• Twitter
  • Facebook
2026.10.23

マンガ研究者・小田切博によるアメリカン・ヒーロー・コミックスを解説した連載。最終回となる第19回目の今回は、スーパーヒーロー・コミックスにおける物語の「終わり」について考えます。死と復活を繰り返すヒーロー、何度も書き換えられる世界設定、そしてさまざまな作家によって描かれてきた「最後の物語」。数十年にわたって続く「終わらない物語」は、どのように終わることができるのでしょうか。

 

 

終わらない物語

アメリカのスーパーヒーロー・フランチャイズの最大の特徴はそれが「終わらない物語」であることです。

もちろん個々の物語やキャラクターはさまざまなかたちで「終わり」を迎えてきました。1940年代から続くキャラクターたち、スーパーマンやバットマン、キャプテン・アメリカなどはそれぞれ何度か「死」を経験していますし、ワンダーウーマンやフォーセットコミックスのキャプテン・マーベルは路線変更やコミックブック出版ラインの消滅による「終わり」を経た上で現在もコミックブックが刊行されています。
彼らほどの知名度を持たないキャラクターたちも、数号登場しただけの脇役ですら、DCユニバースやマーベルユニバースが続く限り、何かのきっかけでどこかで再登場することがあり得ますし、コードネームがあるヒーローや悪役の場合は劇中で殺されても、生き返ったり、中身の人物が別人になって再登場することが珍しくありません。

終わらない大河ドラマであるDCユニバースやマーベルユニバースの物語は中心人物たちを物語の中枢に留めておくために定期的に世界全体の時間が巻き戻され、世界観自体が書き換えられていきます。
その度にヒーローやその周囲の人々の物語は語り直され、バットマンやスパイダーマンのような主人公クラスに限らずその繰り返しは必然的に物語の中ではメタフィクション的な意味を持っていく訳です。

ここでは、この点に関する具体例として、ある時はバットマンの敵、またある時はバットマンの味方として登場するキャラクター、アズラエル/ジャン=ポール・ヴァレーを挙げておきます。
アズラエル/ジャン=ポール・ヴァレーは1992年にミニシリーズ『バットマン:ソード・オブ・アズラエル(Batman: Sword of Azrael)』[1]で初登場した、聖デュマ騎士団と呼ばれるカルト教団が自分たちの目的のために活動する工作員、暗殺者として遺伝子操作と幼児期からの洗脳を用いて育成した、一種の生体改造人間とでもいうべき存在です。
教団は、彼の一族を代々その「システム」によって超人的な戦闘能力を持ったエージェントにしており、先代が死亡するとその子供がエージェントとして覚醒し、専用の武器とマインド・コントロール・プログラムが内蔵された特殊な鎧が与えられることで「アズラエル」が継承されるように仕組んできました。ゴッサムシティで情報工学を専攻する普通の大学院生として暮らしていたジャン=ポールも父の死によってアズラエルとして覚醒し、聖デュマ騎士団の裏切者である武器商人の暗殺のために派遣されることになります。
この任務の最中に彼とは別に武器商人を追っていたバットマン/ブルース・ウェインと遭遇したアズラエルは、ミニシリーズの最後でバットマンの助けを借りて教団の洗脳から離脱し、その後は『バットマン』[2]誌でバットマンの助力者のひとりとして登場することになります。

 

襲名と再生

ただ、このミニシリーズでの展開はじつはかなり強引な、1993年に展開されたバットマン/ブルース・ウェインが悪役との対決によって背骨を折られ、一度再起不能になるというショッキングなストーリー『バットマン:ナイトフォール』の導入にあたり、三部作の第一部である同作でブルース・ウェイン/バットマンがベイン[3]に敗北したあと、ブルース・ウェインに替わってバットマンの役割を託されるのがジャン=ポール青年なのです。
この時期のブルース・ウェインは、自身の過ちから二代目ロビン/ジェイソン・トッドを殺害されてしまったという後悔を抱えており、まだ若年で経験も浅い三代目ロビン/ティム・ドレイク[4]や別な都市でヒーロー/守護者として活動している初代ロビン/ディック・グレイソンといった身近な助力者たちにバットマン役を任せることに躊躇いを感じていました。そのため、知り合ったばかりではあるものの、肉体的に強靭な改造人間であるアズラエルにバットマンの後継者役を委ねることになります。

