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ダンスの稽古|二都市を行き来する|湖畔の朗読会
2019.02.16-02.28

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

ダンスの稽古

2/16(土)
曜日の稽古場は、トーマスの家の近所にあるDruckluftという公営の体育館だ。3月2日の公演本番の会場もここである。昼過ぎから19時近くまで稽古をした。Druckluftの奥の部屋は音楽スタジオになっていて、ドラムセットやキーボードやアンプを自由に使えるというから驚く。

この日も、前回トーマスが出した課題に従って稽古をした。

「出演メンバー一人一人が、宇宙からオーバーハウゼンにやってきた『神様』だと想定する。あなたはなぜ故郷の星を出て、この町にやってきたのか。何が得意で、この町でどんな仕事をするつもりなのか。『物語』を考えると同時に、それに合った『動き』を創ること。その『動き』は、ほかのメンバーに伝達・共有が可能な、シンプルで短いものであることが望ましい」。

まず各自が動きと物語を練るための時間が与えられた。その後、音楽スタジオスペースで各自がそれを発表した。皆が持ち回りで楽器を即興で演奏する中、メンバーの一人一人が、マイクに向かって物語を話しながら、ダンスをする。楽器を弾かないメンバーは、語り手と一緒に踊る。楽器を弾くのは初めて、というメンバーも多いから、演奏はむちゃくちゃだけれど、とりあえずやってみようの精神で恥ずかしさをかなぐり捨てて、演奏し、踊る。

適当に踊っているとすぐ体が辛くなるのだが、今までの稽古でトーマスから習った、体の関節や筋肉の構造を思い描きながら、それをヒントに新しい動きを次々に考案して、とにかく途中でやめないで踊るようにした。「体は苦しいが踊り続ける」というこの状況に似た辛さは、人生で幾度も味わった気がするが、新しい動きを作ってみよう、クリエイティブであり続けようとすることで、なぜかポジティブなエネルギーに変わる。不思議だ。

また、周りにいる他のメンバーたちは、それぞれ私自身と似た筋肉や関節の構造を持ち、同じ踊りを踊ったりするわけだが、もちろん別々の人間であり、それぞれの生理に従って動いている。そのことにも新鮮な驚きを覚えた。これらの知見は、私が踊る中から自分で発見したのかもしれないが、同時に振付家トーマス・レーメンからの暗黙のメッセージを受け取ったのかもしれなかった。
稽古後、メンバーのヤンとハートムットが夕食を食べに家に来た。トーマスが牛肉のスープを作り、鮭の頭をオーブンで焼いて出してくれた。

2/17(日)
っと稽古休み。晴れていて暖かかったので、庭に机と椅子を出して昼食を取る。トーマスが目下のプロジェクトに関する悩みを語っていた。

今回13人のメンバーが参加しているが、そのうち半数は、アートに元々興味があったり、ヨーロッパのアート教育を受けている人間だ。ポーランド出身のゾニアやトルコ出身のデニツは、トーマスの出した課題を理解し、その上で自分の表現したいイメージを言葉を使って説明できる。ドイツ出身のヤンや中国出身のチュンは、ドイツの芸術大学を出ているアーティストで創作経験も豊富だ。

一方、半数はアート教育を受けていない移民や難民で、彼女らはドイツ語の理解力のレベルもまちまちだし、何より稽古や公演に対する考え方に私たちとズレがある。シリア出身のロザンやコソボ出身のファティメ、イラン出身のゾーレたちに、「これは『参加者に給料を支払ってダンスを作る』というプロジェクトだから、稽古も公演も『仕事』だよ、休まれたら困るよ」と言っても、彼女らは育児や仕事を理由に稽古を休むし、トーマスの課題に追いつけなくても全く焦る様子がなく、むしろ朗らかだ。

「彼女らは紛争地から移民、難民としてやって来た。故国とドイツではアートに対する考え方も違うだろう。だからといって、ドイツの文化を無視していいというわけではない。ドイツは移民を多く受け入れているが、その背景には、大企業が安い賃金で雇用できる労働力を欲している、といった事情もある。自らの『無知』に自分で気づくことは誰しも重要で、それは彼女らのドイツ生活にも直接関わってくることだ」。

