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ベルリン狩猟日記 /千木良悠子 
Zyta|フランクフルト・ブックフェア/魚市場の魚/Donbass
2018.10.01-10.15

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

Zyta

10/1(月)
覚ましをかけて朝早く起きる。家の目の前にトラム(路面電車)の停留所がある。そこからHackescher Marktの駅まで行き、Sバーンに乗り換え、Niklasseeという湖の駅で降りた。友紀子さんが、この近くの病院に入院しており、この日退院することになっていた。彼女は10月半ばから一年間、アメリカに滞在する予定で、その前に、ベルリンでちょっとした手術を受けなくてはならなかった。「ドイツの病院というのは、あまり長く入院させてくれない」のだという。経過が順調、となると「どうせ病院にいても無駄にお金がかかるだけだから、家に帰った方がいいでしょ」と、まだ傷口が痛んでいても退院させられると友紀子さんは言っていた。

「夫は一足先にアメリカに行ってしまってるので、代わりに退院の付き添いに来てもらえませんか?」と頼まれた。先週、住む家がなかった時に泊めてもらった借りを返せるチャンスが早くも来た、と二つ返事でOKしたのだが。

Niklasseeの駅で早速迷った。駅から出るとただ静かな森が広がるばかりで、バス停はあるが、待てども待てどもバスは来ない。通りかかった、鉄道工事の関係らしき人々に尋ねたが、彼らは英語が話せず、ドイツ語で「自分たちも分からない」的なことを言っている様子。そのうち友紀子さんに連絡が通じて、「Niklassee駅にはもう一つ出口がある」と教えてもらえた。人助けをするつもりで来たのに、むしろこちらがテンパって迷惑をかけている。

バスを降りた後も少し迷ってしまい、待ち合わせより遅れて病院に着いた。友紀子さんは歩くのもふらついて、だいぶ辛そうな模様。なんで退院させるんだ、ドイツ。もう一人の付き添いであるマヤは、ドイツ語の医師の説明を詳しく聞くために、朝6時頃から病院に来ていたという。三人で、友紀子さんの家までタクシーに乗って帰った。

彼女をベッドに寝かせた後、マヤとスーパーに食材を買いに行ってから、料理をした。鶏粥、野菜のグリル、トマトのリゾット。翌日からは別の友人が食事を作りに来てくれるそうなので、とりあえず二食分。

友紀子さんは申し訳ながって、矢鱈に恐縮していたのだが、私は先週四泊もして、しかも何度も美味しい料理を出してもらったのに、たった二食の粥を作っただけで、こんなに有り難がられて、借りがイーブンになってしまうなんて、なんだか悪い気がした。

10/2(火)
Wannseeの文学コロキウムで、ポーランドの作家Zyta Rudzkaの小説のリーディングがあるというので行ってきた。ヴァンゼーの建物に入ると、Zytaがすでに来ていて、歓迎してくれた。あまり人前に出るのが好きではないという彼女だったが、開演時間が来ると小ホールに設えられたステージに通訳と一緒に上がり、近刊の小説« KRÓTKA WYMIANA OGNIA »をポーランド語で朗読した。通訳されてもドイツ語だから、私にはもちろん何一つ分からなかったのだけれど、きらきらした瞳で自作を朗読し、質問に答えるZytaを最前列でじっと見ていた。彼女のトークは客席を大いに沸かせていた。

その日読まれた小説は、第二次大戦中に実際にヨーロッパで起こった集団自殺をモチーフにしていて、その生き残りの少女が主人公だという。他の作品では、アウシュビッツをまるで観光地のようにガイドする人物が主人公だったりするらしい。

その日は他に登壇者が二人いて、ジョージア出身の詩人Zviad Ratiani とルクセンブルクの作家・劇作家Ian De Toffoli が自作を朗読していた。みんなヴァンゼーのレジデンスに滞在しているそうで、朗読の後にワインを飲みながら、下手な英語でそれぞれと少しずつ話をした。

10/3(水)
人の家にお招きいただいて、夜一時くらいまでワインを飲みながら話をする。すっかり酔っ払った。

10/4(木)
ンサーの南加絵さんが家に遊びに来た。最近ベルリンに来て、こちらでダンスのワークショップを受けているという。心ここにあらずといった表情なので、どうしたのか聞いたら、さっきトラムで切符の買い方が分からずに座席に座っていたら、検札に捕まって多額の罰金を取られたと言う。

ベルリンの電車やバスには改札というものがない。しかし時々、係員が現れて切符を持っているか厳しくチェックされる。加絵さんはこの係員にすごい剣幕で叱られたのだそうだ。手持ちの現金が少なくなったと言うので、加絵さんに仕事を与えるべく、ヨガを教えてもらってから、マッサージの施術を受けた。彼女は数年前にインドに滞在してヨガを習っていたという経歴の持ち主で、ヨガ講習もマッサージも、両方上手だった。