続くバットマン襲名後のジャン=ポールの戦いを描く第二部『バットマン:ナイトクエスト』では、彼が犯罪者との戦いの中で教団の洗脳がフラッシュバックして暴力的になり、徐々におかしくなっていく過程が描かれていくことになります。
そして、最後の第三部『バットマン:ナイツ・エンド』では、力を求めてアップデートしていった結果、まるでハイテクの鎧のようになったバットマン・スーツの力もあってベインを打倒したものの、完全に狂気に駆られ、殺人も辞さない状態になってしまったジャン=ポールと奇跡的に回復したブルースという二人のバットマンが対決し、最終的にジャン=ポール・ヴァレーはブルース・ウェインに敗北することになるわけです。

この三部作の終幕後、ジャン=ポールはアズラエルに戻り、1995年からレギュラーシリーズ『アズラエル(Azrael)』[5]が開始、このシリーズではそもそもの諸悪の根源である聖デュマ騎士団とアズラエルの直接対決が描かれるとともに、彼はバットマン・ファミリーの客分としての立場に復帰することになります。ただ、100号続いたこのシリーズの最終号(2003年刊行)[6]でジャン=ポールは死亡し[7]、しばらくの間アズラエルはDCユニバースの表舞台からは退場することになりました。

しかし、DCコミックスはそこから6年後の2009年にミニシリーズ『アズラエル:デスズ・ダーク・ナイト(Azrael: Death’s Dark Knight)』[8]で、グラント・モリソンがメインライターをつとめた時期のバットマンのストーリーラインで登場したゴッサム市警の元警官マイケル・レーン[9]が聖デュマ騎士団の分派と見られる「清浄なる秩序」教団から「嘆きの鎧」、「罪の剣」、「救いの剣」の三つのアイテムを授けられ、教団のエージェントである「アズラエル」を襲名するというかたちでこのキャラクターを復活させました。
こちらの二代目アズラエルもミニシリーズのあと、2009年の『バットマン』、『デテクティブ・コミックス』両誌の年次増刊[10]での再登場を挟んでレギュラーシリーズ『アズラエル』(第二シリーズ)[11]が刊行されますが、より宗教色の強いこちらのシリーズは基本的にバットマンと無関係にストーリーが展開され、18号[12]でシリーズが打ち切られたあと、このバージョンのアズラエルの物語は2011年にバットマン関連タイトルで展開されたクロスオーバー『バットマン:ジャッジメント・オン・ゴッサム(Batman: Judgement on Gotham)』[13]で終結し、マイケル・レーン版アズラエルは姿を消します。

一方で同じ2011年にはDCユニバースの歴史と世界設定を書き換えるフルスケール・クロスオーバー・イベント『フラッシュポイント』が展開されており、その結果、設定が巻き戻った「ニュー52」期のDCユニバースにおいてアズラエル/ジャン=ポール・ヴァレーが生者としてカムバックすることになりました。
この新しいバージョンのジャン=ポールは劇中でバットマンになった経験を持たないのですが、彼が「そういうキャラクターだった」という記憶はクリエイター陣と当時からの読者には共有されており、DCユニバースの歴史が再調整された2015年のフルスケール・クロスオーバー・イベント『コンバージェンス』後の「DCリバース」期に「ナイトフォール」三部作とは異なった経緯、異なった理由で「ナイトフォール」に登場したのとよく似たバットマンを模したアーマーを纏うことになります[14]。

 

再帰する物語

こうしてアズラエルというヒーロー/アンチヒーローやジャン=ポール・ヴァレーというキャラクターの設定や物語は、変動を続けるDCユニバースの歴史によって上書きされ、常に微妙に異なったストーリーや文脈が塗り重ねられていくわけです。物語も登場人物たちも繰り返されているようでまったく同じではありませんし、それでいて以前の物語やそこで彼らが辿った運命は多重露光された写真のように新しいバージョンの彼らにも常に引き継がれていきます。

