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2022.02.23

第9回:弱い紐帯の強さ

本屋な生活、その周辺 / 高橋和也

2013年、東京・学芸大学の賑やかな商店街を通りすぎた先、住宅街にぽつんと、SUNNY BOY BOOKSは誕生しました。店主の高橋和也さんとフィルムアート社のおつきあいが始まったのはとても最近なのですが、ちょうど『ヒロインズ』を売りまくっていたり(250冊以上!)、企画展「想像からはじめる――Solidarity-連帯-연대――」が全国の書店を巻き込んだ大きなうねりとなって巡回されたり、すごいことを淡々と当たり前のようにやっていらっしゃる時期で、個人書店の底力というか、小さいゆえの機動力とか社会的な意義というか、改めて実感したのを覚えています。

以前のインタビューで「東京だからやっていける」とおっしゃっていた高橋さんですが、世の中の状況も変わり、決して楽観的ではないけれど、東京はもちろん地方でも本屋を始められる方がとても増えました。背景には、どこで買っても同じはずの本なのに、「大好きなお店を応援したいからここで買おう」と思う読者がすごく増えたことが大きいと感じます。SUNNYも特にコロナ禍初期に休業された際、心が折れそうなとき、お客さまからたくさんの激励を受け取って気持ちを保てたとのこと。だからこそ2021年2月に家族で沖縄に移住されることになっても、続ける意志が繋がれたのだと思います。

沖縄移住をすっぱり決断されたことといい、子供さんが生まれてからはより「生活」を大事にされる気持ちが強まったようにも感じます。ブレない軸を持ちつつも自然な流れに身を任せてきた高橋さんが、現実をどう受け入れ、これからどうなっていくんだろう、見守りたい方はたくさんいらっしゃると思います。高橋さんの考えややりたいことが少しずつ整理できるような連載になればいいなと思います。

ただですら他の月より日が少ないのに確定申告もあってか時間の進み方が早く、「2月は逃げて去る」とよく言う印象そのままに、あっという間に過ぎていく2月にしがみつくような日々を送っています。コロナで閉鎖されていた保育園は先週から全面再開され、ひと月半ぶりに保育園のある生活となりました。子供が邪魔とかそういうことではなくて、今回のことで距離が近すぎて窮屈になることもあるし保育園というもうひとつの社会が家族の間に入ってくれるありがたみを改めて感じたのでした。報道でよく言っている「正しく恐れる」の正しさとはなんなのか、よくわからないままですが、預けたら預けたで風邪や手足口病、溶連菌などさまざまな感染症をもらってくる可能性はあるし、コロナも数ある感染症のうちのひとつくらいに考えないと生活は成り立って行かなそうだなということは実感としてわかってきました。(はっきりと心に折り合いがついたわけではありませんが)

そしてここ最近の沖縄はといえば、年が明けてから梅雨なのか、というくらいに曇りや雨の日が続いています。このひと月半で一日晴れていた日は思い出して1週間もないように思いますが、野菜を持ってきてくれた実家のおばあが「1、2月の沖縄はどんよりで嫌さー」と言っていたので毎年こんな感じのようです。3月から少しは晴れていたんだっけ?と1年前は沖縄にいたのでわかるはずですが、思い出そうとしてもはっきりしません。まだまだ自分の中にある体感としての沖縄の濃度は低いようですが、通りに点在する寒緋桜カンヒザクラの木に鮮やかなピンクの花が咲いてきたので春は近そうだなと期待しています。

また去る2月13日(日)には千葉県柏市で2011年から企画されている軒先ブックマーケット「本まっち柏」の10周年を記念したオンラインイベントに参加しました。サニーの名前で活動をし出した頃に始まったイベントで、立ち上げにも少し関わっていましたが、またこうして声をかけてもらえて嬉しかったです。そんな自分の思い出話はさておいて、谷根千で始まった一箱古本市の流れのなかで生まれたこのブックマーケットが柏という街の中でどういう役割を果たしていたのか――。イベントプログラムの一部にあった社会学者の五十嵐泰正さんによる広い視野を持って語られたお話からは柏のことでありながらひとつの街と本、はたまた街と本屋という小さな世界からできることについて改めて考えるきっかけをいただきました。なかでも「弱い紐帯の強さ」について、僕は初めて知った言葉だったのですが本屋という現場にいて今までふわっと思っていたことを言葉にしてもらったような気持ちになりました。意味としては「普段から一緒にいるひとでない、ちょっとした知り合いという弱い繋がりがふとした時に意外な役割を果たしてくれる」というもので、本という情報と年齢も性も趣味も異なる様々なひとが集まる場所はそういった社会的な資質や交流を考える上で大切な架け橋になっているのではないかというお話です。この連載の6回目「小さくても繋がること」で、少人数でも心から繋がり合う大切さみたいなことを書きましたが、「深くは関わっていないからこその繋がり」という真逆の視点がもつ役割の大切さに気づけました。普段私たちが暮らしている生活の中には様々なひとがいて、同じ景色を見ていても感じることはあまりに違うし、そもそも見ている風景も違うかもしれない、それにあまり関わらないひとの方が圧倒的に大多数です。でもそんなひとが集まってできているのが地域であり、社会であってそういう多様性を知るきっかけが本屋(また本のある場所)には溢れている。もちろん本屋だけが特別なわけではなくて、色々な形の小さなコミュニティがあるし、数で言えばそういう弱い繋がりを保てる場所がたくさんある社会の方が風通しが良いのではないかなと思います。どうも本や本屋について考えていると社会学にいきあたるのですが、そんななかでも本屋はどう「ともにある」ことができるのか、この大きな問いをこれからも考えていきたいなと思いました。まずはお話の中にも出てきた『ソーシャルキャピタル入門』(中公新書)と『リーディングス ネットワーク論』(勁草書房)を手にしよう、と鼻息高く気合を入れたのでした。読んでいない本や知らないことが圧倒的に多くてたじろぎますが、読みたい本や知りたいことがあることは単純に嬉しいことです。離れたなかでもオンラインで繋がれるありがたさに感謝した時間となりました。

さて、3月はお店で作った本の巡回展があって福岡に行く予定です。2ヶ月ぶりにまともにひとに会うのですでにちょっと緊張しています。(前回の記事以降も家族以外のひとに会っていないのでした)ひとまずコロナが少しでもおさまっていることを願いつつ、福岡の本屋さんも回れたらと思うので次回はそのレポートとなりそうです。

 次回2022年3月15日(火)掲載予定です
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