10/5(金)
たLCBのランチミーティングにお招きいただいた。翌週から行われるフランクフルト・ブックフェアのために、世界各国からドイツにやって来た、出版関係の人々が集まる会だ。フランクフルトに行く前に、ベルリン文学コロキウムを見学しようという編集者や翻訳家が、イタリア、スペイン、スロヴェニア、オランダ、中国など、様々な国から訪れていた。

Zytaと並んでブッフェランチを食べた後、LCBの職員がコロキウムの歴史や役割などを解説するというので、中庭の丘を降りて行き、船着き場の前の芝生に腰を下ろして、来客とともに聞いた。話の途中で、職員のJürgenが私のことを来客に紹介してくれた際、来客たちが口々に「あなたもフランクフルト・ブックフェアに来たほうがいい」と言った。「招待状をあげる」と言う人もいた。

前々から、日本の出版社の知人が、フランクフルト・ブックフェアに来ると聞いていた。「ブックフェア、楽しいですよ。もし来れたら向こうで会いましょう」と言われていたのを思い出し、俄然興味が湧いてきた。ベルリン以外のドイツの都市には行ったことがなかったし、小旅行としても良いかもしれない。

それから、Zytaがヴァンゼーの周りを案内してくれた。まずは18世紀の小説家ハインリッヒ・フォン・クライストが亡くなった場所へ。木立の奥に慰霊碑が立っている。Zytaいわく、彼はヘンリエッテという若い人妻の所に突然尋ねて行って、一緒に死なないかと誘い、この場所で彼女をピストルで撃った後、自殺をしたそうだ。

さらに森の街道を歩いて、ナチスがユダヤ人の移送と殺害を秘密裏に決めた「ヴァンゼー会議」が行われた館へ行った。かつては貴族の邸宅だったが、現在では記念館になっていて、会議の詳細からその後の大量虐殺に至る流れが、時系列順に解説・展示されている。外には人が少なかったのに、記念館の中には見学客が大勢いて、ガイドの説明を熱心に聞いていた。壁に貼られたナチスの高官たちの写真を眺めながら、彼らは生前に自分の顔写真がこんなふうにここに展示されると想像し得ただろうか、と考えた。観終わって外に出ると、テラスの生け垣には薔薇が咲いていた。Zytaが湖を背にこちらに手を振っている。駆け寄っていくと、「ここの展示はアウシュビッツに比べるといささかソフトすぎる」と肩をすくめた。そうだ、アウシュビッツはZytaの国、ポーランドにあるのだ。

湖のほとりを歩きながら、「フランクフルト・ブックフェアに行こうかと思う」とZytaに言うと、「やめたほうがいい」と反対された。「数年前に仕事で一度行ったけれど、本が魚市場みたいに売られているだけだ。私たち作家には関係のない世界だ」。「でも有名なイベントだし、日本から友達も来るし、一度くらい行ってみたい」「お勧めしない。ユウコもきっとガッカリするよ」。魚市場みたいに本が売られている、ってどういうことだろう。なんとなく分かる気がするけど。

歩き疲れた所に、ちょうどバス停を見つけた。Zytaとはまたすぐに会う約束をして、夕方ごろに家に帰った。

10/6(土)
ルヴィッツ広場まで散歩に行く。ちょうど市場が開かれていた。

夕方、出張から帰ってきたエレナと、動物園駅でちょっと会う。道端で話し込んでしまった。

10/7(日)
るばるヴァンゼーのレジデンスから、Zytaが私の家に遊びに来てくれた。家から徒歩十分ほどの場所で開かれている、アルコーナープラッツのフリーマーケットを覗いたり、ミッテの洋服屋を見て回ったりした。

それにしても、まだ十月なのに家の中が寒い。スリッパが薄いのか足元が冷える。

 

フランクフルト・ブックフェア/魚市場の魚/Donbass

10/8(月)
いに二度目のビザ申請の日がやってきた。緊張しすぎて夜中の2時に一度目が覚めてしまった。

午前中に前回とは全く違う場所にある外人局へ行く。再びエレナに付き添いをお願いしたし、LCBのインガとベルリン自由大学演劇科のブラントシュテッター教授に書いていただいた、涙が出るほど素晴らしい推薦状も用意したし、今度は大丈夫なはず。意気込んで挑んだが、面接はほんの数分で終わり。私は一言も喋らせてもらうことなく、係員はエレナとだけ少し話して、私のパスポートに、一年間の研修ビザとして、大きなシールをぺたりと貼った。ビザが貰えて嬉しいが、各方面に英語の依頼メールを書いて、必死で用意した推薦状の内容とか、本当に読んでもらえているのか。狐につままれたような気持ちで、外国人局の外に出る。安堵と疲労が同時に押し寄せてきた。