そこまで考えていながら、トーマスは稽古で彼女らに「これをしろ、あれをしろ」と直接的な言葉で指示することは、極力避けている節があった。相変わらず稽古の始めにはお茶を用意して、メンバーのお喋りや悩みに耳を傾けている。進行の遅れに焦りつつ「自発的に参加するのでなければ意味がない」と堪えているようだ。

そんな真剣な話をしている最中も、春の庭はさながら天国のような光景であった。光り溢れる芝生の絨毯にクロッカスの花が顔を出している。二羽の蝶が追いかけ合って遊び、木の枝で鳥が鳴いている。

夜、トーマスの友人クラウスが、近所の人々のために夕食を作ったというので、家の裏の集会所で、二十名近くで食べた。グスタフ通りでは、こうして定期的に誰かが料理をして夕食会が開かれるらしい。

ちょっとエスニックな味のシチューに米が添えられた料理だった。料理したクラウスは、私と奈緒子さんが米の炊き加減に満足したか、ちょっと気にしてくれていた。でも日本米ではなくて細長いインディカ米だったから、私たちにとってもこの日のディナーはいわば「外国料理」だ。「もちろん大丈夫、美味しかった!」と笑顔で答えたけれど、「これは私たちが日本で食べているお米とは違う」と伝えた方が良いのか一瞬悩んだ。最近分かってきたのが、多くのドイツ人にとって日本やアジアはとにかく遠い異国なのだ。私たちにとって当たり前のアジアの知識は、ドイツ人にほとんど共有されていなかったりする。私や奈緒子さんの好みを気にして料理してくれたクラウスの気持ちを思うと言い方が難しく、けっきょくお米の種類には触れずに家に戻ったが、日本での「常識」がどれほど狭い範囲でしか通用しないものか思い知る機会は多い。

家でトーマスと奈緒子さんと三人でテレビを観た。「Tartort」は日曜のドイツのお茶の間に欠かせないテレビ番組で、新作のサスペンスドラマが毎週、放映される。月曜日の朝はテレビもラジオも「Tartort」の話題で持ちきりだそうだ。お菓子とお茶を用意し、毛皮の上に毛布を敷いて三人でくるまり、鑑賞準備万端で放映時間を迎える。熟年の刑事が主人公だが、彼が犯人を捕らえようとするたびに時間が巻き戻る、というSF仕立ての、ちょっと哲学的な要素も混じったストーリーで、とても面白かった。

 

二都市を行き来する

2/18(月)
古休み。近くのスーパー「Aldi」に買物に行く。トーマスが、私のためにマットレスを買ってくれた。今までヨガマットの上に毛皮とシーツを重ねて敷いて寝ていたのだが、これで本当に自分の部屋のように快適になった。

午後、奈緒子さんと自転車でKaisergartenという動物園に散歩に行った。羊やロバや山羊や豚、アヒルに鴨にフクロウ。孔雀が見事な羽を広げる姿に魅入られた。

夜は庭で小さなバーベキューをした。トーマスが火を焚いてくれて、網で大量のエビを焼く。奈緒子さんと私で、エビの殻や頭まで争うようにして食べた。隣人の自転車屋さんにも声をかけて一緒に食べたのだが、日本人の魚介に対する執着心にさぞかしギョッとしたことだろう。

2/19(火)
ベルリンのクリストフから、25日の朗読会で読む小説「甘夏キンダガートン」のドイツ語訳原稿が送られてきた。私が20歳ぐらいの時に書いた懐かしい短編だ。小説の大部分はクリストフが読むのだが、せっかくの朗読会なので、私も主人公の台詞の部分だけドイツ語で読むことになっていた。クリストフが私の担当部分を読んだ声をメールで送ってくれたので、聞きながらドイツ語の練習をする。全然うまく読めない。何度読んでも絶対につっかえてしまう。

平行して、ダンスプロジェクトのほうの自分の場面についても考えなくてはならない。「なんでもイヤの神」を演じることは決まっていたが、次の稽古ではその神様にまつわる物語を発表することになっていた。パソコンの前で頭をひねって短い文章を書いた。クリストフに送ったら、ありがたいことにすぐドイツ語訳して送り返してくれた。こんな文章だ。

