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日記百景/川本 直
特別編
美しく残酷な愛−−映画『真っ赤な星』評

日記百景 / 川本 直

井樫彩監督の手にかかると、うらぶれた地方都市、足の甲の注射痕、古びたアパート、散らかった部屋、暗闇に灯る煙草の火といった何気ないものまでが、圧倒的な美しさを帯びる。

井樫彩が20歳の時に発表した前作『溶ける』は学生が監督したとは思えないほど技巧的に卓越した作品だった。その井樫の長編デビューとなるのが今作『真っ赤な星』だ。

『真っ赤な星』は14歳の少女・陽(小松未来)と27歳の元看護師・弥生(桜井ユキ)の女性同士の関係を描いている。ふたりは陽が入院中に出会い、陽は優しい弥生に特別な感情を抱く。1年後、陽と再会した弥生は看護師を辞め、男に体を売って暮らしていた。陽は母・恵利子(西山真来)と折り合いが悪く、義父・雅弘(小林竜樹)に性的虐待を受けたことがきっかけで、弥生に助けを求め、ふたりは弥生のアパートで過ごすようになる。

 

陽と弥生の生には出口がない。陽の母親は義父の虐待に気づくが、逆に娘を責める。弥生は恋人の健吾(毎熊克也)がいるにもかかわらず、毎夜、男に体を売るのを辞めようとはせず、自暴自棄になっていく。

主人公以外の登場人物たちは陽の友人の少年、大祐(大原由暉)を除き、最低な人間ばかりだ。陽の両親は言うまでもなく、弥生の客である田淵(菊沢将憲)は下卑た俗物で、弥生の恋人・健吾も表面上は優しげだが、無責任な男に過ぎない。

陽と弥生ですら特権的な存在ではない。弥生はとある秘密のせいで心を病んでおり、セックスに依存することをやめられない。それだけではなく陽に性的な行為を求め、自殺まで図る。幼い少女の陽も無垢ではない。陽は弥生の身代わりになろうと、売春にまで手を染める。

私は醜悪な現実を耽美的に描く井樫彩の作風からイギリスのロックバンド、スウェードを連想した。両者の作品にはフェティッシュなエロティシズムが横溢している点でも共通性がある。スウェードの楽曲の舞台となるのは『真っ赤な星』同様、倦怠感漂う郊外だ。ヴォーカルのブレット・アンダーソンが綴る、郊外のアウトサイダーたちの児童虐待、近親相姦、売春、同性愛、ドラッグ中毒といった背徳的な歌詞を、作曲を担当したバーナード・バトラーが華麗なギターによって官能的な楽曲に変換していく。スウェードは麗しい旋律によって、無情でグロテスクな世界を際立たせたが、『真っ赤な星』の映像も同じ効果を持っている。絵画的な映像美と陽と弥生の孤独な生が化学反応を起こし、その深い絶望を観客に突きつけるのだ。弥生が陽の愛情を受け入れ、ふたりが天文台で燃えるような朝焼けを見つめるシーンはどこまでも美しいが、未来は不確定なものとして提示され、彼女たちの孤独を浮き彫りにする。

 

主人公ふたりを演じた小松未来と桜井ユキは素晴らしい。小松未来は内向的な少女・陽をあたかも本人に成りかわったように、自然に、ひたむきに演じている。桜井ユキはファム・ファタールである弥生を艶やかに、気だるく、物憂げに表現している。

『真っ赤な星』に甘さはまったくない。安っぽい共感を誘う映画でもない。感傷は限界まで排除されている。演出は敢えて劇的な要素を排しており、脚本も極めて抑制されている。陽と弥生のすぐにでも壊れそうな関係が描かれていくため、観客は自分自身が追い詰められたように感じ、息が詰まりそうになるだろう。しかし、映画が進むにつれ、観る者は陽と弥生に感情移入せざるを得なくなる。それは彼女たちを取り囲む苦痛に満ちた状況では、ふたりが互いに愛し合い、共に生きるしかないとわかるからだ。井樫彩は透徹した視点で、愛によるわずかな希望を描くことに見事に成功している。


真っ赤な星
2018/日本/カラー/3.1ch/16:9/101分/PG12
2018年12月1日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開

キャスト:小松未来・桜井ユキ
毎熊克哉・大原由暉/小林竜樹・菊沢将憲・西山真来
脚本・監督:井樫彩
製作・配給:映画「真っ赤な星」製作委員会|配給協力:SDP
主題歌:Hump Back「クジラ」
©「真っ赤な星」製作委員会

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