とりあえずお昼でも食べようと、エレナがシュテーグリッツのお洒落なカフェに連れて行ってくれた。豚の血のソーセージと林檎とジャガイモののった、フラムクーヘン(薄いピザのような食べ物。ベルリンの人がよく食べている)を注文した。それからデパートに寄って、分厚い冬用のスリッパを買ったところで体力が尽き、早々に帰宅した。

10/9(火)
ザを取れた翌日から、突然ちゃんと眠れるようになった。そんなにストレスだったのかと呆れてしまう。勢いに乗ってフランクフルト・ブックフェアに行くことに決め、ホテルを予約する。

時間ができたので、家から徒歩15分の場所にある「ベルリンの壁記念センター」に行った。ここには壁の一部が残されているのだが、それを見て、「ベルリンの壁というのは一枚ではない、というのはこういうことか」と合点が行った。壁は二重に建っていて、間に広い緩衝地帯があり、そこに誰かが侵入してこないか、監視塔の上から人が見張っていたのだ。

「記念センター」には壁にまつわる資料が展示されている。例えば、壁を越えて東から西へ逃げた人々の証言がヘッドホンで聞けるのが面白い。(日本の博物館や資料館で「声」の資料というのは珍しいように思う。)展示の最後にはベルリンの壁崩壊当時の映像が流れていて、大勢の人々が壁の上に立って、よじ登ってくる人の手を取って引き上げたり、ハンマーで壁を穿ったりする様子を見ることができた。壁の前で抱き合う人々。その映像の力は強く、何の気なしに見始めたのに、見終わる頃には激しく感情を掻き立てられたから驚いた。当時の状況なんてよく知らないのに。

私が9月に同居していたあの教師も、1989年11月9日に壁に登って、東ドイツの人の手を取って引き上げたと言っていた。その後数日間はお祭り騒ぎで、東西の人間が抱き合ったり一緒に酒を飲んだりしたが、すぐに、互いの暮らしてきた環境のあまりの違いに違和感を覚えることが多くなり、社会全体に混乱が生じたと語っていた。(あの教師も、同居生活の始まりの頃には、そんな面白い話を随分してくれたのだ。)壁が崩れて、単純に「めでたしめでたしのハッピーエンド」ではなかったわけだ。

だが、そんな物語の先にこの街はあり、今日も大勢の観光客が壁の跡を見に訪れる。東京にこれほど強烈な物語はあっただろうかと、しばし祖国に思いを馳せた。

10/10(水)
ろしい夢を見て、眠りながら叫んだように思うが、分からない。部屋にある大きな箪笥の所に誰かが立って、こちらを見ている夢。

この日はZytaの誕生日だった。再度ミッテで彼女と会って、買物をする。私が薄っぺらい布のトートバッグしか持っていないから、革製のバッグが欲しいと言っていたら、Zytaが本気で探そうと言って、最終的にビンテージ・ショップでちょうど良いのを選んでくれた。私の希望通り、茶色の小ぶりなショルダーバッグで、値段も手頃だ。「状態も良いし、雰囲気が上品で、ユウコによく似合う。きっとイタリアの90歳の老婆が箪笥の奥にしまい込んでいた鞄で、彼女が亡くなった後、そのセンスの悪い孫に発見され、古着屋に売り飛ばされたものだろう」とZytaが小説家らしく、ストーリーテリングをした。

夜に何を食べるかで少々議論した挙げ句、プレンツラウアーベルクのドイツ料理店で鴨肉料理を食べた。Zytaは「以前はもっと落ち込みがちだったのに、最近わけもなく自らの内側に強いエネルギーが湧いてくるのが分かる」と心の中の風景を語ってくれた。テーブルの上に置かれた蝋燭の炎より明るく、きらきらと瞳が燃えていた。

10/11(木)
起きをしてテーゲル空港へ。飛行機に乗ってフランクフルトに行く。空港から、Googleマップの指示通りにSバーンに乗り、フランクフルト中央駅に着いたのは昼頃だった。駅の地下道にホットドッグのスタンドがあったので、一つ買って、立ち食いした。ベルリンでハンバーガーショップはよく見るけど、ホットドッグのスタンドを見たことがない(きっとあるのだろうが)。

初めての土地に来た心許なさを振り切るように、足早にホテルに向かった。駅の真ん前の分かりやすい場所にホテルはあったが、通された部屋がとにかく狭い。ブックフェアの時期は、どこのホテルも出張のビジネスマン向けに高値をつけているのだそうで、普段はこの部屋ももっとずっと安く泊まれるのだろう。

