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2019.09.06

「ダンス公演のサクラで踊る|アヴァンギャルド・フェスティバル|居候生活のはじまり 2019.06.16-06.30」

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

ダンス公演のサクラで踊る

6/16(日)
む所がなくなった件だが、テオの家に一ヶ月ぐらい住むつもりでいた。だが、インターネットで、6月25日から3ヶ月間住めるというクロイツベルクのアパート情報を見つけた。秋から日本人の知人の家を借りられる可能性があるから、テオの家を借りずに、こちらの3ヶ月の家を借りるとちょうどいい。アパートの主にメールを出したら、ぜひ貸したいと返事がきた。大幅に予算オーバーだが、この際仕方ない。いい加減くたびれたので、おしゃれで広いアパートを借りてゆっくり過ごしたいと思った。テオに話をしなければならない。

この日の夜、Dock11で、カセキさんとテオのダンス公演「SHEa:MAN」にサクラのダンサーとして参加した。本番中、「セーラームーン」の曲をきっかけにあたかも客が盛り上がって自発的に踊り出したかのように、ダンスに参加するという役回りである。でも「曲のこの箇所で階段の三段目で立ち上がって、こう台詞を言う」などなど、細かい演出を受けた。

受付を手伝った後、本番開始。構成は前回書いた通りだ。最後には演者も観客も会場外の中庭に出て、テオとカセキさんの振る舞うプラムやチェリーを分け合って食べた。

自分が参加した舞台の稽古や公演のことは文章に書きづらい。書くのを放棄してしまいたくなる。素晴らしい経験だったとか、楽しかったとか、言葉に起こすことに意味が感じられない。簡単に言葉にできるもんじゃない、とかそういうことでもなく、舞台の本番を思い出すと、私ではない、別の人格が踊ったり喋ったりしているように思うのだった。完全に他人事なので説明しづらい。

いつも舞台の本番のような気分で生きていけたらいいのになあと思う。先日、テオのダンスグループの皆と一緒にベルリンの街を踊りながら歩いたとき気持ちよかったのは、私たちが歩いた道が、日常と非日常の狭間の通り道であったからだろう。普段の景色が違って見えた。ずっとその中にいたら社会生活に支障を来すのだろうが。

いわゆるバラシ、公演の後片付けも手伝った。照明技師でもあるテオは、激しいダンス公演の後だというのに自ら巨大な脚立を操って照明器具を天井から外していた。これを舞台裏に運ぶのだが、非常に重いのだった。深夜に全て片付け終わった後、まだ営業していたピザ屋でピザを買って路上で食べた。「自分は二十歳の頃から似たようなことを続けているな」と思う。舞台の世界はベルリンでも日本でもあんまり変わらない。稽古があって、本番があって、バラシと打ち上げがある。それが全てで、シンプルだ。

躊躇したが、テオに勇気を出して「テオの家を借りるのをやめて、クロイツベルクの家を内見に行ってもいいか」と尋ねると、「もちろん、ユウコの好きにしていいよ!」と力強く即答された。「予想外のことは常に起こる。起きることにはすべて理由があるんだ」となんだかスピリチュアルなことまで言っていたのが印象的だった。

 

アヴァンギャルド・フェスティバル

6/17(月)
から部屋を貸しても良いという日本人の知人のアパートを内見したのだが、ご本人もあまり気が進まないようだったので、他を当たることにする。しかし、そうなると、わざわざテオの家を断った意味があまりなくなってしまった。熱波が来ているそうで、6月なのにものすごく暑い。屋根裏部屋の家にいられないので、近所の図書館で仕事。

6/18(火)
人についてきてもらって、クロイツベルクのアパートを見に行った。美術館スタッフの仕事をしている、ヘンリエッテという女性が貸し主の洒落た部屋だ。リビングと寝室とキッチンは別。広いバスルームに可愛らしいバルコニーまである。その場で借りることを決め、次回会うときに契約書にサインをする約束をした。ちょっと高いけれど、とりあえず秋まではここに住めるんだ、と安堵する。だが、この可愛らしい部屋が、これから約一ヶ月の過酷な「家なき子」生活を招く元凶となるのだ。

6/19(水)
20日にはスミの家を出なければいけなかった。そして21日から24日まで、クリストフとマヤと一緒に泊まりがけで音楽フェスに行くことになっていた。ヘンリエッテの家に引っ越せるのは25日。

