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とうとう公演本番|エネルギーが切れる|壁の記憶
2019.03.01-03.15

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

とうとう公演本番

3/1(金)
古へ。本番前日だというのに人が全然集まらない。出席メンバーだけで、うまく行かないシーンに修正をかける。トーマスが、このプロジェクトの「マニフェスト」を書いてきて、メンバーに配った。公演の最初にこの文章を客に読んで聞かせたい、ということで、最年長であり、パーキンソン病を患うドイツ人女性・ルチアが、役を担うことになった。奈緒子さんがマニュフェストを私に訳して解説してくれた。

Manifest: Erstes Oberhausener Arbeitslosen Ballett
Hallo Oberhausen!
(Alle rufen “Hallo”)
Wir sind das “Erste Oberhausener Arbeitslosen-Ballett!”
(Alle rufen “Ja”)
Wir alle sind Menschen, die es aus dem einen oder anderen Grund nach Oberhausen verschlagen hat, oder hier hängen geblieben sind. Manche sind zurückgekommen, manche werden weder gehen.
(“Ja, bleiben, gehen, hängen bleiben, verschlagen, …”)
Wir stellen Anträge und bezahlen uns selber für die Tanz-Arbeit!
(Alle rufen “Ja”…)
Bezahlte Kunst-Arbeit ist wichtig für Oberhausen!
(..genau…bezahlte Kunst-Arbeit …wichtig…Oberhausen…)
Für uns und für Alle! Alle können Kunst-Arbeit!
(Alle rufen “Ja, alle können Kunst-Arbeit”)
Wenn sie wollen.
(…ja, wir wollen…, …wollen muss man…)
Lebendige Kultur muss gearbeitet werden.
( …Arbeiten!…Kultur!…)
Das Potential sind die Menschen. Kultur hat nichts mit Standard zu tun.
( … Nichts … gar nichts…)
Kultur ist immer neu,
(…genau…)
Kultur bleibt nie gleich und ist immer wieder anders.
(…immer anders…)
Eine Kultur lebt und ändert sich immer wieder. Statische Bilder von Kultur sind keine Kultur. Daher brauchen wir die Gött*innen aus anderen Welten, die Außerirdischen, die anderen von woanders her!
(Alle rufen “Ja”)
Künstler geben immer mit ihrer Arbeit ein “Ja”. Dies braucht als Antwort ein “Ja”.
(Alle rufen “Ja”)
Wir sind die Gött*innen der Kunst-Arbeit!
(Alle rufen “Ja”)
Jetzt kommen alle Gött*innen nacheinenader und tanzen mit uns!
(…ja, tanzen…)
( ein oder zwei sind nicht mehr zu halten und tanzen schon mal los)
Wir machen zwischendurch eine Pause für Pipi, Zigaretten, Kaffee, Kuchen, Flips und Chips!
(…ja, Pipi-Pause, Flips und Chips…)
Handys aus!
(Alle rufen “Ja”)
Ich fang jetzt an!
(Alle rufen “Ja”)
*wilde Musik*

マニュフェスト: オーバーハウゼン初の失業者バレエ団
ハロー、オーバーハウゼン!
(全員「ハロー」)
私たちは「オーバーハウゼン失業者バレエ団」だ!
(全員「ja(=yes)」)
私たちは皆、何らかの理由でオーバーハウゼンに来たか、またはずっとここに暮らしてきた者だ。昔いて戻ってきた者もいれば、出て行ったまま帰ってこない者もいる。
(「そう」「留まったり」「行ってしまったり」「居座ったり」「うだうだしたり」)
私たちは志願して、ダンスの仕事に身を捧げる!
(全員「ja」)
芸術の仕事をすること——人が芸術に身を尽くし、その働きに対価が支払われること——は、オーバーハウゼンにとって重要だ!
(全員「そう、私たちは芸術のために仕事する」)
もしあなたが望むなら。
(「私たちは望んでる」「人は望むべきだ」)
生き生きした文化には、この仕事が不可欠だ!
(「仕事」「文化」)
可能性は人間そのものだ。文化はお仕着せの標準とは関係ない。
(「関係ない」「全然!」)
文化というのはいつも新しい。
(「まったく!」)
同じではなく、いつも違う。
(「いつも違う」)
文化は生きていて、どんどん変わりつづける。決まりきった文化のイメージなんて、文化じゃない。そういうわけで、私たちは、異世界からの神々を、異星人を、別の場所からの他者を必要としてる!
(全員「ja」)
芸術家は自分の作品に、いつも「ja」を与えなくてはならない。このことには「ja」という答えが必要だ。
(全員「ja」)
私たちは芸術の仕事の神々だ!
(全員「ja」)
今、すべての神々が次々にやって来て、私たちと踊り出す!
(「そう、踊る」「一人か二人は我慢できなくて、もう踊ってる!」)
途中、休憩を挟むので、その間にトイレや煙草やコーヒー、ケーキやチップスもどうぞ!
(そう、トイレ休憩、チップス……)
携帯を切って!
(全員「Ja」)
今、始めます!
(全員「Ja」)