冷蔵庫の中のジュースを飲んで少し休憩した後、観光地まで歩く。レーマー広場に並ぶ、まるで中世のテーマパークのような古い家々を見て、こんなのベルリンで見たことがないとまた驚いた。(後で聞いたら、これらの民家はほとんど第二次世界大戦後に、中世の家を模して建てられた新しい建築らしい。元々あった古い家は、みんな空襲で焼けてしまったのだ。ドイツ随一の商業都市フランクフルトは、近代的なビルディングと「フェイク」の中世建築の混在した、まさにドイツ人から「テーマパークみたい」と揶揄される街なのだそうだ。)

これまで私は、フランクフルトがどんな場所か考えてみたこともなく、失礼なことに「ベルリンと同じドイツでしょ」ぐらいに思っていた。だけどもし、ドイツ人が例えば長野と大阪とを「同じ日本でしょ」と括ったら、私は「全然違う。軽はずみに言うたら喧嘩になるで~」と、注意するだろう。

ひとしきり辺りを歩いた後、広場の傍の肉屋でソーセージとマカロニサラダのセットを注文して食べた。トラム(路面電車)でホテルまで戻ろうと停留所で待っていたら、来た電車からぞろぞろ人が降りて行く。電車はその先に行かないようなので、仕方なく歩いてホテルに帰ることにしたら、その先の道路でデモをやっていた。プラカードに書かれた絵から察するに、どうも若者を中心としたLGBTの権利向上を訴えるデモらしかった。トラムの乗客たちが、内心は皆億劫だろうが、素直に電車を降りて歩いている姿に好感を覚える。このつい数週間前に、日本では『新潮45』が休刊になっていた。デモが当たり前にやれる世の中の安心感に比べたら、ちょっと歩く不便なんて、何でもない。

少しホテルで休んだ後、夕方に日本の出版社に勤める知人と会う約束をしていた。待ち合わせ場所のホテルの前まで行くと、美しく着飾った人々がワイングラス片手に外で談笑している。知人の山口さんがやってきて、人でごった返すホテルのロビーへと案内してくれたのだが、そこでは、私の今までのベルリン生活とは天と地ほども違う、きらびやかなパーティーが開かれていた。飲み物はすべてフリーらしい。山口さんが同行の台湾とインドの出版社の人々を紹介してくれた。「フェアに来ている出版関係者は、みんなこの数日働き詰めだったから、終盤に差し掛かり、そろそろ激しく飲み出す頃です」と言う。

フランクフルト・ブックフェアというのは、毎年一週間ぐらい開催されるのだが、前半の数日は主にビジネスパーソン向けで、各国の出版社が自社の書籍をブースに展示したり、翻訳権を売買し合ったりする。(ハリウッドで映画化されるようなベストセラーの翻訳権となるとオークションが開かれ、何千万円、何億円という金額で取引されるらしい。)山口さんもこの日は十件近くの打ち合わせがあったとのこと。

普段のベルリン生活ではついぞ行かないような、美味しいイタリアンレストランで食事した後、オランダの文学団体が主催する「ダンスパーティー」があるというので、皆でタクシーに乗って会場に向かった。

大通り沿いの建物の中は広々とした薄暗い空間で、ソファが幾つか設えられている。またフリーで貰った白ワインを飲みながら、そこに来ている人々と話をした。

最初のうちは、ソファに座って歓談していたシャイな出版関係者の面々が、次第に音楽に合わせて楽しげに体を揺らしはじめるのを見ながら、Zytaが「魚市場」と言ったことを思い出していた。

Zytaは今まで50作ほどの小説や戯曲を手がけたそうで、最新作は商業的にもかなり成功したと言っていたが、普段は人前に出ることもなく、専ら部屋に籠って書き続けているという。ヴァンゼーの周囲を詳しく案内してくれたのも、小説を書く気分転換として、毎日何時間も一人で散歩をするからで、彼女の生活はたぶん、書くことと、歩いて頭を整理することの繰り返しなのだ。Zytaは「もし作家にならなければ、ずっと給料の良い職に就いていただろうが、これが私の人生だ」と肩をすくめていた。

LCBで出会ったグルジアの詩人Zviadのことも思い出した。彼は詩作の他にアメリカ文学のグルジア語翻訳も手がける著名な人物らしいのだが、グルジア政府とその発言でか出版物のせいかでトラブルがあって、簡単に自国には戻れず、家族と離ればなれだと聞いた。レジデンスでは常に酒を飲み、煙草を手放せないようだった。

私が翻訳権を売買されるような作家ではないから、拗ねてひねくれた感情を抱いたのかもしれないが、パーティーが華やかであればあるほど、本というひどく個人的でささやかな佇まいのメディアや作家たちの孤独な生き様が、どこか遠く離れた場所に行ってしまうように感じて、寂しくなった。