荷物をどうしよう、そして24日の夜はどこに泊まろう。考えるほどに混乱してパニックになっていたら、ふと暑さのために開けっ放しだったドアを叩く音がした。隣の部屋に住んでいる若いカップルのうちの、テレサという女性のほうがいて、「開けっ放しだけど大丈夫?」と言う。「暑いから」と答えたら、テレサは「明日から7月頭まで旅行に行くので、部屋の植物に水をあげてくれないか」と鍵を渡してきた。代わりに部屋を好きなように使って良いと言う。無防備すぎないかと内心驚愕したが、テレサは平気な顔である。

ふと思いついて、「もうすぐ引っ越しをするのだが、20日から荷物を部屋に置かせてもらった後、24日の夜に一晩泊まっても良い?」と聞いたら、無邪気な笑顔で「いいよ〜」と言われた。

そんなこんなで、スミの家よりも少し広いテレサたちの家に、一日一回お邪魔して、20鉢ぐらいある植物に水をあげていた。平行して、少しずつ引っ越しの準備。テレサの家に段ボールを置いて、そこにスミの家から私物を運んできて、少しずつ詰めて行く。

本当に暑い。こんな地に足つかない、わけのわからない精神状態で音楽フェスに行って、帰って来てから引っ越しなんて、果たしてできるんだろうか。

6/20(木)
ロイツベルクのヘンリエッテの家に行って、そこを又貸しさせてもらう契約書にサインをする。帰って来てから、スミの家を徹底的に片付けた。借りていたシーツが破れてしまったので、新しいのを買ってきたりと雑事が山積みだ。

18:30から語学学校に少しだけ顔を出す。その後、ずっと楽しみにしていた演劇をVolkusbühneに見に行く。20:00スタートだったので大忙しである。

芝居のタイトルは「Das Bauhaus – Ein rettendes Requiem」といって、つい先日ライブを見たバンド、Die Goldenen ZitoronenのボーカリストSchorch Kamerunが演出を手がけた、バウハウス100周年記念に先駆けた演劇プロジェクトだ。

受付で身分証明書と引き換えに、ヘッドフォンを渡された。階段を上って行くと、劇場の外側でもう演劇が行われている。劇場後方の回廊に美しく装ったオペラ歌手がしずしずと登場し、歌う。演出家のSchorch Kamerunは、後方のブースで音楽家たちと演奏するが、その音楽はヘッドフォンを通して各々の観客の耳に届く。劇場の扉が開くと舞台にはおそらくバウハウスに所縁ある設計の建築物が林立している。観客は舞台に上がってその中を歩きながら、行われているパフォーマンスを見る。途中、Volkusbühneの若手研究生である10代の若者たちがまた劇場の外の廊下で、見事な歌とパフォーマンスを披露する一幕もある。クライマックスでは前出の女性オペラ歌手が舞台で朗々と歌い切る。その後、100人近くいるようにも見える出演者たちが、総出で舞台に登場して、Schorch Kamerunの歌と音楽に合わせて踊り回る。1920年代に活躍したバウハウスの振付家たちに関係のあるダンスなのかもしれない。以前に見たVolkusbühneの舞台に出ていた役者も数多く登場していて、前に演じていた役とは全然違う顔を見せていたのも、素晴らしかった。

カーテンコールの後は、観客とともにシャンパンで乾杯。私はもう、初めて都会に出てきたカントリーガールのように圧倒されっぱなしであった。

バウハウス100周年記念公演だからか、国からの予算が潤沢にあることが伺えたし、俳優の質の高さ(10代の俳優たちも素晴らしい!)、音楽の美しさ、そして巨大な舞台美術と映像と音楽を、平行してオペレーションできてしまえる、技術スタッフの力と言ったら、ちょっと想像を絶するものがある。そもそも、無線ヘッドフォンを観客に渡して生演奏で演劇をやる、だなんてアイディア、それだけで贅沢すぎる。しかも音楽はめちゃくちゃかっこいいし。最後のダンスのシーンは本当に夢みたいで、永遠に終わってほしくなかった。

6/21(金)
後の部屋掃除。半年以上暮らした、このWeddingの部屋とももう少しでお別れ(じつはこの後まだ一週間以上別れられないのだが)。
10時ごろ、マヤとクリストフとレンタカー屋の前で待ち合わせをして、マヤの運転でSchiphorstまで行く。Schiphorstというのは、ベルリンから車で三時間ほどの小さな町だが、ここには70年代から活躍するバンドFaustのメンバー、Jean-Hervé Péron(ジャン゠エルベ・ペロン)氏の家がある。ジャン゠エルベは、パートナーのカリーナ、娘のジャン゠マリーたちと共に、なんと自宅に毎夏、何百・何千人もの人を集めて「アヴァンギャルド・フェスティバル」という音楽フェスを開催してきた。庭にテントを張って宿泊させ、水や食事を用意し……あまりに準備が大変なので、フェスは今年で最終回となるらしい。そして今年はオフィシャルにチケットを売らずに知人だけのプライベートなフェスになるとのことだった。