私は「なんでもイヤ」の神様、と呼ばれています。
ご飯もいや、お風呂もいや、寝るのもいや。
私の故郷の星では自己主張がなく、「なんでもいい」と受け入れる人だけが偉くなれました。でも私は、なにをするのも嫌がるワガママな神です。逮捕されて、殺されそうになりました。そこで鳥に変身してオーバーハウゼンに逃げてきました。
私が踊ると、周りの人も踊りたくなります。
時々は、現状にノーと言うことは必要ですし、ワガママになるのも楽しいものですから。
私は、日常に退屈しているオーバーハウゼンの人たちの心に楽しい変化を与えます。
皆さんも一緒に「なんでもいや」の踊りを踊りましょう!

 

Man nennt mich die Göttin gegen alles.
Gegen Essen, gegens Duschen, gegens Schlafen.
Auf meinem Heimatplaneten, haben Ja-Sager ohne eigene Meinung den meisten Erfolg. Aber ich bin eine egoistische Göttin, die zu allem nein sagt. Ich wurde verhaftet und wäre beinahe getötet worden. Da habe ich mich in einen Vogel verwandelt und bin hierher nach Oberhausen geflohen.
Wenn ich tanze, dann wollen auch die Leute um mich herum tanzen.
Manchmal muss man ja auch zu etwas nein sagen, und es kann Spaß machen, egoistisch zu sein.
Ich bringe den vom Alltag gelangweilten Menschen in Oberhausen spannende Abwechslung!
Los, tanzen wir alle den Tanz gegen alles!

 

2/20(水)
前中は稽古。「gegen alles(ゲーゲンアレス=なんでもイヤ)の神」の物語はなかなかに評判が良かった。私のドイツ語の発音がやはり聞き取りづらいようだったので、トーマスに文章を読んでもらって練習用に録音した。午後は発音を練習しつつ、多和田葉子さんの「献灯使」を読む。

夜、グスタフ通りのクラウスのパートナー、モニの誕生日会に行く。クラウス夫妻はこの界隈のリーダー的存在だそうで家は来客でごった返していた。パーティーの最中、トーマスとその仲間たちが、ドイツの諺のカードゲームに夢中になっていたのが面白かった。カードに描かれた絵を見て、それに合う諺を思い出すという単純なゲームなのだが、50代の男性たちがそれに夢中になって一喜一憂する姿に健全だなあと感心した。私がドイツ語が分からないせいかもしれないけれど、日本のお酒の席でパもっとドロドロした噂話やセクハラが横行する場面をたくさん見てきたから、なんとも爽やかに見える。「教会のネズミのように貧乏だ」なんて諺を思い出せるかで、こんなに盛り上がれるなんて。

帰宅後、トーマスと奈緒子さんと衣装の会議をした。トーマスはアメリカのバンド「サン・ラ」のイメージがヒントになりそうだと言う。三人でまたトーマスの部屋の毛皮の上に寝転がり、サン・ラ主演のSF映画『スペース・イン・ザ・プレイス』を鑑賞した。

私はサン・ラの音楽は知っていたが、彼らの提唱する「アフロフューチャリズム」という考え方について全然知らなかった。トーマスの説明によると、サン・ラのメンバーはアメリカの黒人たちであるが、バンド結成当時1950年代のシカゴには今以上に黒人の居場所などなかった。そんな中、リーダーのサン・ラは「我々の居場所は宇宙だ(Space is the Place)」と宣言し、宇宙から来たバンドという設定でライブ活動を始める。そのコスチュームは宇宙人を思わせる奇妙奇天烈なものだが、同時に彼らのルーツであるアフリカのモチーフが存分に取り入れられている。

確かに今回の「オーバーハウゼン失業者バレエ団」プロジェクトと、バンド「サン・ラ」の結成の物語はよく似ている。最初、トーマスが「衣装のイメージはサン・ラ」と言ったときには「あそこまで派手にしたいの!?」としか思わなかったが、深い意味があったとは。(私が無知なだけかもしれないが、海外のアート、特に音楽に関して、日本ではあまりにも歴史的文脈が共有されていないんじゃないかと改めて思う。)しかし、本当にサン・ラをやりたいとしたら、コスチューム制作の手間は相当なものになりそうだ。くたびれたトーマスが先に寝てしまった後、残された奈緒子さんと私とで「どうしよう」と頭を抱えた。