まあ、パーティーというものには、きっとその性質からして、人を寂しくさせる虚無のエッセンスが必ず幾分か混じっているのだ。連れてきてくれた皆に挨拶をして、タクシーを拾い、ホテルに戻った。

10/12(金)


っかく来たのだから観光をしようと意気込み、午前中からシュテーデル美術館に足を運ぶ。予想していなかった名画のオンパレードに唖然とした。ヒエロニムス・ボッシュ、ベラスケス、フェルメール、ルーベンス、クラナッハ、ゴッホにマチスにピカソもある。日本の展覧会なら一つ一つに行列ができているかもしれない。夢中で見て回ったが、地下の現代美術コーナーに至っては広すぎてとても全部は見切れない。アンディ・ウォーホールの手による、フランクフルト出身の大作家・ゲーテの肖像が入口に大きく飾られていた。

山口さんが美術館の入口まで来てくれて、一緒にしばらく辺りを散歩した後にレーマー広場の近くのレストランで昼食を取った。フランクフルト名物だというアップルワインを飲む。アップルと言っても、甘くなくて美味しい。時間がまだあったので、ゲーテの生家も見学した。それも「フェイク」の古い家だったが、家具や調度品には実際にゲーテの家にあったものも含まれているそうだ。

大変にお世話になった山口さんだが、夕方の飛行機で日本に帰るという。ブックフェアの会場入口まで送っていただいて、そこで別れた。

いよいよブックフェアの展示会場に入った。幕張メッセよりもずっと大きいというフランクフルト・メッセ、入口から会場を繋ぐ道すらも長く、遠い。ようやく中庭に出ると、それを囲むように大きな建物が並んでおり、その中に国別に分かれて出版社のブースがあるらしい。各ブースには番号が振られていて、番号を頼りに、建物と階数と場所が特定できるようになっていた。

まずは、ベルリンの出版社be.bra社のブースに行った。私の短編小説『猫殺しマギー』が収録されている、日本文学翻訳アンソロジーの出版社だ。本を編集したエレナが「出版社の人に挨拶をしに行ったらいい」と言っていたので、訪ねてみたのだが、私の小説の載った本は確かに展示されていたにしろ、担当した社員は不在だった。留守番をしている社員に「分かる人が、たぶん近くをウロウロしていると思うんだけど」とすまなそうに言われた。

その後、出版社のブースで、前夜に会った台湾で出版社を経営している女性エミリーとまた会う約束をしていた。探し当てて行くと、そこではまたフリーのドリンクが振る舞われており、大勢の人で賑わっていた。エミリーは知り合いが多いようで、あちこちの人とハグを交わしている。私もヘタな英語で数人と話したが、「私は出版社の社員ではなく、書き手で、ドイツ滞在記を書いている。ブックフェアにはただ見学に来た」と言うと(当たり前だが)不思議な顔をされた。

そんな中に、ウクライナの作家だという人がいて、アンドレイ・クルコフと名乗った。著名な小説家らしく、作品は世界各国で翻訳されており、日本でも翻訳本が出ているという。ふと思いついて尋ねてみた。

「ブックフェアは楽しいですか?」

「ああ、楽しいよ」

「私がフランクフルト・ブックフェアに行くと言ったら、友達に『本が魚市場みたいに売られているだけだから、行く必要はない』と反対された。来てみたら、確かに皆んな小説のオークションの話なんかしていて、私とは縁のない世界にも思えます。どこが楽しいのでしょうか?」

すると彼は「そうだ、私たちは魚市場の魚だ!」と笑った。質問には答えてくれなかった。

「きみは面白いな。ウクライナにも遊びに来るといい、家に泊まっていいよ」だって。年配の男性とトラブルがあった直後だったから内心では多少警戒しながら、「はい、ぜひ行きたいです」と答えた。「明日の午後は何している? ウクライナのブースで私が出演するイベントがあるから、もし興味があればぜひ来てほしい」。どんなイベントか聞きもせずに、また「はい、ぜひ」と言った。きっと小説のリーディングだろうと思った。

しばらくワインを飲んだ後、台湾、日本、中国の出版社の人々、そしてアンドレイも交えて、夕食に連れて行ってもらえることになった。タクシーに分乗してたどり着いたのは、店の内装自体がテーマパークみたいな南ドイツ料理のレストランで、ハムやソーセージやジャガイモが皿に山と積まれて出てきた。アンドレイはおおいに酒を飲み、私たちにもシュナップスというアルコールの強い果物の蒸留酒を勧めた。そして機嫌良くおおいに語り、盛り上がったところで一足先に帰ってしまった。

