百年の散歩』の一部を訳します。

HK:個人的には『地球に散りばめられて』をぜひ訳して欲しいです。海外の読者の感想を知りたいです。

MM:素晴らしい作品ですよね。翻訳する可能性はあるかもしれません。

 

俳句を訳したら自分で書くようになった

 

HK:マーガレットさんは俳句を書いていますよね。だいぶ前から同人誌「らん」を送っていただいています。どういう経緯で俳句を始めたんですか?

MM:そもそもは、私が共立女子で働き始めた頃に、同僚の鳴戸奈菜さんに「永田耕衣の句集を訳しましょう」と声をかけていただき、俳句を翻訳したことが始まりですね。その頃は実は俳句に興味がなかったんです。でも永田耕衣の作品を読んでみると、とても面白かったです。それで、鳴戸さんと二人で、永田耕衣の句集『この世のような夢』をバイリンガル版として出しました。

HK:鳴戸奈菜さんがきっかけで、永田耕衣を知って、訳して、さらに自分でも書くようになったということですね。

MM:そうなんです。鳴戸さんが学校で句会をやっていたんですね。それで私も俳句を日本語で書くことに挑戦してみたら、面白かったんです。最初は学校の句会に参加して、鳴戸さんが「らん」に句を載せてみたら、と言ってくれて、何年か投稿しているうちに同人にならないかと誘っていただきました。でも「らん」はかなりレベルが高いから、私は隅っこでやっているという感じです。「MM」という俳号でやっています。日本語で俳句を作ってみると、俳句は他の言語で作るよりもやはり日本語が一番合うんじゃないかと思いましたね。音のこととか。でも、アメリカの作家のリチャード・ライトが書いた英語の俳句は独特ですね。17音節(5-7-5)で書いていますし。

Late one winter night
I saw a skinny scarecrow
Gobbling slabs of meat
(冬の夜遅く痩せた案山子が厚切り肉をガツガツ喰うのを見た)

強烈な句ですね。「らん」に俳人について書くコーナーがあって、英語の俳人について書いてもらえないか、と頼まれました。それで、リチャード・ライトについて書きました。『ブラック・ボーイ』というライトの自伝があるんですけど、あれを読むと、彼が本当にひもじい子供時代を送っていたことがわかります。やせ細ったカカシが、真夜中にガツガツ厚切りの肉を食らっている、というこの俳句は、ライトの少年時代の夢なんですよね。とにかく一度でいいから腹一杯肉を食べたい、という。この『ブラック・ボーイ』は岩波文庫から出ていて、多和田さんが解説を書いていますね。

 

翻訳者仲間

 

MM:さっき、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を訳してると言いましたけど、これは一人で訳しているわけじゃないんです。ポール・マッカーシー(Paul McCarthy)さんとジュリエット・カーペンター(Juliet Winters Carpenter)さんと共訳しています。この2人は以前『坂の上の雲』を共訳していて、『竜馬がゆく』の企画が動き出したときに共訳に参加しないかって誘われました。

HK:ポールさんは谷崎潤一郎を訳している方で、カーペンターさんは水村美苗さんを訳している方ですね。マーガレットさんには翻訳者仲間っていますか?

MM:翻訳者の岸本佐知子さんは仲が良いですよ。かなり以前から知り合いです。彼女はとても趣味が面白いですよね。ニコルソン・ベイカーとか、リディア・デイヴィスとか、最近またミランダ・ジュライを訳しましたよね。彼女には共立女子の「翻訳概論」という授業に何度か来てもらいました。岸本さんが訳した作品の一部を、あらかじめ学生が読み、それについて質問を出します。それで岸本さんと対談をして、学生の質問に答えまる、という感じです。でも「翻訳概論」は私の授業ではなくて、別の先生の授業です。

HK:そこにお二人がゲストで参加するということですか?

MM:そうです、そうです。

HK:面白そうです。どんなお話をされるのか聞いてみたい。

MM:あとは、村田沙耶香の『コンビニ人間』を訳したジニー竹森(Ginny Tapley Takemori)さんや、河野多恵子の『幼児狩り』を訳したルーシー・ノース(Lucy North)さんとも仲が良いですね。

HK:英国文芸翻訳センター(BCLT)の翻訳サマースクール(2)で知り合ったんですか?

MM:ルーシーはその前から知ってましたよ。彼女は日本に住んでましたからね。BCLTのサマースクールは楽しかったです。

HK以前インタビューしたポリー・バートンさんは、マーガレットさんとは別の年に参加していました。マーガレットさんは参加者をまとめる側というか、リーダーだったんですよね?

MM:そうです。私が行ったのは日本語のワークショップができた最初の年で、参加者は7人でした。申し込んだ人は70人だったので、レベルがとても高かったです。あの時点ですでに翻訳を出している人が何人もいましたよ。イアン・マクドナルド(Ian MacDonald)さんや、アンガス・ターヴィル(Angus Turvill)さんとか。その年は多和田葉子さんと一緒に、『容疑者の夜行列車』の一部をみんなで相談しながら英語に訳しました。私が教えるとか、そういうことはなかったですね。

私はその時まで共同で訳すっていうことにあまり関心がなかったんですが、とても楽しかったですね。共訳では、お互いの言語的なセンスがわかっていて、息があっている、ということが一番大切だと思いました。多和田さんが毎回朗読してくれて、作品のイメージを膨らませました。多和田さんは想像力がものすごい人ですので、一緒にいるととても楽しいです。翻訳サマースクールではとても充実した時間を一緒に過ごせました。

 

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち
第3回:マーガレット満谷さん 了

 

(1)『Facing the Bridge』に収録されているのは以下の3つの短篇。
   The Shadow Man「かげおとこ」(『ふたくちおとこ』に収録)
   In Front of Trang Tien Bridge「チャンティエン橋の手前で」(『光とゼラチンのライプチッヒ』に収録)
   Saint George and the translator「アルファベットの傷口」(『アルファベットの傷口』、のち『文字移植』に収録)

(2)英国文芸翻訳センター(BCLT)の翻訳サマースクールについては本連載第1回目で詳しく説明している