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2019.05.29

ベルリン狩猟日記 /千木良悠子
何もしないをする|「資本論」 でワイン|猫を触りに
2019.04.01-04.15

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

何もしないをする

4/1(月)
の紹介で、舞台演出家のMehdi Moradpourに話を聞けることになった。

この日は大規模なストライキがあり、Sバーン以外の電車やトラムがすべて運休。Sバーンとシェアリング自転車を駆使して、どうにか待ち合わせのカフェまで行ったのだが、待ち合わせに1時間ほど遅れてしまった。しかしMehdiは怒る素振りもなく、にこやかにベルリン演劇について話をしてくれた。

Mehdi は、Gorki劇場に所属しているイラン出身の演出家だ。ベルリンだけでなく、ヨーロッパの様々な都市で活躍中でオペラの演出経験もあるという。私に「今までベルリンでどんな芝居を見たか?」と聞くので、順に挙げていくと、彼はほとんどの作品や演出家を知っていた。私が少し前に「クンストヴェルケ現代美術センター」で特集展示を見て始めて知った、衝撃的な作風の舞台演出家Reza Abdohの話も出た。Mehdi はReza Abdohに大きな影響を受けたという。80-90年代のニューヨークで活躍して、95年に亡くなったReza Abdoh、最近まで、ヨーロッパではほとんど紹介されてこなかったそうだ。

「ここ10年ぐらいの間に状況は激変した。移民や女性の芸術家がヨーロッパでどんどん注目されるようになった」とMehdi は言う。私が、つい先日に観劇したルネ・ポレシュの、台詞の多い、劇中映像が多用される芝居にピンと来なかった話をしたら、Mehdi は「理解できる」と言ってくれた。「ルネ・ポレシュは偉大な芸術家で、自分もとても好きな作品がある。でも2000年代に彼らが創り出した『ポストドラマ演劇』に飽き足らなくなっている観客も増えている」。確かに、ルネ・ポレシュの演劇は、映像の歴史が男性目線で作られていることを解説するものではあったが、著名な白人男性のアーティストの新作を物わかりの良い観客が立派な劇場に着席して拝聴する、という構造自体に疑いを挟むことはできなくもない。私の感じた違和感は、(決してドイツ語が分からないからというだけじゃなく!)その辺りにあるのかもしれない。

見る者と見られる者の間には必ず何らかの上下関係が生まれる。あるときは偉大なアーティストとファンという「上と下」。あるときは河原乞食の芸人と、高みからそれを見物して楽しむ客という「下と上」。そもそも、人間である以上、他者と対峙すればそこには必ずや不均衡な状態が生じる。「男と女」「ドイツ人と外国人」「加害者と被害者」「愛する者と愛される者」。芝居の観客と演者の関係は、その不均衡な関係性の精巧な映し絵なのである。それをどう突き崩すか。

オーバーハウゼンの振付家トーマスは「ベルリンの演劇はかしこまっていてつまらないよ」と言っていたが、 Mehdiは「変化はあらゆる場所で起こっているよ!」と言う。どちらの話も興味深い。近くに住んでいるという Mehdi、自転車を押しながら最寄り駅まで送ってくれた。最近なんとなく距離を感じていたベルリンの演劇だが、この日Mehdiと話ができたことで、少し希望が湧いてきた。

4/2(火)
Theaterhaus Mitteで稽古。ショーイングは2日後に迫っていたが、まだ自分が何をやるかは決まっていない。手塚夏子さんに「何も思いつかないから、何もやらないことにしようかな」と言うと、「そもそもどういうモチベーションでこの稽古に参加しようと思ったのか」「他の参加者の表現に意見を言うことには積極的なのに自分では何もしないのか」と突っ込まれる。
私は演出や芝居の出演はするが、ダンサーでもパフォーマーでもない。15年近く前にパフォーマンスの劇団に所属していた頃、稽古の中で一人で何かやる機会が何度もあったから、できないことはないのだろうが、何も思いつかない。
今回のショーイングは、4人の日本人女性で、1日目は「ソロパフォーマンス」、2日目は「身体表現の実験」をやる、というのが趣旨であった。誰がディレクターでもない、自発的な集まりということになっており、形だけでも稽古場に参加できるということが有り難かったので通っていたが、他の3人はダンサーで、私とはバックグラウンドが違う。なんとなく、グループのメンバーや、まとめ役を担っている年長者の手塚夏子さんに「忖度」して、「空気を読んだ」パフォーマンスを考えようとして、それで萎縮していたのかもしれない。
(奇しくも、夏子さんの今回のショーイングのテーマが「忖度」であった。彼女は原発やオウム事件などタブーに触れる出来事が起こったとき、日本の人々が社会集団に「忖度」し、タブーについて発言しなくなる、という事象に興味を持ち、それをテーマに作品を作っていた。そんな私たち、日本のアーティスト集団の中にすら「忖度」はいつのまにか入り込んでいたのだろうか。私たちはいつも率直に、フレンドリーに話し合っていたはずなのに、忖度なんか生まれる余地がどこにあったんだろうか。)