私は、中国の出版社の女性とタクシーに乗ったが、ホテルに帰る前に、彼女の宿泊先の「東急ホテル」(フランクフルトの中央駅前にある!)のバーに寄ってもう一杯ビールを飲んだ。北京は家賃が高く、毎日働き詰めだという彼女に、「私も昔、演劇をやっていた。その年齢でまだ演劇活動を続けられるのは幸せだ、羨ましい」と言われたのを覚えている。

10/13(土)
ランクフルト在住の、エレナのお父さんと会うことになった。私がブックフェアに来ると聞いて「エレナがいつも話している『ユウコ』に会いたい」と熱望しているらしい。ただ彼は英語が話せない。とりあえずホテルのロビーまで来てもらった。

よく晴れた空の下、目抜き通りを歩きながら、片言のドイツ語とボディランゲージで意思疎通をはかる。どうやら、知っているカフェに案内してくれるらしい。連れて行かれたのはアイスクリーム屋で、巨大なデザートの写真がメニューに並んでいる中、小さいティラミスとコーヒーを選んで注文してもらった。

お父さんがドイツ語で何事かを語るのを、頷きながら聞いていた。結果的にはほとんど理解できなかったのだが、「家族は何よりも大切だ。私も病気をして分かった。ユウコもドイツ語をもっと勉強して、早くドイツで仕事を見つけ、ドイツの男と結婚して永住しなさい。そして今度はエレナと二人でフランクフルトに遊びに来るといいだろう」と仰っているのだけ、なぜか完璧に分かった。予想がついたと言うべきか。

お父さんと別れた後、ホテルでチェックアウトを済ませ、もう一度メッセ会場に行った。会場をもう少し見て回りたいとは思っていたが、アンドレイのイベントに行く以外、予定は特になかった。

週末の土日、ブックフェアは読書ファン向けのイベントになり、入場料から内容まですべて様変わりする。私の知らないアニメやゲームのコスプレイヤーが大勢連れ立って歩いている。巨大な会場を闇雲に見て回った。

世界地図がそのまま本の展示会場になったみたいに、たくさんの国の出版物が並んでいる。ポーランドの出版社のブースで、Zytaの小説を発見した。ブースが広くて立派なのは、やはりアメリカとイギリス、英語圏の有名な出版社のブースで、英語の強みを見せつけられた。中身を一つ一つ読めないから、本の装丁デザインや写真集、絵本にばかり目が行ってしまう。多くのブースで作家や編集者によるトークイベントが行われていた。でも、こういったことが、自分や、自分の書く仕事とどう関係があるのかは、やっぱり全然分からない。確かに私は魚市場の魚だ。それも小説が数億円で取引されるような大マグロではなく、シラスみたいな小魚で、なのに魚市場がどんな場所か知りたくなって、ふらふら遊びに来てしまった。だが考えてみれば、魚に魚市場のことが分かるはずがなかったのだ。

会場のあまりに広さに身も心も疲れ果てていた。アンドレイのイベントの時間が近づいてきたので、ウクライナの出版社のブースへ行く。アンドレイは私を覚えていて、ハグをして座席に着くよう促してくれた。大人しく開始を待っていると、前の席の女性が振り返って、「ここWi-Fiあるかな?」と尋ねてきた。

「分からない……私は携帯にドイツのSIMカードを入れている」「そう。ねえ、なんで来たの?」「アンドレイ・クルコフさんに誘われて」「でも何のイベントか知ってるの?」「知らない」「高度に政治的なイベントだよ、知らないのによく来たね」。見ると、ブースの正面に「#Save Oleg Sentzov」と大書きされている。イベントのタイトルだろうか。慌てて Oleg Sentzovを検索した。

「ウクライナの映像作家、映画監督。2014年に起きた、ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入を批判し、ロシアにて現在収監中」

私は何も知らなかった。第二次大戦後から、クリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市がウクライナの領土であったことも、2014年にそれらがロシアに編入されたとされるのも、そのことが国際的な論争を巻き起こしていることも、禁錮20年の判決を受けたオレグ・センツォフが2018年から獄中でハンガー・ストライキを始めて、大きな話題になったのも。

イベントが始まった。アンドレイを司会に、まずオレグ・センツォフの関係者であるらしい大学教授が何事か解説をし、続いて彼の友人が手紙か詩を読んだ。最後に、「#Save Oleg Sentzov」とハッシュタグつきの文字が書かれた紙が観客に一枚ずつ配られた。立ち上がって歩き出した観客たちについて行くと、彼らはトークイベントの真っ最中である、ロシアの出版社のブースの前に無言のまま紙を掲げて立ちはだかった。

ウクライナのテレビ局らしきカメラが、彼らを撮影しはじめる。ロシアの出版ブースの人々は、突然のウクライナからの意思表示に戸惑った表情で、しかし他にどうにもしようがなく、無視してトークを続けている。(トルストイだったかドストエフスキーか、たぶん一般的な文学関係のイベントだった。)唇をぐっと引き締め、怒ったような厳しい表情で「#Save Oleg Sentzov」の紙を掲げるウクライナ勢。緊張感溢れる数分間。