 

3/2(土)

うとう公演の日。自転車で会場のDruckluftに行ったら、壁という壁に金色の紙が貼られていた。トーマスと数名の手伝いの人で、昨夜遅くまで準備してくれていたのだ。出演者全員で、美術の最終仕上げを手伝ったり、お客に出すお茶やケーキのテーブルを用意したりする。軽い打ち合わせの後、最終リハーサルが始まった。

ところが、全然上手く行かない。演劇をやって来た私には考え難いことに、リハーサルの途中で「次なんだっけ?」「今の違わない?」と芝居を止めてしまう人が続出したのだ。特に、私とファティメのシーンはめちゃくちゃだった。やっぱり彼女は段取り通りに台詞を言ってくれないのだ。

加えて、ダンスに合わせて演奏する、ドラムやキーボードや、新たに導入されたテルミンの音量が大きすぎて、シーンの邪魔になってしまうという事態も。練習であまり触れなかった本番用の楽器が目の前にあると大きな音で鳴らしたくなるのが人情である。トーマスが「音を抑えて!」とピリピリしている。ストレスMAXの中、リハが終わった。時間が押していて、もう会場の外でお客が待っている。「10分後に開演!」と号令がかかる。そんなにすぐに? あまりのことに呆れながら、ファティメと最後の台詞合わせをした。もう、このシーンはメモを持ちながらやろう。超スピードで瞼に付け睫毛を貼ると同時に開場となった。

まずは客を案内する。「こんにちは!」「奥へどうぞ」「お茶もありますよ」。ギタリストのハートムットたちの奏でる音楽に合わせて、さっそく何人かが踊り始める。そこで「マニュフェスト」。大きな黄色いヘッドドレスをつけたルチアが、トーマスにマイクを持ってもらって、ぐらぐらと身体を揺らせながらメモを朗読する。私はドラムセットの前に座って、時々シンバルを叩いたりして間の手を入れた。

そこから、ダンスシーンの始まり。「太陽の神」役のルチアは、人間の生活に害を及ぼすスマホを客から回収する。「花の神」のゾーレ。そして「鳥人間の神」のファティメ。私がインタビュー役をする問題のシーンだったが、初めて、芝居を途中で止めずに無事に終わらせることができた! 続いて、「蝶々ユニコーンの神」のヤン。「感性の神」の田中奈緒子さん。視覚がなく、手のひらに鋭い触覚を持つ神という設定で、オーバーハウゼンの街を調査する。悲しみに沈む人々の所に、星屑を降らせる「暗黒」の神のデニツ。街の人々の嘘を暴く「真実の神」のロジル。「月世界の神」のチョイスは、お尻を振ってオーバーハウゼンの人々に挨拶をする。私はここでトーマスとロザンの肩に乗ってリフトされるという大役があった! そして休憩。

休憩明けの最初が私の「なんでもイヤの神」のシーンだ。ファティメのシーンに熱意を注ぎすぎたせいでパワー不足の感もあったが、ドイツ語の台詞も無事に暗記し、なんとか終えることができた。毎日自転車に乗りながら台詞を暗誦していた成果である。続いて「ホーホー星から来たホー」のイネス。シルクハットをかぶってサングラスをかけた怪しい姿で人々を踊らせる。そして「地下世界から来た天使」ロザン。このシーンで、ロザンは彼女の母国シリアの言葉で語る。もちろん観客には何も分からない。ロザンはじつは「原子爆弾で被曝し、地下壕で寝起きする天使」を演じている。街の人に話しかけようとすると、その顔や身体を見ただけで彼らは驚いて逃げる。たった一人、デニツ演じる理解者が現れ、言葉は交わさないが、彼女たちはユニゾンの動きで踊る。街の人々に話しかけようとしてまた逃げられ、夜になれば地下壕で眠る。ロザンは三人の子を育てるシリア難民で、以前この日記で紹介した、様々な老人の手の絵や、ヒジャブをした女性の絵を描いた人である。どういう背景からこのシーンを考案したかは知る由もないが、彼女にしか作れないシーンであることは間違いなかった。