「ここでパフォーマンスなんてしたくない」、不遜な言葉が頭に浮かんだときに、「じゃあ2日めの『実験』では『何もしないをする』をしよう」と思いついた。思いついたら後は早い。翌日の稽古で披露することにし、帰り道に、もう一つのソロパフォーマンスの題材も思いついた。家で試しにソロパフォーマンスの練習をやってみたら、全身に力が込めてやりすぎて、体は痛むわ、頭は酸欠だわでフラフラになってしまった。それでも明日と明後日の二つ、やることが決まった。

4/3(水)
気道の稽古に行ったら、会ったことがない日本人の男性が三人、習いに来ていた。挨拶をしようとして、自分の声が小さく高くなり、背筋が丸くなるのが分かった。

「『女がいる』と気づかれたら困る。目立ってはいけない、大人しく淑やかにしていなければいけない、さもないと社会的な制裁を受ける」という考えが腹の底からムクムクと湧いて出てくる。私の頭の中で誰かが妙なことを喋っている!? 強調しておきたいのだが、その日に出会った日本人の方々は全員、とても親切なジェントルマンであった。そんなこと考える私のほうが失礼だよ、と葛藤する。私は日本でそんなに虐げられてきたと言うのだろうか。自分でも信じられないが、確かに胴着を着た複数の日本人男性を見た瞬間に、小さな恐怖が湧いた。ベルリンに来てから数ヶ月、頭によぎることもなかった「女として見られませんように。見逃してもらえますように」という考えとともに。

なんなんだこれは。

午後、Theaterhaus Mitteで稽古。「何もしないをする」を実験してみたら思いのほか評判が良かった。ソロパフォーマンスも披露する。これは、私が個人的に抱えている問題を開示する内容なので大変に緊張した。なんとか終えた後、やっぱり頭痛はするわ吐き気はするわで散々であったが、ともかくもつい昨日までモチベーション0であった所から、いきなりやりたいことを二つも達成したので、充実感で満たされた。

4/4(木)
ョーイングの第一日目。私がやったのは「青い玉を胸の中から出す」という妙なパフォーマンスだった。

大学を卒業したばかりの頃、もう15年ぐらい前に少し付き合った人が、大学時代の同級生だったが、アルコール依存症だった。幾度か恐い目に遭った末、ある夜に別れたいと持ちかけたら、その男は激昂して、商店街の物陰に私を引っ張って行って、首を絞めてきた。

力を加えたり緩めたり、私が意識を失わないようにコントロールをされながら、20分ぐらい締められていたと思う。大声でも出せれば良かったのだが、睨みつけることしかできなかった。恐怖や苦しみを感じるよりも、こんなことは間違っているという怒りが先んじて、自分よりずっと背の高い相手を睨んでいたので、そこから逃れることを忘れた。可哀想だとも思った。暴力を振るっているときの男の表情はひどく弱々しくも見えた。相手を観察し、哀れむよりも、先にせねばならなかったのは、自分を守ることだったのに、私は決定的に間違えた。

翌日からその男からメール一本でも入ると動悸がして胸が苦しくなった。そのことを伝えると、意外とあっさりと別れてくれ、体調もすぐに戻った。だがそれから数年後、また他の事件をきっかけに胸の痛みは慢性化するようになった。胸の真ん中に、青い楕円形のガラス玉のような冷たいものが入っている、という妄想が頭から離れなくなり、時折、それがしくしく痛むのである。心療内科などで相談したこともあったが、妙に眠くなる薬をくれたりするだけで、私の場合は助けにならなかった。

