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2021.12.17

第6回:VTuberが踊るとき
──代理する肉の流通

踊るのは新しい体 / 太田充胤

確定記述とフェティッシュ

 斎藤は当時、現実空間の人間を規範として仮想空間のCGモデルを演出することには限界があるだろうと指摘し、CGが21世紀のうちに実写に追いつくことはないだろうと予想した。実際はどうだっただろうか? 20年近くが経った今、答え合わせをしてみよう。
 ちょうどこの原稿を書いている今、TwitterのタイムラインにPlay Station 5のデモ映像が流れてきた。これまた20年以上の時を経て新作が公開される『マトリックス』シリーズのゲームだ。実写と見まごうようなカーアクションと戦闘のシーンが話題を集めている。私はその動画を一瞥して、てっきり今度公開される実写映画のプロモーション映像だと勘違いした。もちろん、文字情報をみてすぐに実態を理解したし、凝視すればそれがCGであることは判別できるけれども、少なくとも「それが実写ではありえないことを能弁に伝えてくる」という水準のものではまったくない。斎藤の予想の期限まではあと80年を残しているが、仮想空間の演出技術は予想よりずっと早いペースで仕上がっているらしい。

 それでは斎藤の議論がまったく的外れだったかというと、実はそうでもない。そこには少なくともひとつ、今なお扱うに足る論点が示されている。
 斎藤は『ファイナルファンタジー』への失望をひとしきり分析したあとで、いささか下世話な例ではあるが、と前置きしてからポルノグラフィティについて言及している。あらゆるメディアにおいてその普及を支えてきたはずのポルノが、CGにおいては十分に成立していないという事実。CGが固有のポルノ表現を獲得できていない理由は、とりもなおさずCGが確定記述であり、そこに主体だとか痕跡だとかが欠落していることにある。CGが実写に追いつくのがはるか未来になる以上、CGは遠い将来まで「フェティッシュを描きえない」。これが、斎藤のもうひとつの予想であった。
 はたして、CGはおおむね実写に追いついたと言ってよい今日でも、実写と見紛うリアルなCGをつかったポルノグラフィは主流にはなっていない。まあ、普及しない原因は制作側、つまりコストパフォーマンスの問題にもあるだろう。なにしろ人的資源と年月と技術を費やしてCGで映像を作るより、生身の人間を撮影したほうがずっと安くつく。
 よく考えてみれば、同じような事情が鑑賞者の側にもある。インタラクティブな要素のないポルノにおいて、実写と見紛うものが見たいならはじめから実写を見れば事足りる。よほど希少な嗜好の実現、あるいは実写では不可能な表現を求めるならばリアルなCGが実写の代理をつとめることもあろうが、それはリアルなCGそれ自体が欲望の対象となっていることを意味しない。現状を踏まえ斎藤の予想をいくらか修正するならば、リアルなCGがフェティッシュを「描きえない」のではなく、リアルなCGをこそ強く欲望する回路が成立しにくいということになる。
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