車を駐車場に置いて、昼過ぎに会場にたどり着くと、広い庭ではすでに人々が思い思いに寛いでいる。エスニック料理やカクテルやソーセージの屋台が並んでいる。母屋の一階は食堂になっていて、投げ銭制のドリンクブースもある。右手の納屋ではもうライブの準備が始められていた。カリーナに、母屋の二階の宿泊所を案内された。クリストフが予約をしておいてくれたので、カーテンで仕切られ、きちんと支度されたベッドの上に「Yuko」と名札が添えられていた。

宿泊もライブも全て無料、だが各々がこの場所を楽しくするために力を出し合わなくてはならない、というのがこのフェスのルールだ。合い言葉は、「ユートピアは可能だ」。夏の日差し溢れ、花が咲く庭にまた戻ると、ジャン゠マリーがコーヒーマシンの横に立ち「コーヒーが入りました!」と声かけしている。手作りの美味しそうなケーキも並んでおり、好きなだけ食べて良いらしい。おとぎ話か夢の中みたいな非現実的な光景。

だが「ユートピアの維持には責任が伴う」というのもまたこのフェスの哲学だ。ジャン゠エルベたちは腕に「Help, Yes! Serve, No!」と書かれた黒い腕章を付けている。「サービスはしない」、サービス残業に疲れた日本人にぜひ教えてあげたい文句だ。トイレに入ると張り紙がしてあって、「使ったらブラシしてね!みんなトイレ掃除大好きでしょ?」とチャーミングな注意喚起がなされる。

ここで私は何をできるだろうか。クリストフはライブ演奏をする機材を持って来ていた。マヤは料理を作るらしい。「私は日本人らしく、おにぎりでも握ろうかな」と言ったら二人に賛成された。納屋で次々と行われる、参加者たちのライブを見たりして、その日は過ごした。皆んなビールを飲んだりしているが、酔っ払って暴れる人なんかいない。Faustをはじめとする音楽家たちの演奏も素晴らしい。なんだか自分がユートピアに相応しくない、つまらない人物なような気がした。私も音楽かダンスか、詩の朗読か、演劇でもできればいいけれど、即興でできるような持ちネタもないし、何も準備して来なかったのが悔やまれる。

6/22(土)
きて母屋のシャワーを浴びる。パンやスープの朝ご飯が出たが、食費はたった1ユーロ置けば良いらしい。昼前に、クリストフとマヤと車で近くのスーパーに行き、おにぎりの材料を買った。

午後、去年の夏にベルリンで出会った、フランス人画家の女性エマヌエルのパフォーマンスを見た。彼女がカラフルな絵の具で描いた、抽象画が母屋の二階のプロジェクターに映写される。横長の形をしたそれを「楽譜」として、ミュージシャンたちが絵を見ながらギターやパーカッションや管楽器を演奏する。観客も、鈴や笛などの楽器を渡されて演奏に参加する。ジャン゠エルベの孫や、近所の子どもたちもやってきて、和やかな雰囲気となった。

次々と行われるライブを見ながら楽しく過ごしていたが、夕方ごろ、クロイツベルクのアパートのヘンリエッテから携帯にメールが届いた。「アパートをあなたに又貸しするのに、大家の許可を取らないといけなくなった」と書いてある。「それって、アパートには住めないってこと?」と顔面蒼白で、クリストフに英語のメールを見せて聞いたら、「ただ『大家の会社からの返事を待て』って書いてあるだけだよ、落ち着いて」となだめられた。だが、気が気じゃない。中庭で思い切って詩の朗読か、演劇パフォーマンスでもしようかと思っていたが、全くそれどころではなくなった。

6/23(日)
ッチンで大量の米を炊いて、おにぎりを握った。アボカドサーモン味と梅干しのふりかけ味と二種類である。「これはスシ?」と皆んなに尋ねられ、「おにぎりだよ」と説明。作るのに時間がかかったが、食べられてしまうのは一瞬だった。

この日、仲良くなったサックスプレイヤーのキャシーが、「自分の持ちネタのパフォーマンス『サウンドマッサージ』を手伝ってもらえないか」と言ってきた。静かな小部屋に観客を集めて、一人ずつ椅子に座らせ、アイマスクで目隠しする。その耳元で、キャシーがプラスチックの板や鈴や木片などを使って、とても繊細で微かな音を聞かせる。私も一度やってもらったが、リラックス効果抜群なのだ。別世界へ連れて行かれたような感覚に陥る。