©Jörn Vanselow

 

続いて、実際に妊娠中の大きなお腹でプロジェクトに参加した「受胎の神」ゾニヤ。最後にダンサーのチュンが「みんなを家に返す」という設定で、全員が列になり、ステップを踏む。私はピアノを弾いていたところから列に加わり、列はやがて円になる。13人のメンバーはそれぞれの場面のダンスのピースを、今度は逆さまの順番で、ひとつずつユニゾンで踊る。


©Wiebke Rompel

 

最初のルチアのダンスを踊り終わる頃に、トーマスとギタリストのハートムットがスリーコードの単純な曲を弾きだす。それは、私が初めてオーバーハウゼンに来たクリスマスパーティーの日に、キッチンで皆んなが歌っていた曲であった。

「Alles klar、Alles klar、Alles klar 」

Alles klarとは、ドイツ人が会話の中で何かと使う言葉で、「全部分かった、クリアになりました、オールオッケー、バッチリ大丈夫よ!」という意味である。トーマスが完全にふざけて作った歌だと思っていたので、これをラストに使うと知ったときは嘘だろうと呆れた。だが今、全シーンが滞りなく終わり、改めて全員でこの曲を歌い上げていると何とも言えない感慨がこみ上げてきた。

「芸術家は自分の作品に、いつも「ja」を与えなくてはならない。」というトーマスのマニュフェストの意味する所がやっと理解できた。「ja」は肯定の「はい」で、芸術作品にはそれが備わっていなくてはならない。受け入れるとか理解するとか、そんな大それたものじゃなくて良い、ただ「ja」と応じるのだ。

振り返ると、ルチアがいつもの長い手足を震わせた不安定な立ち方でそばにいた。一点の曇りもない笑顔だった。観客のダウン症候群らしき二人の女の子が椅子から立ち上がって、ルチアと手を繋いでいる。壁に貼られた黄金シートがその背景でギンギラギンと輝いている。目眩がした。耳に響くは、歌の超絶上手いチョイスによるAlles klarの声。


©Jörn Vanselow

 

こんな多幸感に満ちた空間がこの世に存在するのか。オーバーハウゼンに天国が出現したのか。

トーマスが、誰の行動も制限したり、コントロールしようとしなかったことが、このユートピアを実現させたのだ。この数ヶ月、彼が「やる気ないならもう明日から来なくていいって言おうかな……」と煩悶するのをたびたび見たが、彼は最後まで自制心を働かせ、どのメンバーの存在もアイディアも、それこそ「ja」と肯定し続けた。そんなディレクターと仕事をしたのは初めてだと思った。今まで演劇に関わる上で、俳優は演出家にコントロールされる必要があると思ってきたし、自分が演出する場合、俳優をうまくコントロールできなかったらどうしよう、というプレッシャーと常に戦っていた。自分自身は、人から指図されるのが大嫌いな天の邪鬼だっていうのに。たとえ演出家だって、誰だって、別に他人をコントロールする必要なんかない、ただ肯定すれば良かったのだ。それぐらい、芸術は人間にとって自然で重要なものなのだから。

公演が終わるや否や、メンバーたちと記念写真をたくさん撮った。「普段はストレスだらけの毎日だからこんな楽しいことに参加できて良かった」とロザンが言う。「寂しいときはいつでも電話して!」とチョイス。移民、難民の背景を持つ面々は、本番中、演劇経験のある私よりもずっと輝いて見えた。生きるエネルギーというか、迫力がどうしても違う。