しかも、この点はメインストリームのDCユニバースやマーベルユニバースとは独立した、エルスワールドや『ホワット・イフ…?』と呼ばれる外伝作品、作家主導で描かれたユニバース外のオリジナル作品においても、既存のキャラクターIPを使用している限り同じです。
たとえば2017年から展開されているコミックアーティスト、ライターのショーン・マーフィーが「ジョーカーが狂気から回復した」ゴッサムシティでのバットマンたちの物語を語る連作『バットマン:ホワイト・ナイト(Batman: White Knight)』[15]シリーズの二作目、『バットマン:カース・オブ・ホワイトナイト(Batman: Curse of the White Knight)』[16](2019年)にもアズラエル/ジャン=ポール・ヴァレーが登場しますが、この物語でのアズラエルは前述したどのバージョンの彼とも異なりながら、一方でそれらを踏まえたものになっています。

こうした再帰する物語としてのアメリカン・スーパーヒーロー・フランチャイズはDCコミックスやマーベルコミックスがコミックブック出版を続ける限り、それどころかおそらくコミックブックが出版されなくなったとしても、保有しているキャラクターIPのライセンスが生き続けている限りは終わることなく続いていくのです。

では、スーパーヒーローの物語には本当に「終わり」はないのでしょうか。じつは、これもそんなことはありません。

その始まりの物語が何度も繰り返し語られるのと同じように、スーパーヒーローの終わりもまた、何度も何度も、さまざまなクリエイターによって無数のバリエーションを生み出しながら語られ続けています。

 

終わる物語

先にも述べたようにスーパーヒーローコミックス出版においては、DCコミックスであればエルスワールド、マーベルコミックスであれば『ホワット・イフ…?』のような世界観を変えたり、イフ設定を用いた外伝的な作品、現在のDCコミックスの「ブラック・ラベル」レーベルから出ている作品のようなメインストリームの物語の連続性から離れて個々の作家に内容が任された独立した作品もあり、必ずしも「終わらない」ユニバースを舞台にした作品だけが存在しているわけではありません。DCコミックスの「アブソリュート・DC」やマーベルコミックスの「アルティメット・マーベル(Ultimate Marvel)」[17]のように同一のキャラクターを用いながらも、既存の「ユニバース」とは異なった世界、キャラクター設定に基づいた別な「ユニバース」を舞台にしたコミックブック・タイトルが展開されることもありますし、現在ではこれらの他にも基本設定はメインストリームのものに準じながら物語としてはそれぞれ単発で独立したものとして扱われている児童向け、ヤングアダルト向けの作品やネット配信限定のコミックスシリーズ、ウェブトゥーンとして発表されているものもあります。

アメリカのコミックス出版がわかりにくいのは、こうしたコンテンツの内容や流通に即したブランディングやレーベル分けが必ずしも整然となされているわけではなく、出版された時期によって個別の作品が属するレーベルやその扱いがころころ変わっていく点にもあるのですが、いずれにせよこうした独立した扱いの作品群は普通に物語が終われば(当たり前ですが)そこが「終わり」です。
ですから、これらの「ユニバース」外の作品には、先に挙げた『バットマン:ホワイト・ナイト』のようなそのシリーズだけで完結するものもありますし、2026年には2023年からはじまった並行世界を舞台にするマーベルコミックスの出版ライン「アルティメット・マーベル」が終了しています。こちらは複数のレギュラータイトルが刊行されていたサブユニバース企画ですが、終了に際して、その全タイトルを巻き込んだクロスオーバーが展開され、この世界全体の物語が大団円を迎えました。

ただ、IPとしての都合上、ビジネス的な問題からこれらの物語やキャラクターの存在は常に呼び返される可能性があり、その意味では決して「終わらない」わけです。しかし、その一方で、クリエイターからも読者からも常にメタ的な関心をもって読まれてきたスーパーヒーローコミックスでは、むしろそれらの「終わり」は物語としてのゴール、完結といったものとは違う、ちょっと独特な関心の持たれ方をしているといえます。

たとえば1986年にはDCコミックス初のフルスケール・クロスオーバー『クライシス・オン・インフィニット・アース』に合わせ「プレ・クライシス」期のスーパーマンの最終回というコンセプトでアラン・ムーアが脚本を書いた『何がマン・オブ・トゥモローに起こったか?(Whatever Happened to Man of Tomorrow)』[18]が『スーパーマン』、『アクション・コミックス』両誌に跨るかたちで発表されていますし、同じ1986年にはブルース・ウェインがバットマンから引退した後の物語であるフランク・ミラーの『バットマン:ダークナイト・リターンズ』も出版されています。さらにこれも同年発表のスーパーヒーローの存在が社会的に規制された世界を舞台にしたアラン・ムーア脚本の『ウォッチメン』も、より俯瞰したかたちでスーパーヒーローの終焉を描いたものです。