ロシアのトークイベントが終わったところで解散となった。私は興奮していた。そうだ、ブックフェアには世界中の人が集まる。こういった意思表示をするには最適の場所だ。こんな活用の仕方だってあるのだ。

アンドレイを見失ってしまったので電話をすると、すでに会場を離れたと言う。「良いイベントだった、とても勉強になった」と言うと、「明後日、ちょうどベルリンの本屋で小説のリーディングをする。ドイツ語だけれど良かったら来るといい」とのこと。フランクフルトで会った人にベルリンで二日後に会う、というアイディアは面白いと思った。

飛行機に乗るまでの残された時間で、ちょっとでも観光客気分を味わいたかったから、レーマー広場の傍にある、可愛らしいドイツ菓子店にケーキを食べに行った。ホテルに預けていた荷物を取りに行って、フランクフルト中央駅で空港行きのSバーンに乗ろうとしたら、ドイツ語のアナウンスが車内に流れて、一瞬妙な空気になる。ドイツの電車の不安定さに慣れてきた私、「これは何かある……」と察知、向かいにいた人に英語で尋ねると、「急にこの電車が、空港に行かなくなった」と英語で教えてくれた。「ダンケ!」と呟き、慌てて電車を降りる。本当にどうなってるんだろう、ドイツの電車って。

けっきょく無事に飛行機に乗れて、Googleマップの指示通りにテーゲル空港からバスと電車を乗り継いで、真夜中にミッテのアパートまで帰ってこれた自分を褒めたい。

10/14(日)
招きを受けて、友紀子さんの家にランチを食べに行く。空はよく晴れており、いつのまにか紅葉がぐんぐん進んで、街路樹は眩しい秋の色に。舗道に敷き詰められた見事な金色の葉をさくさくと踏んで歩くのが楽しい。

友紀子さんに会えたことに興奮して、フランクフルトで起こった出来事をすべて時系列で報告した。アケミさんもやってきて、友紀子さん手製の日本食をいただく。

夕方、友紀子さんと一緒に小説家・画家の大濱芙美子さん展覧会に行く。写真家の神蔵美子さんのご友人でご紹介いただいた。普段はフランクフルトに在住だそうだが、この週、ベルリンで個展をやっており、そのギャラリーがちょうど友紀子さんの家のすぐ傍だった。

芙美子さんの絵画はなんとなく神聖なオーラを放っている。絵に見守られているような居心地の良さに、気がつけばずいぶん長居していた。そのうち、他の来客と一緒に「ゼンタングル」という模様の描き方を教えてもらえることになった。小さな紙に単純な模様を描いていくシンプルなアートだが、描くだけで「禅」の修行のような瞑想状態になれるらしい。無心で手を動かすことの喜びを久しぶりに味わえた。

帰り道、友紀子さんに駅まで送ってもらう。彼女とはこの日でしばしのお別れ。夫の愛助さんとともにこれから一年間、サンフランシスコに滞在するのだ。この数ヶ月で最も親しくなった一人なのに、離れてしまうのが残念だ。(でも、今もしょっちゅうメールをしているし、海を越えた遠いアメリカにいる気はしない。)

10/15(月)
ンドレイ・クルコフから連絡はなかったけれど、自分でインターネットで場所と時間を調べて、「今夜のリーディングに行きます」とアンドレイにメッセージを送った。「ありがとう! では、終わった後に会いましょう」と返事を貰う。行き慣れないMoabitという地域の、なぜか街灯がほとんどない真っ暗な道を歩き、20時少し前に本屋にたどり着いた。地下の会場には三十人ほどが集まっていて、彼らの前で、アンドレイはドイツ語のタイトルで ”Kartografie der Freiheit. Roman”という新しく訳されたらしい自著を流暢なドイツ語で読んだ。東ヨーロッパの国々からの移民が、西ヨーロッパに住んだ場合の苦労話や軋轢をテーマにした作品らしいが、詳しくは分からない。

朗読会が終了した後、打ち上げか何かがあるのかと思ったら、アンドレイは周りの人に挨拶をして、さっさと帰り支度を始めた。「どこの駅から帰る? 送って行きましょう」と私に言う。どうやら明朝早くにウクライナへ帰国するらしい。

駅へ向かって歩きながら話した。今までに書いた本についてや、日本やウクライナのこと。話の途中で彼が「プレゼントがある」と言ったので、何だろうかと気になっていた。夜景煌めくシュプレー川に架かった橋を渡ると、もうSバーンのBellevue駅に着いてしまう。このまま別れるのだろか? プレゼントというの私の聞き間違いか? すると「一杯飲んで行こう」と言う。駅前の居酒屋に入って、私はビール、彼はコーラを注文した。