金色のシートを取り払って楽器等を片付けると、そこは何事もなかったように元の体育館に戻った。やっと終わったというか、とうとう終わってしまったというか。

片づけに最後まで残った人々と、ポーランド料理のレストランに行った。ビールを飲んで、ポーランドの餃子風料理「ピエロギ」を食べた。

3/3(日)
床。「私たちにはエネルギーが必要だ」と言ってトーマスが朝から巨大な肉を切ってステーキを焼いている。食べるかと聞かれ、奈緒子さんは断ったが、私は食べた。朝からヘビーだが美味い。

公演明けのこの日、オーバーハウゼンではカーニバルのお祭りが行われた。雨が降っていたが、メンバーのヤンと待ち合わせて、街の中心部でカーニバルを鑑賞する。目抜き通りに大勢の仮装した人が集まり、その中を多種多様な装飾の車がゆっくりと走り抜ける。子どもも大人も車に向かって手を降る。すると車上の人々は彼らに飴やガム、チョコレート、ぬいぐるみ、ティッシュ、石鹸などのお土産を振りまく。我れ先にと腕を伸ばす群衆。手をすり抜けた菓子が、雨に濡れた花びらのように道に散らばる。

夜、トーマスの部屋で三人、また毛皮にくるまって、恒例の日曜ドラマ「Tartort」を見る。宝くじに当たった隣人を妬んだ主人公が、当たりくじを盗もうとして殺人事件を犯す話だったが、先週とは打って変わって脚本のクオリティが低く、私たちには不評だった。ドイツの公共放送の多くはネット配信で視聴できる。適当にサイトを見て、鑑賞可能な映画を探していたら、『カリガリ博士』の監督ロベルト・ヴィーネによる『芸術と手術』を見ることができた。1920年代の優美なサイレント映画である。

 

エネルギーが切れる

3/4(月)
ーバーハウゼンを発つ日。トーマスが「またいつでも来なさい。前もって言う必要もない。オーバーハウゼン駅から『今、駅だよ〜』と電話をくれれば良い」と言う。奈緒子さんが駅まで送ってくれた。

デュッセルドルフ空港で高い鉄火巻き(数個で10€!)を食べてから飛行機に乗り、ベルリン・テーゲル空港へ。さっそくクリストフとマヤが「もう着いた? Weddingまで行くからご飯食べよう!」と誘ってくれた。皆んな優しい……。Leopold Platzの韓国料理屋で、ホットプレートで焼く簡単な焼肉を食べた。オーバーハウゼンの公演が充実したものだったせいか、希望に満ち溢れたテンションで眠る。「明日が来るのが楽しみ」なんて素直に思えるのは20年か30年ぶりだったかもしれない。

3/5(火)
る恐る戻ってきたWeddingの部屋だが、ネズミはもう出ないみたいだ。トラムでSeestrasse駅まで行って、スーパーで食材の買物をする。部屋の掃除や洗濯をする。

3/6(水)
1月に一緒にゲッティンゲンに行った、大学院生の明日香さんと会う。プレンツラウアーベルクの花屋に併設されたカフェでお茶をしたのだが、なんと店内でオウムを飼っており、それが怪獣みたいな声で時々鳴く。その後、少し散歩。マウアパークの入口近くにある、東ドイツの雑貨が売っている店で、ティーカップを買った。引っ越しの多い生活だから食器類は買わないようにしていたけど、気に入った食器が家にあるというだけで気分が全然違う。

3/7(木)
務署に行く。オーバーハウゼン失業者バレエ団は、プロジェクト自体が「ダンスでお金を稼ぐ」というものだった。だから、トーマス自らが公的機関から下りた芸術助成金を元に、予算を組んで会計処理をし、出演者全員にギャランティーを出した。私も十分な出演料をいただいた。だが、ドイツで外国人としてお金を稼いだ場合、15%の税金を払わねばならないらしい。「税金番号」を取得して、確定申告をしていればその必要がない。こちらで確定申告! ずいぶんハードルが高そうだが、「税金番号」さえ取得すれば、ネットで手続きできるらしい。奈緒子さんの全面協力によって書いたドイツ語の申込書をポストに投函した。