刊行後すぐに古典化していったこれらの名作たちの影響もあって、この時期からスーパーヒーローの「終わり」が作品のテーマとして注目されるようになっていきました。
既に見たように、1990年代にはスーパーヒーロー・コミックスへの自己批判、自己解体的な内容の作品が増加するのですが、そうしたスーパーヒーローの相対化を経て、このジャンルはより真摯なかたちで、物語のテーマやキャラクターのあり方に即して「終わらない物語をどのように終わらせるか」という一見矛盾する命題へと関心を移していったようにも思えます。

 

任意の最終回

たとえば、マーベルコミックスは2004年から各タイトルの「あり得べき最終回」を語るというコンセプトの「ジ・エンド(The End)」[19]という企画名を冠するコミックブックを断続的に発表してきました。編集サイドからは、この企画は「現在のマーベルユニバースとはつながらない」との声明が出されています[20]が、そういったIPレベルでの物語の継続性維持とは別に、クリエイター側には「(自分の考えたかたちで)物語を終わらせたい」という欲求があるものなのだと思います。
もともと「ジ・エンド」という企画の出発点となった作品『Xメン:ジ・エンド(X-Men: The End)』[21]自体、90年代初めに当時のマーベルコミックス経営陣と対立して構想半ばでXメンのライターを降板したライターのクリス・クレアモントが、自身の考えるXメンという物語の終わりを作品化するというコンセプトのシリーズでした。

他にもマーベルコミックスのクリエイターのオリジナル脚本作品では、2006年にカーレ・アンドリュースが「スパイダーマン版ダークナイト・リターンズ」ともいうべき『スパイダーマン:レイン(Spider-man: Reign)』[22]を発表していますし、2008年の『ランボー』の原作者であるデヴィッド・マレルの脚本によるアフガニスタン紛争を舞台にキャプテン・アメリカの「最後の戦い」を描く『キャプテン・アメリカ:ザ・チョーズン(Captain America: The Chosen)』[23]など、同種のコンセプトの作品は珍しくありません。
もちろん、スーパーマンが引退したあとの未来を舞台にしたアレックス・ロスの『キングダム・カム』などDCコミックスでもスーパーヒーローやユニバースの「最後」をテーマにした作品は色々出ていますし、このテーマは1990年代以降、スーパーヒーローコミックスの世界ではサブジャンルとして確立されたものになっています。

このように作家主導でつくられている「ユニバース」外の作品は、「終わり」をテーマにした作品にはスーパーヒーローという存在に対するメタフィクション的な含意があるにしろ、個々の作品自体は一般的なマンガや小説同様「始まりがあり、終わりがある」物語なのですが、それでは、IPとして刊行し続けることを半ば義務付けられている「ユニバース」の物語の場合、読者はどう読んでいけばよいのでしょうか。

じつは、現代のスーパーヒーローコミックスでは、レギュラーの「ユニバース」内のタイトルにも任意の「物語の終わり」は存在しています。

現代の「ユニバース」内のスーパーヒーローコミックスでは、一定期間グループタイトルやユニバース全体のシリーズ構成役をつとめるメインライターが存在するのが一般的になっているのですが、彼らは自分が担当する期間の当該キャラクター、チーム、あるいはユニバース全体のストーリー展開に関して、ある程度全体的な物語の流れ、その終結までの構想をもってそのポジションに就任するわけです。そのため、このメインライターが交替するタイミングは、読者にとってはそれまで展開されていた作家の物語が完結する区切りになっています。
たとえばDCコミックスの初代チーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)であるジェフ・ジョーンズであれば、「ジェフ・ジョーンズのDCユニバース」の総決算ともいうべき野心的なクロスオーバー『ドゥームズデイ・クロック』がこれに当たるものでしょうし、彼を引き継いだスコット・スナイダーの場合は『ダークナイト:デス・メタル』が(第一期)スナイダー版DCユニバースの「最終回」というべき作品です。
スーパーヒーローコミックスを読み慣れた読者であれば、特に意識することもなくこうした担当ライターの存在を前提として「グラント・モリソンのバットマン」や「ダン・スロット[24]のスパイダーマン」といったそのライターがメインで担当した時期のそのキャラクターの物語をひとつながりのストーリーとして読んでいるものだと思いますが、現在進行形の「ユニバース」内のスーパーヒーローコミックスのこうしたあり方も、よく知らない層にとってはわかりにくいものでしょう。