キャシーの私へのリクエストは、「サウンドマッサージ」を受けた観客の体を実際にマッサージしてくれないか、というものだった。マッサージのプロでもない私に、なぜキャシーがそんな依頼をしたか、記憶が定かではないのだが、皆が自分の特技を持ち寄ってシェアするこの場所で、「やるべき仕事をもらえた」ことが、とにかく嬉しかった。

だが、私が一人で観客全員にマッサージするのは重労働だ。それで、「以前、演劇の稽古のときにダンサーから習った、簡単なマッサージのやり方を私が観客にシェアするから、観客どうしでそれをやってもらうのはどうか」と提案した。一度やり方を覚えれば、皆んな家に帰ってからも家族にマッサージをしてあげられる。

2時間で20人ぐらいに、キャシーのサウンドマッサージ&私のボディマッサージのワークショップを行った。思った以上にエネルギーを使って疲労困憊したけれど、この場所で、やるべきことをしたという充実感でいっぱいになり、その後は俄然、気分よくフェスを楽しむことができた。

最後の夜は、余った食材とお酒を使っての大パーティーになった。中庭ではエマヌエルたちが、巨大なパエリアの鍋を焚き火で炊き、皆に振る舞った。夜8時を過ぎても、夏のドイツでは日が暮れない。犬たちが走り回り、子どもが遊んでいる。夢みたいに平和で美しい、おとぎ話のユートピアが本当に実現していた。この裏には、ジャン゠エルベと仲間たちの多大な努力がある。日本の人にこんな無料のフェスに行ったよと紹介しても、なかなか信じてもらえないかもしれない。緊張感と解放感が絶妙なバランスを取っている、あの場所の雰囲気は、体験した人にしか、分からないかもしれない。

 

居候生活のはじまり
6/24(月)
ェスの終わり。中庭で、御年70歳のジャン゠エルベが、自ら屋台を解体したり、ゴミを分別したりして活躍している。彼は、こういう作業がバンド活動に匹敵するほど好きだという理由でこの自宅でのフェスを始めたらしい。

出会った人々に別れを告げて、車でベルリンに戻る。この日から隣人、テレサの家に宿泊することに。テレサに「事情で次のアパートにまだ移れない。もう数日泊まってもいいか」とメールすると「7月2日に帰ってくるから、それまで何日でも泊まって!」とすぐに返事が。苦労の多いベルリン生活だが、こういう天使のような人が時々、いやかなり度々、現れる。天使たちの間を綱渡りして暮らして来たような感覚だ。植物に水をやって、テレサたちのベッドで眠った。

6/25(火)
ンリエッテの大家から、又貸し許可のメールは依然として来ない。語学学校の後、ダンサーのカセキユウコさんの家の食事会に顔を出す。ユウコさんの家は、以前不安に駆られて近所を闇雲に散歩しているときに見つけた、大きな橋の袂だった。

6/26(水)
気道に行く。終わってから友人と韓国料理屋で冷麺を食べた。

6/27(木)
レサの家の洗濯機を使わせてもらったら、ホースで排水するタイプの洗濯機で、なんと床が水浸しに。雑巾で懸命に水を拭き取って、なんとか現状復帰する。ホースの長さからして、お風呂の排水口には届かないし、普段どうやって排水してるんだろう。仮住まいしているアパートで万一水漏れでも起こったらと想像するとゾッとする。

WeddingのKamineというワインバーで、マーティンという映画や演劇を作っている友人と飲んだ。大きな中庭のある素晴らしい店だ。俳優や音楽家の仲間を紹介された。

6/28(金)
キュメンタリー映画監督のPeter ZachとWeddingのカフェで長々話し込む。ベルリンの演劇シーンのこと等、たくさん教えてもらった。

6/29(土)
変わらず、ヘンリエッテの部屋の大家からの返事は来ないようだ。月曜日には、テレサたちが帰ってくるので、Weddingの家を出なくてはならない。とりあえず、月曜日にヘンリエッテの家に、私の荷物をすべて運び入れさせてもらうことになった。

6/30(日)
温が40度を超えるという予報が出ていた。日本人の女性三人と、小さい赤ちゃんと一緒に、クロイツベルクのプールに行く。プールは大変な混雑ぶりだった。

帰り際に、プールの近くのいかにも地元の人しかいなそうな、古いKneipe(居酒屋)でビールを飲んだ。その後、クリストフから電話があってマヤの働いているレストランORAに行く。店員割引で、ストロベリーダイキリと、冷たいトマトのスープをご馳走してもらう。