2/21(木)
の日は午前と午後、両方稽古があった。とにかく「gegen alles(ゲーゲンアレス)の神」の台詞を覚えないとどうにもならないが、これが難しい。日本語の台詞覚えは早い方なのに、今まで使ったことのない言葉を覚えるというのは苦行に近い。

休憩時間に奈緒子さんたちと近くのケバブ屋でファラフェルを食べてから、お気に入りの喫茶店「カフェバウアー」へ行って衣装の相談をする。とりあえず近くの布屋で布を買うことになった。金や銀や蛍光色、ラメ入りなど、「サン・ラ」や宇宙のイメージに近いと思われる布を何枚か購入する。

午後の稽古の後、もう誰も料理をする気力がないほどくたびれたので、スペイン料理屋で夕食を取った。私がラム肉を注文して「美味しい!」と興奮していたら、トーマスの目がきらりと光り、「悠子はラムが好きか?」と訊く。好きだと答えると、奈緒子さんが「来週はラムのおもてなし地獄になるかも。覚悟したほうがいい」と言う。トーマスは常軌を逸したおもてなし好きなのだ。

2/22(金)
前中だけ稽古。ナイジェリア出身の女性チョイスが演じる「月世界から来た神様」のシーンで、トーマスとロザンの肩の上に乗って、リフトされる羽目になった。「私はもう若くないので他の人にしてほしい」と頼んだが「どう見てもお前が一番軽い」とトーマスに一蹴される。不安である。

自転車で運びきれないほど大量の衣装や小道具で、無謀な運転をして帰宅する。私が料理当番になり、アジの塩焼きと味噌汁とご飯の昼食を作ったら、奈緒子さんが涙を流さんばかりに感激してくれた。午後は部屋で、小説の朗読と「gegen allesの神」の台詞の両方を練習。夜、ドイツの演劇評論家であるフランツ・アントンさんが家を訪れた。笑顔の素敵な見るからに優しげな人だが、大変に高尚かつ専門的な文章を書く著名な知識人らしい。トーマスがエビと平目を料理してくれた。

2/23(土)
25日の朗読会に合わせて、夕方のベルリン行きの飛行機に乗ることになっていた。18時まで稽古があったので、入念に荷物を用意して、昼過ぎに体育館Druckluftに行く。トーマスが「とにかく今日、二回は通し稽古をしないとどうにもならない」と焦っているので、奈緒子さんが大きな紙に時間割を書いて壁に貼り、リハーサルを強行した。どこの場面で誰が何をし、どの楽器を演奏するかといった段取りが次々と更新され、体も脳も情報でパンパンになる。ものすごい稽古だった。

奈緒子さんと18時きっかりに稽古場を出て、荷物を取りに一度家に戻る。グスタフ通りをの裏の森を抜け、オーバーハウゼン中央駅からデュッセルドルフ駅まで電車移動。そこから空港行きのモノレールに乗り、きちんと時間通りに搭乗口にたどり着いた。

「こんなに慌てて、飛行機で移動なんて、私たちよっぽど売れっ子みたい」と冗談を言い合うが、笑う力もないほどヘトヘトである。全然食事をしていなかったので、朝に奈緒子さんが準備していた一人二個ずつのおにぎりが有り難かった。

テーゲル空港で奈緒子さんと別れ、Weddingの家にたどり着いた。「ネズミがいませんように」と祈るような気持ちで、シンクの下の棚を開けると、なんということだろう。ほんの僅かだがフンが散らばっているではないか。玄関前の食料品の入っている袋も食い破られた跡がある。絶望しつつも、とりあえず寝ようと電気を消すとカサカサと音がする。見に行く勇気はないし、戦う元気もなかったが、恐ろしくて眠れない。サン・ラではないが、私の居場所も宇宙にしかないのか……と気が遠くなった。

