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日記百景 第6回
愛し愛されて生きられない 永田カビ『一人交換日記』

日記百景 / 川本 直

12通目

やっとこんなに思ってくれる人と出会えたのに、私が他者を思って尊重してないから寂しいんだ。私を寂しいままにしているのは、私だ。

永田カビ『一人交換日記』(小学館/二〇一六)

永田カビのエッセイ漫画は『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』(イースト・プレス/二〇一六)が単行本化される以前、pixivで公開された時から読んでいた。『一人交換日記』もpixivでの連載を追っていた。どうしても「読んではいけないものを読んでいる」気がしてならなかった。自分のことが描かれているように感じてまともに読めなかったのだ。それはもちろん読者に「これは自分のことだ」と思わせてしまう「現代の太宰治」とでも言うべき永田カビの見事な才能が成せる技でもあるのだが、「永田カビの作品をちゃんと読んでしまったら、自分の負の側面と向かい合わなければならなくなる」という恐怖感が私にはあった。

予感は的中した。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』と『一人交換日記』を書籍でまとめて精読した後、私は三日間寝込んだ。そこで描かれている永田カビの人生はほとんど私のそれと重なっていた。

永田カビは家族と折り合いが悪く、短大を中退し、鬱と摂食障害に苦しむ十年を送り、最近まで引きこもっていた。私の家庭環境もお世辞にも良いと言えるものではなかった。暴力を振るう父と見て見ぬふりをする母。無償の愛情を注いでくれる祖父母だけが私の救いだった。祖父は私が十五歳の時この世を去った。祖母は時を同じくしてボケてしまい、老人ホームで寝たきりの生活を送るようになった。すぐに私は壊れた。学校でのいじめと失恋も追い打ちをかけ、私は十七歳で鬱病患者になった。合格した大学も中退した。それから三十一歳まではほとんど記憶がない。憶えているのは極度の不眠症で眠れないのにベッドに一日中横たわりながら「死にたい」と考えていたことだけだ。

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』は永田カビがレズビアン風俗に行くことで殻を破り、自立を決意するまでが描かれている。私はそこまで突飛な手段は取らなかったが、自分を変えようと思い切った行動に出た。鬱病で心身ともにヘロヘロの状態だったが、三十一歳の時、「どうせ死ぬのならこの世界で一番行きたい場所に行こう」と思い、貯金を叩いてイタリアに飛んだ。家族から離れたことが良かったのだろう。イタリアの地で鬱は嘘のように回復し、帰国してからすぐに物書きの仕事を始めて今に至る。

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の続編と言っていい『一人交換日記』は永田カビが漫画の仕事をしながら実家を離れて一人暮らしを始め、自分を好きだと言ってくれる女性と出会うまでが描かれている。初めての単行本を刊行しても喜ぶどころか嫌な顔をする家族と葛藤するシーンを読んで、またしても「自分と重なるな」と思わざるを得なかった。私は二〇一四年に女装男子に取材したノンフィクション『「男の娘」たち』(河出書房新社)を上梓したが、両親は眉をひそめた。両親は女装に偏見があったのはもちろんのこと、私がその本でバイセクシュアルだとカミングアウトしたことが気に食わなかった。初めての単著を出したというのに私はまた鬱になった。

一人暮らしを始めてから永田カビは「愛し愛されたい」と願うようになる。「自己肯定感」がないことにも悩む。親から「条件つきの愛情」しか与えられなかった人間は「自己肯定感」を育むことが困難だ。それは実のところ、愛情でもなんでもないのだが、弱い立場にいる幼い子供は親に頼るしかない。だから、それを愛情だと思い込んでしまう。そして、親や他人の顔色ばかりを伺う自己評価が低い人間になる。そんな人間が愛し愛されるようになるのはとても難しい。

永田カビは日記の後半で「交際を前提に、お友達になってください」と言ってくれる女性と出会う。しかし、デートをしても喜べない。「お互いに敬意とか尊重とか信用とか、なんかいいなとか、そういうのを持ってないと、片方がどれだけ好きでも満たされないんだ…!!」と気づいてしまう。「やっとこんなに思ってくれる人と出会えたのに、私が他者を思って尊重してないから寂しいんだ。私を寂しいままにしているのは、私だ」と悟り、自己の負の側面と向かい合うことになる。その結果、「酒量も薬も増え、電車に乗れなくなり」、「キッチン鋏で首を切」るまで追いつめられる。

私も人を愛することにとても困難を感じている。人並み以上に恋愛はしてきたと思う。しかし、私には独占欲が強すぎて恋人の意思決定に介入してしまうという欠点がある。「それは愛情ではない」と気づいたのはごく最近のことだ。「相手を自分の思うようにしたい」と考えることは「支配欲」であり、「依存」でしかない。私も他者を受け入れることができなかったのだ。

『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』と『一人交換日記』は「永田カビ」という作者兼主人公兼語り手のモノローグで進行するが、「永田カビ」というキャラクターが極端にデフォルメされているので、深刻な内容にもかかわらず、客観性とユーモアを感じさせるものとなっている。永田カビの漫画が単に体験を語った月並みな自分史や凡庸な私小説と違うのは、このデフォルメによって自己を突き放して描いたところだ。その作風は重い体験をやはりデフォルメしたキャラクターのモノローグで描いた吾妻ひでおの自伝的なノンフィクション漫画『失踪日記』(二〇〇五/イースト・プレス)とその続編『アル中病棟 失踪日記2』(二〇一三/イースト・プレス)に近いものがある。

永田カビが多くの読者を獲得したのはレズビアン風俗に行ったという風変わりな体験ゆえではない。メンヘラだからでもない。同性愛を扱っているからでもない。自分を客体化しながらも「愛を求める人間の成長」といういささかベタだが普遍的な物語を極めて真摯に、時にはユーモアを込めて語ったことが共感を呼んだのだ。その証拠に『一人交換日記』は「それでもいつかきっと『愛し愛されること』、実現してみせます」という言葉で終わっている。

永田カビ『一人交換日記』(小学館/二〇一六)