透き通った綺麗な青い、楕円形の玉のイメージで、別に醜いものじゃない。ただ胸の中、喉の奥あたりに冷たくつかえている感じがして、それが実際に苦しいのだ。15年以上もつかえっ放しでいるこの玉について、観客の前で説明をしてから、出して見せるパフォーマンスをやろうと思った。ただ出す演技をするだけだと面白くないから、青い透き通った玉のイメージに近い物を自分の周りにぐるりと置いて、胸の中にあった玉が現実に存在する物、「お土産」みたいな物品に変化する、それを観客に差し出して貰ってもらう、という構成にしようと思った。

近所をぶらついていたら、ちょうどイースターの時期で卵型のプラスチッックケースが売っていたので、それに青い絵の具で色を塗った。他に青い入浴剤やキャラメル、ペットボトルの蓋、紅茶のティーバックなどを用意して、観客に貰ってもらうことにした。私の妄想の中にしか存在しない青い玉だが、人に貰ってもらえると思えば、喉からぽろりと取れるのかもしれなかった。

その日の夕方ごろ、Theaterhaus Mitteの薄暗いスタジオで、ソロパフォーマンスを行った。富松さんと手塚さんが各々の発表を行った後、三番目だった。観客に輪になってもらい、計画通りに、喉に詰まった丸い玉を口から吐き出す、吐き出したものをお土産に変えて観客に渡す、というパフォーマンスをした。

観客の反応は微妙で、感想を求めたが皆、言葉に迷っていた。トランスジェンダーらしき観客が一人、「私も日ごろから、『自分は夜空の月になる、ならなければいけない』という妄想を抱えていて、そのテーマでダンスを作っているから、あなたの表現に勇気をもらった」と発言してくれた。

もう一人、日本人の男性に「渡されたお土産を不気味に感じて、受け取りたくないと思った」という感想をもらった。私はどちらかというと喜んでほしかったから、観客一人一人との関係性を丁寧に構築しながら、心を込めて渡していくプランを立てていたのに、彼に対しては失敗したわけだ。私が「ドラゴンボール」の「ナメック星人」みたいに口から架空の青い玉を吐き出そうとして体を震わせ、地団駄を踏む様子は、さぞ不気味だっただろうから、恥ずかしかった。私自身は、過去に嫌な経験があるからといって、あらゆる日本人男性を憎んだり嫌いになったりはしていないと思う。でもこの感想がたまたま日本人男性から出たことに苦い思いがした。

この日行った「青い玉」のパフォーマンスが、自ら望んで行ったものなのかは、よく分からない。Theaterhaus Mitteで一緒に稽古している他の3人の日本人女性に影響されて、押し出されるように出来上がったものかもしれない。稽古のたびに彼女たちが自らの過去の経験の傷や不安を口にするから、「私にだってトラウマあるよ、誰にだって癒えない傷はある」と言いたかったのだろう。人前で自分の古傷を晒して表現をしたことが、今後自分の身体感覚に良い結果をもたらすのかどうかも、分からないけれど、前日の稽古の後ほどの疲労はなく、爽快な気分だった。ともかくも、今までやれなかったことに全力で挑戦したことは確かだった。

4/5(金)


ても天気が良い。Theaterhaus Mitteの近くの川沿いの公園で日光を浴びてスタジオの開く時間を待った。

ショーイング2日目のこの日、私は「何もしないをする実験」を行った。

まず観客に、「自分は今日、人前で何もしたくないと思っている」と説明した。「だから何もしないことを目指します。もし私が何かをしていたら指摘してください。たとえば『座ってるね』とか『目をつむってるね』とか。その中で、どこまで何もしないでいられるか実験します」。