2/24(日)
床後、サラサラとお茶漬けをかき込みながら、どうしてくれようかと考えを練った。まずきっちりゴム手袋をして、Sumiが置いて行った食料箱の中身を点検する。米や麺などを齧った跡があるので、問答無用で捨てた(あとでSumiにメールした)。食料箱全体をビニール袋で包んでおいたのだが、それだと容易に食い破られてしまうのである。食料は全部タッパーに分けて入れて密閉することにした。さらに流しの裏に侵入口がないか血眼で探した。排水管と壁の間に小さな隙間を発見したので、そこにスチールウールをぎゅうぎゅうと詰め込んだ。さらに除菌シートでシンクの下も床も徹底的に拭き掃除をした。

この日はクリストフの家で、朗読の練習をすることになっていた。ノイケルンの家に着いて練習を始めた途端、空腹のあまりに具合が悪くなってきた。クリストフに「ごめん、何か食べさせて」と了解を取って近所のケバブ屋に行き、ケバブを買って戻ってきて、がつがつと食べた。私の異様な雰囲気にクリストフも「大丈夫?」と怯えている。ネズミの話をすると気の毒そうにしていた。
それから、3、4時間ぶっ続けでドイツ語朗読の練習をした。普段優しいクリストフだが、ドイツ語の先生としてはなかなか厳しく、私の発音が聞き取れなければ、即座に遮ってくる。ドイツ人って過程でなく結果を重視するのかもしれない。観客に内容が伝わらなければ意味がないから、私も意地になって繰り返し練習をした。

途中、ノイケルンに新しくできた「イエメン料理」の店に行ってラムのスープと、ビリヤニのような焼き飯を食べたのだが、これがとても美味しかった。再びクリストフの家に戻って、もう一時間ほど練習してから帰宅。

アパートの流しの下の棚を開けると、ああ、まだ一粒だけ黒いフンらしきものが落ちている。これは昨日からここにあったのか、新しいのか? もう分からなくなってきた。

 

湖畔の朗読会

2/25(月)
うとう朗読会の日がやってきた。昨晩はネズミは出なかった。狐につままれたような気持ちで身支度をし、家を出た。朗読会の前に、通り道のシャーロッテンブルクに寄って「gegen allesの神」の衣装を探すつもりだった。散々歩き回った挙げ句、ようやく以前住んでいた明石さんのアパートの近くの古着屋で、宇宙人っぽい銀のTシャツと銀のスカートのセットアップを発見する。合わせて5ユーロぐらいなので安い買物であった。

そこからS7という路線に乗り、Wannsee駅から徒歩二分の「ベルリン文学コロキウム(LCB)」へたどり着く。建物の窓から見える、ヴァン湖を覆う夕焼け空がひたすらに美しい。控え室で初めて多和田葉子さんにお会いし、挨拶をした。ベルリン自由大学日本文学科の教授で司会のエレナ・ヤヌリス、翻訳のクリストフ・ペーターマン、LCBのインガ・ニーマンといったお馴染みの人々に加え、多和田さんに通訳の梶村昌世さん、とこの日の役者が揃った。田中奈緒子さんがなかなか来ないと思ったら、パフォーマンスのリハーサル中に、本番で使う大事なライトが壊れ、スペアで持参したライトも次々と壊れ、今急いでタクシーで代わりを取りに自宅へ戻るところだと言う。あり得ない不運のようだが、本番前の緊急時は、日常とは違う時空に叩き込まれてしまうのか、こういった話を割と良く聞く。「急いで戻ります!」とうメールに緊張感が高まる。後で奈緒子さんに聞いたら、呼んだタクシーの運転手がノリノリで、「任せとけ! 俺はタクシー運転手になる前、カーレーサーだったんだ!」と言ったとか。

開演時間になったので会場の一階ホールに行くと、すでにそこは観客で満員だった。多和田さんがちょうどテレビ番組に出演した直後だったとかで、予想を超えて100人以上の集客があったらしい。エレナの司会で、まずは私と多和田さんの活動の簡単な紹介があり、短いトークがあった。エレナからの「ベルリン生活はいかがですか。ドイツの演劇は日本とどう違いますか」等々の質問に答えた後、いよいよ小説の朗読である。

「甘夏キンダガートン」は、私が15年以上も前に書いた短編小説だ。主人公の「モンスーン」は「俺」という一人称を使うが、モンスーンが男か女かという情報は作中にはない。それが物語の重要なポイントとなる。だがドイツ語では、男も女も一人称は’Ich’。どう訳すべきか、クリストフと私は悩んだ。けっきょく日本語の「俺」という一人称についての説明を朗読の前に入れた後、主人公の台詞だけを、著者である私が演劇のように読む、ということになった。

