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2022.02.04

第7回:ダンス、ウィルス、TikTok
──身体運用の増殖戦略

踊るのは新しい体 / 太田充胤

 

データベースで踊る

 周知のように、それ以来、同様の構図で配信されるダンスの映像は後を絶たない。
 アニメの登場人物が踊るケースは、その後も『らき☆すた』(2007)の「もってけ! セーラー服」、『マクロスF』(2008)の「星間飛行」のように繰り返され、そのたびに生身のユーザーによって模倣された。世代や関心領域を問わず認知された例としては『妖怪ウォッチ』(2014)の「ようかい体操第一」を挙げれば十分だろう。
 あるいはまた、本邦の一部のアイドルが、PVのヴァリエーションとして「Dance Shot Version」と呼ばれる定点・正面視・ワンカットの映像を配信するようになった。当初はハロー!プロジェクトが中心だったと記憶しているが、その後これまた一般に広く認知された例としてはAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」(2014)がある。こうして所謂「元ネタ」を提供する歌手・ダンサーの立ち位置に、今ではBTSやTwiceのような韓国発のダンスグループが立っている。
 あるいはテレビドラマのエンディングで、出演者が本編とはなんら関係のないダンスを踊るケース(さしあたり『逃げるは恥だが役に立つ』(2016)の「恋ダンス」を挙げておけば十分だろう)。あるいはテレビやネット動画のCMで、タレントが商品名を歌いながら踊るケース──。
 こうしてコピーされることを期待した平面のダンスは、今日に至るまで枚挙にいとまがない。そしてこれらの「元ネタ」は実際に、多かれ少なかれ、それをまんまとコピーして踊る無数のユーザーと、無数の動画を生んできたのである。
 TikTokの開発元である中国において、「踊ってみた」(中国語では「宅舞」、ちなみに英語では「Dance Cover」)が受容されてきた事情については私が論じられる範囲をいくらか超える。ただ、TikTokの前段階として、ニコニコ動画をそのまま延長したような環境があったことまでは疑いようがない。2009年にリリースされた中国の動画共有サイト「bilibili」はニコニコ動画の模倣サービスとして知られるが、そこにはやはり同じ構図のダンス動画が無数に存在する。それらははじめニコニコ動画で発生した振付や、日本のアニメの振付をそのまま輸入していたのみならず、動画自体がニコニコ動画から転載されているケースも散見された。ダンスカンパニー「クリウィムバアニー」を主宰する振付家の菅尾なぎさは、自身がアニメ『かぐや様は告らせたい』(2019)のために作成した振付が、日本よりもむしろ中国のティーンエイジャーのあいだで爆発的にコピーされたことを語っている。[5]

 こうして大手メディアから提供される「元ネタ」とはまた別に、ダンス経験のあるユーザーが自らVOCALOID楽曲に振付をつけて踊るようになった顛末にはすでに第1回で触れた。とはいえ元ネタが飽和した今となっては、「やってみた」が意味するところの中心は「これをやったたらどうなるのかわからないが試しにやってみた」ではなく、「あの人が/みんながやっている例のアレを私もやってみた」にあると言ってよい。「やってみた」はごく一部の特権的なユーザーにとっては自ら情報を生成し放流する回路でありうるが、大多数のユーザーにとっては流通している情報を再生するための回路となっている。
 流通するミームを自らの身体に流し込んでコンテンツ化すること。このトレンドはなにも「踊ってみた」に限ったことではない。YouTubeで「やってみた」と検索すれば、無数にリストアップされるのは既視感のあるタイトルとサムネイルばかりだろう。もっとも「踊ってみた」において、それは最も露骨に現れる。なにしろおよそすべての動画タイトルが、投稿者と楽曲という2変数の組み合わせからなっているのだから。

 試行の結果そのものではなく、「誰が」「何を」踊ったかだけが問題となり、コンテンツとなる世界観。端的に言えば、これを極限まで推し進めたのがTikTokだということになる。
 アニメ主題歌の振付なら1分30秒ほど、VOCALOID楽曲の振付なら3~5分程度はあるのに対し、TikTokのユーザーが覚える振付はたったの15秒ほどでよい。もっとも、より本質的なのは、すべてが引用の組み合わせだけで成立する点かもしれない。ニコニコ動画に「踊ってみた」を投稿するユーザーは、かならず複数のデバイス、複数のアプリケーションを行き来しなければならない。TikTokにおいてはそうではない。そのもっとも重要な特徴は、同一デバイス・同一アプリケーション上で、再生・視聴のみならず、撮影・編集・共有をも完結できるUIにある。アプリケーション内には著作権フリーで利用できる楽曲がストックされており、ユーザーはデータベースから適当なBGMを選んで挿入するだけでよい。流れてきた振付をその場で踊り、流れてきた楽曲を挿入すれば、ほとんど複製のような動画がいとも簡単に出来上がる。ユーザーにとっても実に簡便なインターフェイスだが、同時にサービスプロバイダにとっては、高度に洗練された大量生産の機械でもある。
 こうして互いに類似する無数の動画がとめどなく生産される。新しいのは体だけ。ユーザーの体はデータベースと直結されて、組み合わせの最後のピースとなる。逆に言えば、ここでは肉体もいくつかの変数のうちのひとつでしかない。
 オリジナルがどこの誰かということも、もはやそれほど重要ではなくなった。複製は、それ自体がさらに複製されうるポテンシャルを持っているという点において、実質的にオリジナルと等価だからである。複製の複製の複製……こうして感染はどこまでも連鎖し、ミームは変異し続ける。感染者はハッシュタグを介してリゾーム状にリンクされ、その網の目自体がひとつのコンテンツとして肥大化を続ける。
 踊るユーザーは、もはや自ら「やってみた」と言明する必要さえなくなった。新しい動画の中でこれからなにが起こるかは、それを再生しスワイプするユーザーのほうでも、あらかじめすっかり知っているからである。
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