「プレゼントというのはこれだ」

鞄から取り出されたのは、大きくて重たい写真集。さっきの本屋で買ったのか? こんな大きい物をずっと持って歩いていたのか。« DONBASS (and civilians) »と題されたその写真集は、ウクライナ内戦の舞台である、ドンバス地域の風景とそこで暮らす人々の姿を記録したものだ。破壊された建物、荒れ地に打捨てられた無数の砲弾。傷を負いながらも、カメラを見据える子どもたち。現地に住む人々が、実名でインタビューに答えている。すべて2014年から2017年に撮影された、最近の写真であることに驚かされる。

「ありがとう、こういうものが欲しかった。私は本当にウクライナのことを何も知らなかったんです」「良かった。ぜひそのうちキエフにも遊びにきてくださいね」。店を出てBellevue駅で別れた。銀色の大きな写真集を文字通り胸に抱きかかえて、Sバーンの座席に着く。車窓の風景を眺めながら、久方ぶりに胸の内側に明かりが灯ったような、暖かい気持ちでいた。こういうふうに扱われたかったのだと思った。彼は年配の男性だが、私に日本のゲイシャだとか小さな女の子だとか自立した大人の女性だとかいった典型的なイメージを押し付けてこようとはしなかった。私が自分でも気づかなかった、欲しかった物を見抜いてプレゼントしてくれた。私の中に眠っていた未来が四角い写真集の形をして現れ、今、腕の中にある。

小さなアパートに帰り着いて、写真集を箪笥の上に置いた。フランクフルトに行って良かった。私の小説が1億円で取引されてはいなかったけれど、いかに自分がドイツのこともヨーロッパのことも知らなかったかが、よく分かった。本棚からドイツのガイドブックを引き抜いて、ベッドに寝そべって開いた。ベルリン以外のドイツの都市にも機会があればなるべく行ってみよう。とりあえず、明日はミッテの「歴史博物館」に行こう。

 

<編集Tの気になる狩場>
「書籍」という小さな営みの集積が、ブックフェアという「魚市場」で取引される最中、千木良さんには小さな出会いと大きな世界の蠢きが交錯していたのではないかと思います。

【映画】
*特集上映

アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ
11月23日(金・祝)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次開催!
http://www.zaziefilms.com/arg2018/

広島国際映画祭関連企画 ペーター・ネストラー監督特集
2018年11月29日(木)ー12月1日(土)(3日間)
会場:アテネ・フランセ文化センター http://www.athenee.net/culturalcenter/program/ne/nestler.html

*Netflix配信
『風の向こうへ』オーソン・ウェルズ監督 https://www.netflix.com/jp/title/80085566

*封切作品
11/24
『山中傳奇 4Kデジタル修復・完全全長版』キン・フー監督 http://sanchudenki.com/
『台北暮色』ホアン・シー監督 http://apeople.world/taipeiboshoku/
『斬、』塚本晋也監督 http://zan-movie.com/

11/30
『ヘレディタリー 継承』アリ・アスター監督 http://hereditary-movie.jp/

公開中
『体操しようよ』菊地健雄監督 http://taiso-movie.com/
『ボヘミアン・ラプソディ』ブライアン・シンガー監督 http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/
『鈴木家の嘘』野尻克己監督 http://suzukikenouso.com/
『バルバラ セーヌの黒いバラ』マチュー・アマルリック監督 http://barbara-movie.com/
『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』デヴィッド・ロウリー監督 http://www.ags-movie.jp/

 

【美術等展示】
ブルーノ・ムナーリ 役に立たない機械をつくった男
2018年11月17日(土)~2019年1月27日(日)
会場:世田谷美術館 https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00191

吉村芳生 超絶技巧を超えて
2018年11月23日(金・祝)~2019年1月20日(日)
会場:東京ステーションギャラリー http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201811_yoshimura.html

田根剛|未来の記憶 Archaeology of the Future ─ Digging & Building
2018年10月19日(金)~12月24日(月)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー http://www.operacity.jp/ag/exh214/

邱志杰(チウ・ジージエ) 書くことに生きる
2018年9月8日(土) 〜2019年3月3日(日)
会場:金沢21世紀美術館 https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1760

 

【書籍】
岡崎乾二郎著『抽象の力 (近代芸術の解析)』(亜紀書房) http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=875&st=4
ジル・ドゥルーズ著『基礎づけるとは何か』(筑摩書房) http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480098870/
アンヌ・ガレタ著『『失われた時を求めて』殺人事件』(水声社) http://www.suiseisha.net/blog/?p=9770
アラン・ロブ=グリエ著『反復[新装版]』(白水社) https://www.hakusuisha.co.jp/book/b378002.html