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2021.10.29

第5回:ダンサーに魂はあるのか
──データベース・改変・再配布

踊るのは新しい体 / 太田充胤

ボキャブラリーの運用、誤用

 文化と密接に結びついた伝統あるダンスの来歴については、舞踏学や舞踊人類学がすでに様々な知見をもっているだろう。他方、新しいダンスが混沌の中でどのように発生するかについては、それほど整理された知見がないように見える。ここではひとつだけ、ダンスの発生について私の好きな逸話を紹介したい。

 1960年代のアメリカ西海岸、のちに伝説のダンサーとなるドン・キャンベルは、どうしても他のダンサーと同じように踊れなかった。
 キャンベルがダンサーとしてのキャリアを歩み始めたころには、1950年代にかけて活躍したミュージカルダンサーのフレッド・アステアに代表されるような、優雅で滑らかで淀みのない身体運用が良しとされていた。しかし、キャンベルの踊りにはどうしてもこういう滑らかさがなかった。
 のみならず、キャンベルは個々のボキャブラリーの習得にも手間取った。当時、アメリカの黒人の間ではソウルミュージックで踊るのが定番だったが、俗にソウルダンスと総称されるこれらのダンスのボキャブラリーに「ファンキーチキン」というのがあった。腕をたたんで、鶏がはばたくように肘を上下するこの動作が、キャンベルにはできなかった。肘を広げたまま止まってしまうキャンベルの身体運用は、端的に言って誤りで、滑稽だった。周りの客から嘲笑されることもあったらしい。
 驚くべきことに、キャンベルはその滑稽さを逆手にとって踊ることを考えた。ファンキーチキンの御用にすぎなかった肘を張り上げて止まる動作は、繰り返されるうちに独自に洗練されていった。それは体を止める様子からロック(Lock)と呼ばれるようになり、いつしか彼のダンスを象徴するものとなっていた。キャンベルはまた、しばしば自分のことを笑う観衆を踊りながら指差して挑発したが、この動きはいつしかポイント(Point)と呼ばれるようになった。もっとも、こうした呼称が自称なのか他称なのかはよくわからない。ともあれ、こうして彼が生み出した一連のボキャブラリーは、彼の名とその身体運用の核心をとってキャンベルロックと呼ばれるようになった。

 1970年、シカゴのテレビ局で、やはりのちに伝説となる黒人による黒人のためのダンス番組「Soul Train」が始まった。初めはローカル番組だったが、またたくまに流行し1975年には全米ネットで放送されるようになった。キャンベルロックと同様に、ソウルダンスをベースとしたオリジナリティの高いダンスが競うように登場した。キャンベルロックは、やがて多くのダンサーに模倣されるようになり、普及とともにキャンベルの名を落としてただ「ロック」と呼ばれるようになった。
 ロックダンスは発生から間もなくして海を渡り、数十年を経て日本でもよく知られたジャンルとなった。いわゆるストリートダンスにおける分類としてはすでにオールドスクールということになっており、新しい展開の可能性を孕んだジャンルというよりは一種のクラシックである。ジャニーズのような男性アイドルの「カッコいい」振付としても定番だが、基本的にはある種のコミカルさを核心とするジャンルだと言ってよい。まるで嘲笑を笑い返して踊らんとしたキャンベルの魂が、そのまま踊り継がれてきたかのように。

 どこまで正確な話かは別として、ロックダンスの成立をめぐるこの逸話はあまりにも有名である。初めてロックダンスに触れるダンサーは、その奇妙な名前の由来としてこの逸話を必ず聞かされることになる。
 流行りのダンスのボキャブラリーがローカルに「誤って」運用された結果、それを核として新しいダンスの生態系が発生する──伝統あるジャンルにのみ慣れ親しむ観客や、伝統を体に叩き込むことに心血を注ぐダンサーにしてみれば、にわかには信じられないほど楽天的な逸話かもしれない。しかし、もし誤ったダンサーが天才で、その天才に適切にスポットライトがあたるような場があれば、誤用はもはや誤用ではなくなる。おそらくは今も、身体表現のアンダーグラウンドではこういうことが無数に起こっているだろうと想像する。

 キャンベルロックが「ダンス」になったとき、身体の内外で双方向的なダイナミズムが生じていることがわかる。
 キャンベルはなにもないところから独自に身体運用を編み出したわけではない。キャンベルの体はソウルダンスという言語体系と接続され、広く知られたボキャブラリーを引用している──それがローカルに独特に運用されただけで。もうひとつの重要な点は、誤用が個人の誤用にとどまらずに正当化されたことにある。キャンベル個人の体に高度に依存する身体運用は、キャンベルロックという新しい言語体系を構築しながら、今度は無数の個体に流し込まれた。
 興味深いことに、同時代に「Soul Train」で活躍したダンサーやクルー──スクービードゥ、スキーターラビット、ロックステディ──の名前もまた、そのまま彼等自身の定番の動きを指す名となり、今日に至るまでロックダンスのボキャブラリーとして保存されている。すなわち、ここにはキャンベルのボキャブラリーを模倣するだけでなく、自ら新しいダンスの始祖となるでもなく、自らのボキャブラリーをキャンベルに接続して踊ったダンサーが少なからずいたということになる。
 キャンベルロックが今ではただロックと呼ばれていることは、キャンベルを核として誕生した言語体系が、最終的にはキャンベル個人のものではなくなったことを示唆している。これは単なる想像にすぎないが、そもそもキャンベルの動作をボキャブラリーとして確定したのも、キャンベル本人だけではなかったのではないだろうか。キャンベルがとっさに繰り出したポイントを新しいボキャブラリーとして認識し、データベースに加えただれかがいたはずだ。
 こうして踊る体の外部に成立したデータベースに、「Soul Train」というチャネルを通じて多くのダンサーが接続されていく。ダンサーの体は、ボキャブラリーを引用しローカルに運用するのみならず、その独特の運用をデータベースに再び投げ返す。ダウンロード、改変、アップロード、再配布、データベースという比喩になぞらえていうなら、そういうダイナミズムがあったはずである。
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