 

ページを閉じたあと

コミックスをはじめとするスーパーヒーロー・フランチャイズはポピュラーカルチャーであり、大衆向けのエンターテインメントです。
スーパーヒーローに対しては「単純」、「子供向け」といった批判がありますが、実際にはその長い歴史もあってハイコンテキストでとてもわかりにくい文化だと個人的には思っています。
もちろん個々の映画やコミックス作品のストーリーが必ずしも難解だというわけではないのですが、それらの物語が何を語ろうとしているのかをきちんと理解するためには、その背景にあるコミックブックという産業やスーパーヒーローにまつわる文化的な文脈、アメリカという社会、またそれらの歴史に対する膨大なレファレンスが必要になるはずです。

ここまでその一端を語ってきたわけですが、私自身は必ずしも大衆娯楽であるマンガや映画を楽しむためにこうした知識が必須だというつもりはありません。
ただ、アメリカン・スーパーヒーローについては「おもしろい」、「つまらない」という価値判断がきわめて無造作になされる割りに、「わからない」という自省がなされているのを見ることがほとんどなく、個人的にはこの点が疑問だとは考えてきました。
「おもしろさ」についていえば、本来背景情報を知っているほど作品は楽しめるものですし、逆に「つまらなさ」や作品の問題点を批判的に語ろうとするなら、裏打ちとなる知識がなければその批判は説得力を持ちません。

スーパーヒーローの物語自体は「終わらない」がゆえにどう終わってもいいものです。

これまで様々なクリエイターが自分なりの「終わり」を物語ってきましたし、これからも新しい作家たちが別な結末を物語っていくことになるでしょう。一方で、読者である私たちはこの巨大な物語をどこから読み始めて、どこでページを閉じてもかまわない立場にあります。

そこで私たちが忘れるべきではないことは、スーパーヒーローの物語は「終わらない」がゆえに常に変化し続けているということです。
私たちは背景となる知識や情報を知らなくても個々の作品を楽しむことはできますが、知らないことは語れません。
まして、自分がページを閉じたあとに起きたことに関しては、読み終えた範囲の物語からだけではいえることなどほとんどないのです。

 

 