私が喋り出した途端、客席に笑いが巻き起こった。スポ根めいた練習の甲斐あってか、私のドイツ語はちゃんと聞く人に伝わっているらしい。緊張のあまり舌がもつれそうになるのを堪えながら、なんとか最後まで読み切った。すごい。まるでドイツ語が流暢に喋れる人みたいだったじゃないか。

朗読後、エレナから「本作で、主人公のモンスーンは失くし物を探すために思い出の場所に戻り、帰ってくると体が変化します。これは何を意味しているのか?」と尋ねられ、面白い質問だと思った。「人は時に大切なものを探す旅をし、過去を振り返ったりもする。欲しいものは手に入らないことばかりだけれど、その過程で『成長』をしたり、変化を遂げたりする。それこそが人生においては重要だと思う」と答えた。上手く答えられた気がした。自分や周りの友人に対して言ったような気もするし、人間の変化や成長、成熟を恐れる今の日本のムードに対して咄嗟に出た言葉な気もした。(私のたどたどしいお喋りを、通訳の梶村さんが見事な技術で鮮やかに翻訳してくれて、一気に梶村さんのファンになってしまった。)

続いて、多和田さんが小説「献灯使」を朗読する。これは子どもの寿命が異様に短くなり、老人ばかり長生きするというディストピア的な近未来の日本を描いた物語で、SFとも言い切れない切迫感がある。読んでいて、もうほとんど現実はここまで来ている、と思わされる。その中で主人公の老人・義郎が、体の弱い車椅子の曾孫・無名をまるで炎が燃え盛るように激しく慈しみ、庇護する様が切ない。齢百歳に至る曾祖父と曾孫との間でこんなに情熱的な愛が通うものだろうか。「もちろん絶対に通う、それはある」と確信させられる、啓示のような知の閃きが作品を貫いている。多和田さんが作品冒頭を読んだ後、こちらの声優の女性がドイツ語訳を朗読していた。

質疑応答と短い休憩を挟んで、最後に田中奈緒子さんのパフォーマンスがあった。日本でも一部録音されたという環境音のコラージュに合わせて、さまざまな形状のオブジェに奈緒子さんが懐中電灯で光を当て、会場の白い壁に影を投射する。その影が大きくなり、小さくなり、形を変えていくさまを観客はじっと眺める。この光と影のパフォーマンスを通して、鑑賞者は自らの視覚の可能性が普段どんなに狭められていたのかを思い知る。私たちはもっとどこまでも仔細に、どこまでも広い範囲を、情報量の限界と思われていた値を超えて「見る」ことができると知って、驚愕する。そしてある人は過去の記憶を呼び覚まされ、ある人は空想の世界に遊び、それぞれが光と影の中で旅をすることになる。小さなライトを手に暗闇に立つ奈緒子さんのシルエットを網膜に焼き付けながら。

パフォーマンスが終わってぼうっとしていると、知人友人が次々に集まってきて「おつかれさま」と声をかけてくれた。隣の部屋にはすでにワインや食事が並べられて、打ち上げのディナーパーティーが始まっている。観客もフリーで食事できるというから豪勢だ。
私にとっては、ベルリンで世話になった友人がほぼ全員集合して、協力してイベントを行ったわけで、まるで死ぬ前に見る走馬灯みたいな夜であった。ベルリン映画祭でもお仕事されているという最高の通訳の方も付けていただけた。目の前では、書物の向こう側の文豪であった多和田葉子さんが微笑みながらワインを飲んでいる。歴史あるコロキウムの荘厳な建物、窓の外には大きな夜空と静かに横たわる湖。興奮してワインを飲み過ぎてしまった。

2/26(火)
のすごい二日酔いで起きる。これからまたオーバーハウゼンに戻らねばならない。今度は長距離列車の旅だ。のろのろと荷物を作って、12時ごろ家を出る。ベルリン中央駅のアジアンレストランでレモングラス風味のスープを啜ってなんとか体を持ちこたえる。駅のホームで奈緒子さんと落ち合い、電車に乗った。まだハイになっているのか、車中で話が尽きない。森の中を歩いてオーバーハウゼンの家に着くと、トーマスが待ち構えていて、案の定、食べきれないほどのラム肉を焼いてくれた。