LCBで再度、多和田葉子さんの『献灯使』朗読イベントがあったので、クリストフとエレナと行ってきた。今回はドイツのラジオ局主催のイベントであり、もちろんすべてドイツ語。多和田葉子さんと、日本学の研究者や作家やラジオDJのトークが繰り広げられたが、私はさっぱり分からない。打ち上げで少しワインを飲む。酔っ払ったのか、言葉が分からないせいか、帰りの電車で妙に悲しくなった。あと4ヶ月でビザが切れる。このまま日本に帰ったところで、何かを得られた実感は、まだない。確定申告なんかして、昼の間は「もしかして、このままドイツに住めるのではないか?」なんて良い気になっていたけれど、ビザが取れたとしても、お金が尽きたらそれで終わり。考えれば考えるほど心許ない。

3/8(金)
「国際女性デー」。今年から、ベルリンのあるブランデンブルク州では休日になったという。デモが行われたりしていたようだが、外に出る気にならず、家でこの日記の原稿を書いていた。

3/9(土)
ネルギーが切れてしまったのか、とにかく眠い。何もする気が起きない、というのはベルリンに来て初めてかもしれない。それでも、オーバーハウゼンで食べた美味しいアジを思い出して、Seestrasseの青空市場にアジを買いに行った。フライパンで塩焼きにしたらとても美味しかった。

3/10(日)
に出なくては、と思い、クロイツベルクの劇場「HAU」のダンス公演を予約した。雨が降る中、重い体を引きずって出かけたが、ダンスも音楽も好みではなかった。暗い照明の中で、ダンサーたちがマットやテントなどの小道具を組み立てたり外したりしている。どこもかしこも薄暗いので少し居眠りをしてしまった。

 

壁の記憶

3/11(月)
日アジを焼いて食べている。午後、ベルリン・ユダヤ博物館に行く。

有名な建築家ダニエル・リベスキントの設計した部屋があると、日本の友人が教えてくれた。上階ではエルサレムの特別展示をやっていて、それも一日では見切れないほど充実した内容だったが、地下のリベスキント設計の部屋はさらに印象が強烈だった。長い廊下の先に「ホロコーストの塔」という小部屋があった。そこは天井の高い小部屋で扉を閉めるとほとんど完全な暗闇になるのだが、天井に少しだけ光があり、外気が微かに入ってきていて、外の音も聞こえる。暗闇が身体に重くのしかかり、否応無しに収容所の中にいた人々のことを想像させられる。彼らの見た景色は、聞いた音は、肌に触れた空気の温度はどのようなものだったのかと。また、その感覚は決して共有できない、ということもこの部屋は教えてくれる。どんなに極限まで彼らの感覚に近づけようと設計されたとしても、勿論この小部屋は、収容所ではないのだから。一人の若い女の子が床に寝転がってずっとその部屋にいた。その友達が、外で辛抱強く彼女を待っていた。

じつはこの日の夜、ノイケルンのアパートに内見に行った。ネズミ問題で我を失っているときに人が紹介してくれたのである。カナダ出身の女性の部屋で、男性の同居人とシェアになるが、三ヶ月ぐらい住めると言う。良い部屋だったし、二人とも感じの良い若者だったけれど、もうネズミは出ないから借りる理由がない。Sumiにいちおう相談してみたら、当たり前だが、急に引っ越されると困ると言われたので、平謝りして断った。

3/12(火)
本人の友人たちと会う。歩きがてら、Hackescher Marktにある、「アンネ・フランク・ツウェントルム」を見学。小さなギャラリーだが『アンネの日記』に関する資料が豊富である。続いて近くにある「オットー・ヴァイト盲人作業所博物館」を見る。ここはかつて町工場で、工場主オットー・ヴァイトはナチ時代にユダヤ人を匿った。観光客の多い賑やかなHackescher Marktの片隅にこのようなギャラリーがあるのが、ベルリンの良いところだ。図らずもユダヤ関連の展示を見る機会が続いている。夜は友人たちを自宅に招いて、豚の角煮を作って食べた。

3/13(水)
本中が、電気グルーヴのピエール瀧が逮捕された、というニュースで持ち切りだという。他にもっと報道することがあるんじゃないか。厚労省の統計不正はどうなったんだ、そっちは犯罪ではないのか。日本の友人と大量のメールのやり取りをする。手塚夏子さんたちとテアターハウスミッテのスタジオに入る。相変わらず、日本人のダンサー三人と集まってボディワークの実験を続けている。このメンバーで、4月4日と5日に小さなショーイングをやることになった。