注
[1] Dennis O’Neil脚本, Joe Quesada作画, “Batman: Sword of Azrael”, 1992, DC Comics
[2] Doug Moench脚本, Jim Aparo作画, “Batman”Vol.1 #488, 1993, DC Comics
[3] Bane 特殊な薬物によって身体強化したバットマンの宿敵のひとり、Azraelとともに“Batman: Knightfall”のために用意された新キャラクターで、クロスオーバーに先だって刊行された Chuck Dixon, Doug Moench脚本, Graham Nolan作画, “Batman: Vengeance of Bane”, 1993, DC Comicsで初登場した。
[4] “Knightfall”三部作刊行時のロビン経験者は三人おり、初代ロビンDick Graysonは既にロビンからコードネームをナイトウィング(Nightwing)に変えてバットマンからは独立して活動しており、二代目のJason Toddはこの時期には死亡したことになっていた。この時期のロビンは三代目のTim Drakeで、第二部“Knightquest”ではJean-Paul Valleyのバットマンのお目付け役としてゴッサムシティに残されたおかげで、Jean-Paulに殺されかかるなど散々な目に遭う。あきらかに代役バットマンの人選ミスだが、それで反省したのか続くバットマングループのクロスオーバー“Batman: Prodigal”ではBruce Wayneは自身が不在中のバットマン役をDick Graysonに任せている。
[5] Dennis O’Neil脚本, Barry Kitson他作画, “Azrael”Vol.1, 1995, DC Comics
[6] Dennis O’Neil脚本, Sergio Cariello作画, “Azrael: Agent of the Bat”Vol.1 #100, 2003, DC Comics, #47で“Azrael: Agent of the Bat”にタイトル変更した。
[7] この最終号のラストシーンではJean-Paul Valleyの生死は曖昧な描かれ方をしているが、2009年のフルスケール・クロスオーバー“Blackest Night”でゾンビ化して蘇った死者の一人としてJean-Paul Valleyが登場するため、公式にここで死亡していたことが確定した。
[8] Fabian Nicieza脚本, Frazer Irving作画, “Azrael: Death’s Dark Knight”, 2009, DC Comics
[9] Michael Laneの初登場はGrant Morrison脚本, Andy Kubert作画, “Batman”Vol.1 #665, 2007, DC Comics
[10] Fabian Nicieza脚本, Jim Calafiore作画, “Batman Annual”Vol.1 #27, 2009, DC Comics, Fabian Nicieza脚本, Tom Mandrake作画, “Detective Comics Annual”Vol.1 #11, 2009, DC Comics
[11] Fabian Nicieza, David Hine脚本, Ramon Bachs他作画, “Azrael”Vol.2, 2009, DC Comics
[12] David Hine脚本, Cliff Richards作画, “Azrael”Vol.2 #18, 2011, DC Comics
[13] “Batman”Vol.1 #708, “Red Robin” #22, “Gotham City Sirens”#22, “Batman”Vol.1 #709の四冊で展開。
[14] James Tynion IV脚本, Alvard Martinez作画, “Detective Comics”Vol.1 #962, 2017, DC Comics
[15] Sean Murphy, “Batman: White Knight”, 2017, DC Comics, 邦訳は秋友克也訳, 2019, ヴィレッジブックス
[16] Sean Murphy, “Batman: Curse of the White Knight”, 2019, DC Comics, 邦訳は秋友克也訳, 2021, ヴィレッジブックス
[17] Ultimate Marvel ここでいっているのは2023年からの第二期“Ultimate Marvel”ライン。同年のミニシリーズ“Ultimate Invasion”からはじまった出版ラインで、当初はオリジナルUltimate Universeを復活させるかのようにプロモーションしておきながら、結果的にまったく新しい別の並行世界の物語としてJonathan Hickmanによるトータルプロデュースではじまった。
[18] Whatever Happened to Man of Tomorrow Alan Moore脚本, Curt Swan作画, “Superman”Vol.1 #423, 1986, DC Comics, Alan Moore脚本, Curt Swan作画, “Action Comics”Vol.1 #583, 1986, DC Comics, 邦訳は石川裕人訳, 『スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード』, 2010, 小学館集英社プロダクション
[19] The End Xメンを人気タイトルに押し上げた立役者であるライター、Chris Claremontの脚本による“X-Men: The End”を2004年から2006年まで刊行し、その後2019年から2020年にかけて“Marvel Universe: The End”をはじめとする“The End”をタイトルに関するコミックスを刊行していった。類似した企画だが、よりパロディ色の強いものとして1995年の“Punisher Kills the Marvel Universe”, 2012年の“Deadpool Kills the Marvel Universe”のような特定のキャラクターがマーベルユニバースのヒーローや悪人を皆殺しにしてしまうものがある。
[20] Tom Brevoort, “New Brevoort Formspring”, “Tumblar”, 2014, https://brevoortformspring.tumblr.com/post/94063615333/so-despite-everyone-else-believing-the-end-was
[21] X-Men: The End このシリーズは2004年から2006年にかけてChris Claremnt脚本. Sean Chen作画による三本のミニシリーズとして断続的に刊行された。
[22] Kaare Andrews, “Spider-man: Reign”, 2006, Marvel Comics, 邦訳は小池顕久訳, 2024, 小学館集英社プロダクション
[23] David Morrell脚本, Mitch Breitweiser作画, “Captain America: The Chosen”, 2008, 邦訳は2023年にアシェットから「マーベル・グラフィックノベル・コレクション」の一冊として出ている。この作品はもともと“The End”枠で企画されていたようなのだが(Dave Richards, “THE FOUR VIRTUES: Morrell Talks “Captain America: The Chosen””, 2007, https://www.cbr.com/the-four-virtues-morrell-talks-captain-america-the-chosen/)、刊行時期がCaptain Americaレギュラーシリーズでのスティーブ・ロジャースが死亡するストーリーラインと同時期だったため、タイトルが変更されたらしい。
[24] Dan Slott アメリカのコミックライター。1990年代はじめにコミックブックの脚本家としての活動をはじめ、独特のコメディ感覚とブラックユーモアに満ちたストーリーで注目される。2010年から2018年までのスパイダーマン系タイトルのメインライター。