• Twitter
  • Facebook
2021.12.21

第6回:小さくても繋がること

本屋な生活、その周辺 / 高橋和也

2013年、東京・学芸大学の賑やかな商店街を通りすぎた先、住宅街にぽつんと、SUNNY BOY BOOKSは誕生しました。店主の高橋和也さんとフィルムアート社のおつきあいが始まったのはとても最近なのですが、ちょうど『ヒロインズ』を売りまくっていたり(250冊以上!)、企画展「想像からはじめる――Solidarity-連帯-연대――」が全国の書店を巻き込んだ大きなうねりとなって巡回されたり、すごいことを淡々と当たり前のようにやっていらっしゃる時期で、個人書店の底力というか、小さいゆえの機動力とか社会的な意義というか、改めて実感したのを覚えています。

以前のインタビューで「東京だからやっていける」とおっしゃっていた高橋さんですが、世の中の状況も変わり、決して楽観的ではないけれど、東京はもちろん地方でも本屋を始められる方がとても増えました。背景には、どこで買っても同じはずの本なのに、「大好きなお店を応援したいからここで買おう」と思う読者がすごく増えたことが大きいと感じます。SUNNYも特にコロナ禍初期に休業された際、心が折れそうなとき、お客さまからたくさんの激励を受け取って気持ちを保てたとのこと。だからこそ2021年2月に家族で沖縄に移住されることになっても、続ける意志が繋がれたのだと思います。

沖縄移住をすっぱり決断されたことといい、子供さんが生まれてからはより「生活」を大事にされる気持ちが強まったようにも感じます。ブレない軸を持ちつつも自然な流れに身を任せてきた高橋さんが、現実をどう受け入れ、これからどうなっていくんだろう、見守りたい方はたくさんいらっしゃると思います。高橋さんの考えややりたいことが少しずつ整理できるような連載になればいいなと思います。

唐突ですが、父はサラリーマンでした。僕が高校生の時にうつ病になって子会社に移った以外は大きな転職もなく、40年近くを真面目に勤め上げました。そういう時代だった、といえばそうなのかもしれません。でも自分は父と同じように毎朝スーツを着て同じ時間に、同じ電車に乗って会社勤めをしている、そんなイメージが小さい頃から持てませんでした。学生時代、否応無しの通学もいつか終わることなんだ、早く終わってほしいと漠然と思っていましたし、大学の頃は特に朝一の授業の通学ではお腹を壊したり貧血になったりで遅刻ばかりしていました。自分が属している学校や会社に、さー今日も頑張ろうと勇んで向かっていくのが苦しいのはそもそもその先にある大きな組織や集団が苦手だからかもしれない、と気づいたのは就職活動のときでした。本に関わる仕事がしたいと思い、書店や出版社、印刷会社など会社を絞って受けていたのでやりたい気持ちはありましたが、とにかく就職するしか選択肢がないと当時は思い込んでいました。そのせいか、息苦しくなって面接日に逃げだしたり、集団面接では全然議論をしようという気になれなかったり、筆記テストも途中であきらめたりと散々でした。さらにそれ以前を思い返してみても高校3年生のときはクラスに馴染めなくて早退を繰り返していたり、学校行事は公休だと言ってずる休み、大学の卒業式は欠席して卒業証書ももらっていません。こうやって書いてみて親不孝な自分の残念さに悲しくなりますが、あの頃の自分の延長に今の自分がいる、という実感もあるので受け止めざるを得ない気持ちです。いや、親はどう思っているかわかりませんが…。

ただ、中学、高校、大学と進学する中で必ず1~3人くらいの小さな繋がり(たまたまサニーの店内キャパと同じでした)の中に自分の居場所を見つけてきました。今となっては住んでいる場所も仕事もライフスタイルもみんなバラバラですが、たまに連絡を取り合って近況報告をしたり、東京から沖縄に移る前の約半年間はこの頃の友人の家に居候させてもらっていました。この繋がりがあったから当時自分を保てていたのかな、なんてたまに思って感謝しています。みんなと過ごした時間はただの思い出話になりそうなので端折りますが、この「小さな単位での繋がり」というものが、形を変えて本とひとの付き合いという限りなくパーソナルなものを支える小さな本屋をやっている理由でもあり、大きなテーマとなっています。

本を選び紹介していくことは、こんな本があったんだという新しい発見や読みたかったものを提供したりする他にも、お店がどういうひとと繋がりたいか、そんなメッセージとして捉えることもできます。ただ大きなお店だったり、街の本屋だったりするとそんなメッセージなんかはいらなくて、不特定多数の人が来る分満遍なく要望に応えられる方がいいお店なのかもしれません。形態やスタイルも多様さがある方がいいと思っているので色々なお店があることは望ましいです。ただあくまで自分は、というところで、サニーは本を選んで棚に並べることでここに来てくれるひとの心に繋がりの種を残せたらと思っています。

お店で2年前に開催した連帯ポスター展はそんな繋がりを確認する作業でもあったわけで、作家たちが手がけた個人の連帯の印といえるポスターが今もあちこちで誰かの部屋に飾られていることを思うと勇気が出ます。このイベントを振り返ったテキスト(上記同リンク)にも書きましたが、「想像することは独りよがりです。よかれと思っても間違っているかもしれない、でも思いをめぐらせなければ、想像という手を差し出さなければ決して交わることはありません。本を読むこともまた時間をかけて想像を広げる行為です。SNSなど情報が行き交う速度が速まる中で立ち止まって、まずは誰かを思う事からはじまることがある。」と今改めて思う日々です。ちなみに上記リンクに企画の経緯や関わったメンバーによる合わせて読みたい選書リストも上がっていますので、気になった方はぜひ覗いてみてください。

いまポポタムさん、タコシェさん、IRAさん、Lilmagさんが共同制作されているSAFER SPACE STICKER を東京サニーのレジ近くに数カ所貼っていますが、この「セーファースペース=より安全な空間」については少し前に読んだ『生きるためのフェミニズム(タバブックス)にも出てきていたりして、社会運動の中で生まれたこのアイデアの実践についても最近改めて考えています。というか、まだ途中の事業計画書の中でも新しいお店を構成する要素として取り組めたらと書き進めています。

「セーファースペースとは、様々な社会的背景を持つ人が集まる場所において、互いをできる限り尊重し、暴力や差別を最小化し得る空間を構築していくための、終わりのないプロセスなのである。」( 堅田香緒里『生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義』、タバブックス、2021年、170ページ)

コロナ禍で今はさっぱりですが、韓国、台湾、中国、ヨーロッパなどからさまざまな人種、セクシャリティ、年齢、障害を持った方がサニーに訪れてくれています。その時、その場所に居合わせるひとの組み合わせは常に変動しますが、どなたにも「より安全」な時間を過ごしてもらえることは見えないながらも場所とひとの繋がりを考える上で大事なことだと思います。また、本書にも戒めとしても書かれていますが、重要なのは自分自身の行為や特権についてしっかりと自省しながら空間を作っていくことにあります。そういう意味で自分がスペースをやるうえで大切にしたいことを忘れずに、自分ばかりが心地よい空間にならないように、想像することを手放すことなくセーファーな中で本を届けていく――これは東京でも、そしてこれから沖縄でお店をやるにしてもゆるぎないこととして心に留めておきたいです。

あなたとわたしは完全に理解し合う事はできないだろうけれど、緩やかな形でわたしたちになっていくことはできるかもしれない。そんな場所として個人の本屋ができることを考えていきたいですし、「小さな繋がり」に助けられてきた身として大切にしていきたいと思っています。

(第6回・了)

 次回2022年1月11日(火)掲載予定です

※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。