この日は「椅子を持ちあげる」と「人と握手する」という動作を繰り返し、二つの動作の間を移行する身体を観察する、というワークを行った。簡単なことだが、一定の緊張と集中が必要とされる。帰りにベトナム料理屋でフォーを食べた。

3/14(木)
び、クロイツベルクの劇場HAUに赴き、She She Popの公演『Schubladen』を見る。私ですら名前を聞いたことがある有名な演劇のグループで、よく来日公演も行っている。東と西で生まれ育った、女性ばかりのパフォーマーが、二人一組になり、生まれてからベルリンの壁が崩壊するまでの、それぞれの人生を語る、という構成の演劇だった。言葉の問題で、また話は全然分からなかったのだけれど、演出を見ると、自分が日本で見てきた、いわゆる「演劇」とそう離れてはいないように思った。少し懐かしい感じなのだ。音楽も、話の内容と時代を合わせたのか、コートニー・ラブのバンドHoleや、ローリー・アンダーソンなんか使って、ノスタルジックである。キャスター付きの椅子でフィギュアスケートの真似をしたりする。前衛の新味を求めて行ったはずが、90年代の日本に戻って芝居を見たような懐かしい気持ちになって帰ってきた。

3/15(金)

HKW(世界文化の家)というミュージアムで「Bauhaus Imaginista」という展示を見学。入ってすぐに、驚いた。バウハウスのデザインは、「cultural appropriation(文化の盗用)」であったと断言する説明書きを見つけたのだ。バウハウスのミニマムなデザインは、インドや南米、アフリカの工芸品、織物や陶器等の模様や形をデッサンする所から始まった。それら国々は当時ヨーロッパの植民地であり、アーティストたちにその意識はなかったが、明らかに「盗用」であったと。「バウハウスのデザインの、お洒落な家具とかお高いんでしょ?お金持ちの社長とかが買うのよね」という印象しかなかった私には衝撃であった。自国の加害の歴史に向き合ってきたドイツだからこそ、こういった展覧会ができるんだろうか。京都にも巡回した展覧会らしいが、日本でこの視点にリアリティを持つのはなかなか難しいのではないか。

展示は何部屋かに分かれていたが、「バウハウスが及ぼした影響」のコーナーに、なぜか70-80年代のバンド「ソフト・セル」が特別フューチャーされて、MVが流れまくっているコーナーがあったのが面白かった。バウハウスのメンバーであったオスカー・シュレンマーのバレエ作品のビデオも少し見ることができた(じつはこれが目当てだった)。ナイジェリアにあるという、バウハウス・デザインの大学を紹介するビデオも良かった。「アフリカ一美しい大学」と呼ばれる、明るく自由な雰囲気の学校のそこかしこで、民族楽器が奏でられる。アイディアを盗んだ現場に犯人が戻ってきたのだ。

夜、アレクサンダー広場で友人の麻衣子さんと待ち合わせ。ノイケルンのバーで日本の歌謡曲をかけるイベントをやっているというので一緒に行き、海鮮丼を食べる。マヤの働いているレストラン「ORA」が近かったので寄ったら、マヤがちょうど働いていて、テーブルを準備してくれた。以前も行った、ベルリンのあるブランデンブルク州の食材だけを使うお洒落なレストランだ。昔の薬局をリノベーションした内装で、今もハーブを分類する箱や薬瓶が店内に設えられている。麻衣子さんの友人ロバートもやって来て、果物のカクテルを飲みながら森の薫りのする繊細な料理を食べた。

昨日見たShe She Popを思い出して、西ベルリン生まれのロバートに、「1989年の壁崩壊の記憶はある?」と尋ねてみた。すると冗談好きの彼はこんなことを言っていた。「自分は6歳だったのであまり覚えていないが、『Uglyな(醜い)ジーパンを履いたやつが街に増えたな』と子供心に思った」。Uglyなジーパン、つまり80年代の青春アメリカ映画などで俳優が履いている、色落ち加工を施された白っぽいジーパンだ。「ケミカルウォッシュ」みたいなやつ。それに「後ろが長くて前が短い」髪型、つまり昔のプロレスラーみたいに前に段を入れて後ろ髪を長く伸ばした、時代遅れのヘアスタイルの大人を頻繁に頻繁に見かけるようになった。後で考えると、それが東ドイツ人だったと。