2/27(水)
、冷たい水でお皿を洗っていたら貧血で倒れそうになる。とりあえず稽古場までは行き、部屋の隅に横たわっていたら、トーマスが哀れんでツボ押しマッサージをしてくれた。ダンス稽古の後、また少し衣装の買物をしてから、少し稽古場に残って制作作業をする。「なんでもイヤの神」をイメージして、衣装の肩にグルーガンで「雷様」のような角をつけることにした。

2/28(木)
から稽古。トーマスから「今日までに領収書を出してくれれば、衣装代を払い戻せる」とお達しがあったので、昼休みに最後の買い出しに行った。私は商店街のギャル向け洋品店で金のラメ入りスパッツを購入。

午後に通し稽古をしたのだが、まったく機能せず、トーマス先生がいたくご立腹であった。コソボ出身のファティメやシリア出身のロザン、ナイジェリア出身のチョイスたち移民難民組の面々は、一度段取りを決めても覚えず、次のリハーサルでは全然違う台詞を言ったりする。対策として、トーマスがアイディアを出した。「うまく行かないシーンは、別のメンバーがインタビュー役になって、『なぜ?』とか『どういうこと?』とか聞くことにしよう」。そして「悠子はファティメのインタビュー役をやれ」と言う。

ファティメはメンバーの中で最も意思疎通が難しいタイプといっても過言ではない。コソボ出身で、ドイツ語もあまり喋れないようだし、アートに興味があるかも微妙である。堂々とした体格の、とにかく元気な年配の女性で、段取りが失敗しても全く気にならないようだ。一方、私は舞台経験は多いけれど、ドイツ語が全く分からない。「彼女は毎回違う台詞を言うから、フォローは無理だ」と英語でトーマスに訴えるが、「ファティメが何を言おうとしているのか、知りたくないのか。耳を傾けろ!」と言われる。傾けたって、分からないものは分からない。どうして自分はこんなにもドイツ語ができないのかと泣きそうな気持ちになった。公演はあと二日後に迫っている。こんな状態で本番が迎えられるのだろうか。

 

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
クリス・マルケル特集2019<永遠の記憶>
2019年4月6日(土)~4月19日(金)
http://www.pan-dora.co.jp/ChrisMarker/
会場:ユーロスペース

ソヴィエト映画の世界
2019年3月30日(土) ~ 4月19日(金)
ハワード・ホークス監督特集Ⅱ
2019年4月20日(土) ~ 5月24日(金)
http://www.cinemavera.com/
会場:シネマヴェーラ渋谷

映画/批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~
2019年3月9日(土)〜4月21日(日)
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/1903090421/
会場:アンスティチュ・フランセ東京

*封切作品
2019年4月5日(金)公開
『バイス』アダム・マッケイ監督 https://longride.jp/vice/

2019年4月12日(金)公開
『魂のゆくえ』ポール・シュレイダー監督 http://www.transformer.co.jp/m/tamashii_film/
『ハロウィン』デヴィッド・ゴードン・グリーン監督 https://halloween-movie.jp/

公開中
『ブラック・クランズマン』スパイク・リー監督 https://bkm-movie.jp/
『バンブルビー』トラビス・ナイト監督 https://bumblebeemovie.jp/
『ユーリー・ノルシュテイン 《外套》をつくる』才谷遼監督 http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/2275/
『ダンボ』ティム・バートン監督 https://www.disney.co.jp/movie/dumbo.html
『ワイルドツアー』三宅唱監督 https://special.ycam.jp/wildtour/

【美術等展示】
国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
2019年2月19日(火)~5月19日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:国立西洋美術館

【書籍】
中原昌也『パートタイム・デスライフ』/『虐殺ソングブックremix』(河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027890/  http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027906/
王寺賢太・立木康介編『<68年5月>と私たち:「現代思想と政治」の系譜学』(読書人)https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784924671379
アントニオ・ネグリ『デカルト・ポリティコ ―政治的存在論について』(中村勝己・津崎良典訳/青土社) http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3277