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2017.10.06

第3回 わたしの下北沢

東京狩猟日記 / 千木良悠子

わたしの下北沢

新宿から小田急線の終電に乗ったら、むかしの友達に会った。三人ともミュージシャンで、その夜は秋葉原のライブハウスで仲間のバンドのライブを見てきたと言う。一人は特に酔っ払って機嫌良く、「お茶の水ってどんな水〜♫」と節をつけて口ずさんでいた。「こいつ今日ずっとこれ歌ってる」、「へ〜。お茶の水ってどんな水なの? 茶色いの? 緑なの? それとも透明?」、私が相手に調子を合わせて尋ねると、酔っ払った友は「う〜ん、強いて言えば……どうってこともない水かなあ。もし器に汲んで出されても丁重にお断りする!」とよく分からないことを言っていた。ただ「どんな水〜」と歌いたいだけで、深い考えはないようだった。

5、6年ぶりの遭遇だったが、久しぶりできまり悪かったし、たいした会話はしなかった。「千木良、今日何してたん?」「映画を見てバーに行って、今帰り」「おお『リア充』だな」、そのくらい。電車が下北沢の駅に着くと、三人は「じゃあな!」と手を振って、ホームの人ごみに消えてしまった。

 

二十代の後半から三十代前半、彼らを始め、ミュージシャンの友達とよく遊んでいた。自宅が下北沢の近くなので、下北沢でライブを観てから安居酒屋で朝まで飲んだり、そのうちギターを買って、バンドにも入れてもらったりした。ギターなんて全然弾けなかったのに、どこへでもくっついて回っていたのは、ただ誰とでも分け隔てなく付き合う彼らの人柄に惹きつけられていたからで、いつ会っても故郷の幼馴染みか親戚のように変わらぬ温度で受け入れてくれるのが有り難かった。そういう人間関係に飢えていた。東京育ちの私には特に故郷と言える場所はなく、大学を出てからは特に就職もしないで演劇や文筆活動を齧りながらぶらぶら気楽にしていたのだが、実際は身の置き所のなさにしじゅう怯えているような心持ちだったから、リラックスして話ができる相手が欲しかった。

「Shelter」や「Que」や「440」や「BASEMENT BAR」といったライブハウスに集まって、時には自分も出たりして、そのあと「八剣伝」や「えん屋」や「王将」といった居酒屋でよく焼酎を飲んだ。仲間同士で喧嘩したり泣いたりする日もあったが、あとから笑い話になったり忘れられたりした。

 

つい7、8年前の記憶を掘り起こすと、まるで昨日のことのようだ。だが、家から徒歩10分の下北沢に記憶をたどるために歩いて行ったとしても、そこは当時と同じ場所ではない。下北沢は少しずつ姿を変えている。駅構内と周辺の開発工事が進んで、駅前の古い市場は用途のよく分からない広場になった。むかしからあったレストランや居酒屋が、本屋が、布地屋や服屋や雑貨屋が、大手チェーン系の飲食店や小売店に変わって、割としょっちゅう潰れてまた新しいのができる。長く続いている小さな店も多いけれど。

さらにむかし、10年20年30年前の下北沢を思い出すと、頭の中でどうしても美化してしまう。子どものころは、家の近所に胸がワクワクするような「若者の町」があることが誇らしかった。小学生のときは駅前のピーコックデパートの地下にあったサンリオショップで、キャラクターつきの文房具を眺めるのが楽しみだった。自分で使うノートやシャープペンの他、クラスメイトの誕生日が来るたびに友達と行ってプレゼントを買った。

駅前を歩いている大人は、幼い日の憧れの対象だった。髪を赤や黄色に染めた若者が闊歩していた。狭い通りにライブハウスや劇場、古着屋やレコード屋がひしめき合う下北沢は、30年前からすでに若者の街で、「私も大人になったらこの人たちの仲間に入れてもらうんだ」と、漠然と夢見ていたように思う。ミュージシャンや劇団員、フリーターという言葉さえ眩しかった。80年代終わりから90年代、そういう人種に「お金のない夢追い人」というイメージもまだそれほどなく、中学受験に汲々としていた小学生の自分にとって、下北沢のパンクファッションの若者たちは「自由の象徴」的存在だったのかもしれない。

中学生になって音楽や映画に興味を持ちはじめると、今はない駅前のTSUTAYAにCDや映画のVHSを週に何本か借りに行った。少女向けファッション雑誌(「オリーブ」とか「キューティ」)の「下北沢特集」を読み漁って、入ったことのない雑貨屋や古着屋やカフェに緊張しながら足を踏み入れた。フランスやベトナムの輸入雑貨が売っている店が北口にあった、そこでいつも買えなくても商品を眺めるのは特別な時間だった。今あそこまで、ときめきながら買物をすることなんてない。

ライブハウスや劇場に行くようになったのは高校生になってからだろうか。下北沢にもう一つあった(こちらは今でもある)レンタルビデオ屋「DORAMA」で、当時ファンだったミュージシャンに会って、心臓が爆発しそうな思いで話しかけたこともあった(バンド「フィッシュマンズ」のボーカリスト……亡くなったときは悲しかった)。中学高校で演劇部に所属していた経験を生かして1999年、大学二年のときに下北沢スズナリの舞台に初出演し、それ以降、演劇はやめずに続けている。