思わず笑ってしまったけど、考えさせられた。西ドイツと東ドイツとでは1989年まで時間の流れ方がまったく違ったのだ。当時の東ドイツ人は、6歳の男の子にまで「Uglyなジーパン履いてるなー」という目線を投げつけられながら、資本主義下での暮らしを始めたわけだが、だからと言って目まぐるしく変わる流行に追い立てられ、カネを稼いで消費する西側の生活が褒められるわけでもない。
私が子どもだった80年代、日本で「ダサい」という言葉が初めて誕生した。続く90年代は、ケミカルウォッシュや肩パッド、太い眉に赤い口紅など80年代の流行を思い起こさせる全ての物が「ダサい!」とこき下ろされた時代だった。小学校のクラスメイトが「あいつケミカルウォッシュ履いてる」という理由で、キツい虐めに合っていたのを思い出す。「ダサい」の検閲に引っ掛からないよう、私も含めた子どもたちは自分のジーパンの色の濃さを常に気にしていた。「ケミカルウォッシュに見えないかな?」って。

そういう悲劇を生み出した元凶は、「もっと物を買え」と大衆をせっつく資本主義の力だったと思うし、その荒ぶる力を強化したのは、たぶん冷戦時代の社会主義国家への敵意と募りゆく人々の不安だろう。2000年代には80年代リバイバルがあり、ケミカルウォッシュも肩パッドも太眉も赤い口紅も全て、「コーディネート次第ではお洒落」と表舞台に復活したが、では私の子ども時代のあの非情なまでの「ダサい」の検閲はなんだったのか。(冷戦構造が崩れたから何もかも等価値になったのか?)

ロバートの「uglyなジーパン」という言葉は可笑しかったけれど、「ケミカルウォッシュ」ごときで虐められていたクラスメイトを思い出すと胸が痛い。ベルリンの壁を生み出し、崩壊させた冷戦下の世界状況は、遠い日本の小学校のクラスにも影響を及ぼしていたのだろうか。いつだって痛々しい皺寄せが来るのは、一番弱い者たちの所なのだ。

 

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
ジャン・ユスターシュ特集 ‐映画は人生のように-
第一部:4月27日(土)~5月9日(金) 会場:ユーロスペース
http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000353
第二部:5月11日(土)、12日(日)、18日(土)、19日(日) 
会場:アンスティチュ・フランセ東京 
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1904270519/

ハワード・ホークス監督特集Ⅱ
2019年4月20日(土) ~ 5月24日(金)
http://www.cinemavera.com/
会場:シネマヴェーラ渋谷

*封切作品
2019年4月26日(金)公開
『アベンジャーズ/エンドゲーム』アンソニー&ジョー・ルッソ監督 https://marvel.disney.co.jp/movie/avengers-endgame.html

2019年4月27日(土)公開
『救いの接吻』『ギターはもう聞こえない』フィリップ・ガレル監督 http://garrel2019.com/

*公開中
『イメージの本』ジャン=リュック・ゴダール監督 http://jlg.jp/
『ハイ・ライフ』クレール・ドゥニ監督 http://www.transformer.co.jp/m/highlife/
『シャザム!』デビッド・F・サンドバーグ監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/shazam-movie/
『バイス』アダム・マッケイ監督 https://longride.jp/vice/
『魂のゆくえ』ポール・シュレイダー監督 http://www.transformer.co.jp/m/tamashii_film/
『ハロウィン』デヴィッド・ゴードン・グリーン監督 https://halloween-movie.jp/
『レゴ®ムービー2』マイク・ミッチェル監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/lego/index.html

【美術等展示】
国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
2019年2月19日(火)~5月19日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:国立西洋美術館

【書籍】
須藤健太郎『評伝 ジャン・ユスターシュ 映画は人生のように』(共和国) https://republica-annex.com/items/5caf6961686ee25a42293077
アンドレ・バザン研究会編『アンドレ・バザン研究 3』(山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所)http://cahiersandrebazin.blogspot.com/2019/03/3.html (一般流通なし/入手方法はこちら
クリスティン・ロス『もっと速く、もっときれいに 脱植民地化とフランス文化の再編成』(中村督 ・平田周訳/人文書院) http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b441101.html