7月2日にテレサたちが帰ってくるまでに、ヘンリエッテに大家からの連絡はあるのだろうか。泊まる所は探せばあるだろうが、今は返事を待つことしかできない立場なのがなんとも言えないストレスだった。

そんな折り、Deutsche Wohnenという不動産会社についての芳しくない噂を聞いた。現在、ベルリンでは地価が急騰しているため、Deutsche Wohnenをはじめとする大会社が、めぼしい不動産を買い占めては、家賃をどんどん上げて、問題になっているらしい。そういう大会社が所有するアパートに、10年20年前に契約した安い家賃で住み続けていると、又貸し(サブレット)許可を下ろさない等の厳しい対応がなされ、最終的に退去に追い込まれる人も後を絶たないとか。

そういえば、以前クロイツベルクのライブハウスに行ったときに、「Deutsche Wohnenの所有する不動産を取り上げて、公共の物にしよう」という署名運動を行っている人がいた。クリストフが珍しく意を決した表情で「僕は署名します!」と言うので、私もそこに名前を書いた記憶がある。全ベルリン市民の何%かが署名すると、本当に国が不動産を買い上げて公共住宅にできる、という法律があるらしい。

冗談半分でヘンリエッテに「大家はDeutsche Wohnen?」とメールをしたら、「そう。今、大変悪評高い会社だ」と返事が帰ってきたから気が遠くなった。これでは、とても引っ越しできそうにないじゃないか。

 

 

*本連載「ベルリン狩猟日記」は、次回にて最終回を予定しています。
「東京狩猟日記」から2年以上にわたり言葉にしていただいた千木良悠子さんの日々を、どうぞ最後までお見逃しなく。第一回は以下のリンクからもお読み頂けます。ぜひこの機会にいま一度、本連載を最初からお楽しみください。

東京狩猟日記 第1回 海底都市を泳ごう

ベルリン狩猟日記 第1回 ベルリンに到着/「迷惑メールをチェックして!」|住民登録・関税局・銀行口座開設/日本食ナショナリズム

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
第41回 ぴあフィルムフェスティバル
2019年09月07日(土)〜21日(土)
https://pff.jp/jp/
会場:国立映画アーカイブ

イメージフォーラム・フェスティバル2019
東京会場:2019年09月14日(土)〜09月23日(土)
http://www.imageforumfestival.com/2019/pre.html
会場:シアター・イメージフォーラムほか

*封切作品
2019年09月06日(金)公開
『帰れない二人』ジャ・ジャンクー監督 http://www.bitters.co.jp/kaerenai/
『アス』ジョーダン・ピール監督 https://usmovie.jp/
『荒野の誓い』スコット・クーパー監督 http://kouyanochikai.com/
『ロング・ウェイ・ノース』レミ・シャイエ監督 https://longwaynorth.net/

*公開中
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』クエンティン・タランティーノ監督 http://www.onceinhollywood.jp/
『火口のふたり』荒井晴彦監督 http://kakounofutari-movie.jp/
『ロケットマン』デクスター・フレッチャー監督 https://rocketman.jp/
『ライオン・キング』ジョン・ファヴロー監督 https://www.disney.co.jp/movie/lionking2019.html
『よこがお』深田晃司監督 https://yokogao-movie.jp/

【美術等展示】
話しているのは誰? 現代美術に潜む文学
2019年8月28日(水)~11月11日(月)
https://www.nact.jp/exhibition_special/2019/gendai2019/
会場:国立新美術館

あいちトリエンナーレ2019
2019年08月01日(木)〜10月14日(月・祝)
https://aichitriennale.jp/about/index.html
会場:愛知芸術文化センターほか4エリア

高畑勲展ー日本のアニメーションに遺したもの
2019/07/02(火) ~ 2019/10/06(日)
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/takahata-ten/
会場:東京国立近代美術館

映画雑誌の秘かな愉しみ The Discreet Charm of Film Magazines
2019年09月07日〜12月01日
https://www.nfaj.go.jp/exhibition/filmmagazines/
会場:国立映画アーカイブ

【書籍】
伊藤亜紗『記憶する体』(春秋社) http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-33373-0/
トーマス・ベルンハルト『アムラス』(初見基・飯島雄太郎訳/河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207834/
ウィリアム・ギャディス『カーペンターズ・ゴシック』(木原善彦訳/国書刊行会) https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336063717/