そう言って、いつも家でゴロゴロするときに着ているフリースのパーカを羽織って、スリッパを履いてスタジオの真ん中に寝転がった。観客は英語や日本語で「呼吸してる」「足を伸ばしてる」「腕を曲げた」「立った」「走った」「止まった」「私の言葉に反応した」等々、何もしないはずの私がやっていることを指摘し始めた。続けていると、だんだん、その場から消えて、居なくなりたくなる。「何もしない」と自分から望んだはずなのに、観客から「何かしてるじゃないか」と指摘されると、その場にいるだけで悪いことをしている気持ちになる。私はフリースを脱ぎ捨て、床に転がり、何度も床から跳び上がっては、カーテンの奥に隠れた。それでも私は人前から「隠れて」いる。何もしたくないはずなのに、どうしても何かをしてしまう。隠れているのが嫌になり、出てくると、また観客からの指摘が始まる。根比べのようになる。

二十分ぐらい続けていただろうか。観客が私の行動を指摘する声が次第に耳に入らなくなってきた。確かに私は、足を折り曲げ、腕を突き上げ、その場に回転してはまた止まり、のたうち回っている。観客の言葉ははじめ、「何もしたくない」と言いながら「何かをしている」私を糾弾するもののように感じられた。私は言葉にコントロールされ、言葉から逃げ出そうとして「居なくなりたい」と願っていた。だが、私の体は私の思いとは無関係にここにある。

動き続けて、自分の体の動きのほうに集中が高まるにつれて、こちらを見ている観客と私の体との間に一枚のフィルターが生じたような感覚が引き起こされた。それまで、私を糾弾する恐ろしい存在と思われていた観客が、怖くなくなり、彼らのほうに体を開いて向き直ってみたい気持ちが沸き起こった。近くに立ち、なんとなく片脚を上げながら観客一人一人の目を順に見て行くことができた。「片脚が上がっている」と指摘する声も、別に自分を糾弾しているようには思われない。彼らの視線を受け入れられる、という自信が少し湧いた。目の前にいる人たちのことが好きだという気持ちも生じてきた。

私たちは、別にコントロールする立場とされる立場に分かれて虐め合わなければいけないわけではなく、シンプルに対等な人間どうしとして、同じ時間と空間の中でただ過ごしていれば良いのだ。最初に固執していた「観客にコントロールされてしまう」あるいは「観客をコントロールせねばならない」という思考の枷がほんの少し外れた所に「他人を受け入れたい」と願う平和な心があった。

特別なことはせずにただ片脚を上げている私を、観客は平常心で受け入れていた。「何もしない」で、私たちはただその場にいた。

上げた片脚を下ろそうとして少しよろけた。そのまま一回転したとき、「ここで終われるな」という感覚があったので、お辞儀をして「終わりです」と言った。拍手が起こった。

手塚さん、富松さん、多田さん、そして私、4人がそれぞれのパフォーマンスを終えた頃はもう夜10時近かった。観客と感想や意見を交換してから、スタジオ近くのケバブ屋で小さな打ち上げをして帰った。一ヶ月間の懸案事項だった、二つのソロパフォーマンスを終えられ、ホッとしていた。

 

「資本論」 でワイン

4/6(土)


ンブルガー・バーンホフ現代美術館で「How to talk with birds, trees, fish, shells, snakes, bulls and lions」という自然と人との関わりをテーマにした特集展示を見る。アメリカの黒人画家Jack Wittenの展覧会もやっていて、素晴らしかった。特集展示「Der Elefant im Raum」も良くて、マリーナ・アブラモヴィッチの作品のビデオを見ることができた。アブラモヴィッチが、数十時間だったか、観客の前で延々と踊り続けたパフォーマンスの最後の数分を映した白黒ビデオだった。彼女が失神して倒れたところでビデオは切れていた。
午後は合気道の稽古へ行った。

4/7(日)
気が良いので、田中奈緒子さんと公園でピクニックをする。おにぎりや卵焼きを作って持って行き、芝生の上で食べながら延々と話をした。先日のショーイングの感想を皮切りに、ずっとアートの話題ばかりで、たぶん五六時間は平気で喋っていたと思う。公園には人が大勢いた。やっと訪れた春の日曜日を皆喜んでいるようだった。

4/8(月)
書館で演劇の企画書を書く。自分で演出する舞台の企画だ。まだ実現するかは分からないが。午後、友人とWeddingのカフェで会う。家の近所に、桜並木が綺麗な場所があるのでそこまで行って散歩した。なんでもベルリンの壁が崩れたときに日本の企業が贈呈した桜の木だそうだ。