数えきれないぐらい下北沢で遊んだりライブをしたり演劇に出演したりした。2006年には下北沢を舞台にした小説も書いた。しかし、子どものころ憧れていた人たちの仲間に入れたという気は全然しなかった。むしろ、ぐんぐん遠ざかっているようだった。

 

変かもしれないと感じたのは、2001年のいわゆる「9.11」の頃だったと思う。もちろん信じられない出来事をテレビで目の当たりにしてショックを受けたわけだが、海を越えたアメリカの事件だったはず。なのに東京が、好きだった下北沢が、いつのまにか手の中でよくわからないものに変質してしまった、という気がした。テレビで見た大きな事件への恐怖が、社会を知り大人になり始める時期に付き物の、最初の挫折の経験と混じり合って、胸の中に暗い染みを残した。大学卒業を目前にして友人関係が上手く行かなくなり、将来の展望も特になく「就職氷河期」に私はフリーターになった。在学中から所属していた劇団の活動と細々とした文筆の仕事は続けながら、時給800円とか900円とか1000円でいろんな会社や飲食店で働いたけどどこにも馴染めなかった。先述のミュージシャンの友人たちと出会って遊んでもらうようになったのはその後だが、毎日のように下北沢に通って覚えるのは、「この町ではとうのむかしに祭りは終わってしまったのだ」的諦観だった。

友人たちの音楽はいわゆるパンクとかプログレッシブとかハードコアとかニューウェーブといったジャンルだったし、私の参加していたパフォーマンス演劇だって書いた本だって全て、世の中的にはアンダーグラウンドと括られてしまう類いのものだった。つまり2000年代に入って私が何の気なしに関わり出しまったのは、ティーンのころに憧れた楽しく素敵なアートではなく、焼け跡の町で地下に潜った少数の人々が怒りとともに繰り出す、まるで何かとの「戦い」みたいに苛烈な表現活動の世界だった。

高校生のとき読んだ本には、「サブカルチャー」という言葉はメインカルチャーの対義語だと書いてあったが、気づけば現代の芸術文化のほとんどは「サブカル」と呼ばれていた。では文化の「本流」はどこにあるのか。私が何か意見を言おうとするとよく「サブカルだね」と一言で片付けられた。「そうじゃない」と違和感を感じる出来事が多すぎて、私はひどく塞ぎがちになったり、怒りっぽくなったりした。今でも胸の中にわだかまりがある気がする。ちゃちな子どもの幻想だとわかっていても、かつて思い描いた「憧れの街」を取り戻したいのかもしれない。

 

2000年代によく下北沢で遊んだ友人たちとは、住む場所や生活の状況が変わったりして、あまり会う機会がない。そうこうするうちに、亡くなってしまってもう会えない人もいる。

「過去」はどこへ行くのだろう。

幼稚園の卒園式で悔し泣きしたことを、折に触れて思い出す。「はやく小学生になりたい人〜!」と先生に尋ねられてクラス全員が挙手する中で、一人だけ拳を固く握って下ろしたままでいた。小学生になるのが喜ばしいことだとは思えなかった。6歳の3月が終わるからと言って、今まで一緒に過ごした場所や人から離れて、知らない所(小学校)に強制的に行かされるのが不本意で怒り狂っていた。なのにその思いを言葉にできなくて、母親に「右の小指の腹にできたおできが痛い」と訴えて号泣した(!)。悔しさを押し殺した経験が、四十路も近くなったというのにふと甦る。

人生における無数の過ぎた瞬間たちは、本当にどこに行くのだろう。感傷的になるわけでもなく、ただ不思議だ。記憶から失われるだけでなく、古い街の風景までも消えて行くのならば、なおさら。

 

今でもしょっちゅう下北沢に行く。行って、別にむかしの下北沢を懐かしむわけでもない。携帯電話屋やユニクロやカラオケ屋のビルが立ち並ぶ道路に、安価なファストファッションや古着を工夫して着こなしている若い男女がごった返す中を、逃げるようにいつも足早に歩く。

下北沢は今でも東京で一番慕わしい、唯一「わたしの町」と言いたい場所だ。けれどもやはりそこに行くと、子どもの頃に夢みた憧れの街を、この世に存在しない「若者文化の街・下北沢」を探して、心の一部がふらふらと頼りなく彷徨い出すように思う。

 

狩猟の獲物★『青木一人の下北ジャングル・ブック』(ソニー・マガジンズより2006年に出版)
下北沢在住の冴えない大学生が、世界一のお笑い芸人を目指す……という内容の青春小説。「ページ毎にひとつは駄洒落を入れる」をマイルールに、何も考えず二週間ぐらいで書き下ろしました。絶賛絶版中だけど、けっこう気に入っている。今は閉店した下北沢のお店も出てくるし、亡くなってしまった下北沢の音楽友達も、mixiのメッセージで長文の感想をくれたなあと思い出します。

 

 

 

【告知】

2017年11/23-26、渋谷ユーロライブにて

千木良悠子主宰・SWANNYの新作舞台『小鳥女房』の上演があります。

公演の詳細はhttp://eurolive.jp/ をご覧下さい!