4/9(火)
フォルクスビューネ劇場で演劇「Coming Society」を見る。観客と演者とでVRの世界に一緒に入り込む、という趣旨の芝居だ。観客は開演と同時に舞台上に全員誘導され、間近でゲームの登場人物のような異世界のメイクや服装をした俳優たちの動きを間近で見る。彼らは、観客たち自身の「アバター」という設定らしい。上演中、ずっと舞台が回転し続けるので少し酔ったが、面白い試みだと思った。

夜、クリストフに誘われ、ノイケルンのバー「Das Kapital(資本論)」 でワインを飲む。なぜそんな名前かというと、店があるのが「カールマルクス広場」だから、それにかけた洒落なのだ。特に活動家が集まるわけでもないらしい、カジュアルで居心地の良いバーだった。

 

猫を触りに

4/10(水)
前中は、合気道の稽古に参加。それから、ドイツ映画研究者の渋谷哲也先生、大学院生の明日香さんとランチを食べる。渋谷先生はこの春、一年間のサバティカル(長期休暇)で日本から来たばかり。春のドイツの名物料理「シュパーゲル(白いアスパラガス)」を食べた。その後、カント通りの「Schwartzes Cafe」でお茶を飲んでから、春のティーアガルテンを三人で散歩。ブランデンブルク門までかなりの距離を歩いた。

4/11(木)
ショーイングが終わって時間ができたので、また語学学校に通うことにした。幾つかの学校を訪問して案内を貰う。結局、プレンツラウアーベルクの大きな語学学校の夜のコースに通うことにした。庭が広くて綺麗だったので気に入ったのだ。

4/12(金)
朝、学校のクラス分けのためのオンラインテストを受ける。とても難しく、5月からの授業について行ける気がしない。今までの復習をしてから通おうと思う。午後はまた合気道の稽古に行った。

4/13(土)
人の麻衣子さん宅で夕食をご馳走になる。ベルリンで新鮮な魚を手に入れるのは難しいのだが、市場でマグロやサーモンを買って、刺身にして出してくれた。二人でワインを2本開けた。

4/14(日)
曜日でクリストフの仕事が休みなので、ノイケルンの家に遊びに行く。頼んで、なるべくドイツ語で会話をしてもらった。多少は会話が成立するのが楽しい。

4/15(月)
居の企画書を書く。午後は友人の飼っている猫を触りに家に行った。猫は急な訪問者に怯えて逃げるばかりだったが、猫欲が少し満たされた。私は日本でも猫を飼っているので、時々猫が触りたくて堪らなくなるのだ。

 

<編集Tの気になる狩場>

【映画】

ヴァカンス映画特集
2019年06月07日〜07月14日
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1906070714/
会場:アンスティチュ・フランセ東京

EUフィルムデーズ2019
2019年05/31 (金) 〜 7/28 (日)
https://eufilmdays.jp/
会場:国立映画アーカイヴ(東京)ほか、京都・広島・福岡にて開催

 

*封切作品
5/31(金)公開
『アナと世界の終わり』ジョン・マクフェール監督 http://anaseka-movie.jp/
『オーファンズ・ブルース』工藤梨穂監督 http://orphansblues.com/

6/8(土)公開
『7月の物語』ギヨーム・ブラック監督 https://contes-juillet.com/
『慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ』チャン・リュル監督 https://apeople.world/gyeongju/

公開中
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督 http://moviola.jp/nypl/
『マルリナの明日』モーリー・スルヤ監督 https://marlina-film.com/
『ドント・ウォーリー』ガス・ヴァン・サント監督 http://www.dontworry-movie.com/

【美術等展示】
ジョン・ルーリー展 walk this way
2019年4月5日(金)~7月7日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:ワタリウム美術館

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime
2019年06月12日~2019年09月02日
https://boltanski2019.exhibit.jp/
会場:国立新美術館

【書籍】
サミュエル・ベケット『モロイ』(宇野邦一訳/河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207698/
フェルナンド・ペソア『アナーキストの銀行家: フェルナンド・ペソア短編集』(近藤 紀子訳/彩流社) http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2599-7.html
瀬畑源『公文書管理と民主主義: なぜ,公文書は残されなければならないのか』(岩波書店) https://www.iwanami.co.jp/book/b452002.html